渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

美保関灯台と出雲日御碕灯台を繋ぐ「海道」

2023年10月17日 | open

海応援動画#33
【美保関灯台と出雲日御碕灯台を繋ぐ「海道」】



島根は行くといいトコロ。
日の出と日没の名所もある。
歴史を地方再生観光の目玉に
げている点が目立つが、そ
は真実の歴史ではなく勝者
よる「作り変えられた歴史」
を地元民や行政が真顔で言っ
てたりするので注意が必要だ。
「西暦100年代の〇〇天皇が・・・」
などという事を本気で言って
る。それ、弥生時代で邪馬台
国の卑弥呼さえまだ
いない時代
だ。どこにその時代
に「天皇」
がいたという証拠
があるのか。
日本は統一さえ
されていない
のに。統一されていない時代
に大王(おおきみ)がいたと

する事自体、整合性もへった
くれもないのだが、右系の人
たちはそうしたパターンが
大好きだ。
島根県には作られた歴史教育を
鵜呑みに
して皇国史観に浸っ
ているの
が強く見えるケース
が多い。

ネトウヨや右系保守派は、学
術的な検証などは一切無視で、
非科学的な事であろうと脳内
妄想を正しい物として主張す
るのが最大の欠点だ。つまり、
嘘物を本物として言い張る。

西暦100年代に天皇はいない。
皇紀などはずっと後代に創作
されたものだ。たぶんキリス
トよりも古くしたかったのだ
ろう。あまりクリーンな精神
皇起というものは作られて
ない。
島根県にしても、出雲がヤマト
に屈服した事を憂う気概は
存在せず、ただただヤマト
への追従を今でも人々は示す。
そのあたりは岡山県に存在す
るヤマトに滅ばされた在地
王権のウラを称える祭りが
ある文化精神土壌とは島根は
決定的に異なる。
岡山県人には反骨のガッツが
ある。遥か遠い一千数百年前
の在地の敗北者に対しても追
悼の意を込めて祭りをする。
魂は死滅させない、とばかり
に。
古代にはヤマト以前から日本
国内第一等の
王国政権があっ
た出雲である
のに、島根県で
は岡山県と違い、征服者ヤマト
に対して
完全に精神的独立を
放棄して
屈服している感が現
代でも非常に
強い。
そうなるとつまりイコール保
守王国だし、現にそうなって
いる。
出雲の神社は果たして大元は
ヤマトの神社であるのか、と
いう根本問題に
ついては島根
の人たちはスルー
する。

だが、島根県は景色は最高だ。
世界遺産にもなろう。
本当に美しい。


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