渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

女子高制服百花繚乱時代 〜1970s〜1980s前半〜

2023年12月29日 | open
 


女子高生の制服はボレロに
ジャンスカがデザイン的に
は最高だぜ。
今は絶滅危惧種だ。
この再現モデルさんはソック
スが白なら完璧だった。
ボレロ+ジャンパースカート
はお嬢様学校の定番だった
が、今はほぼ死滅した。

戦後から長らくお嬢様学校の
象徴だったボレロとジャンパー
スカートの制服。


1980年代に高校制服に女子の服
にデザイナーを
使って企画させ
る事が大流行
した1981年あたり
から制服
大革命が始まった。
そして、平成に入ってからは
その傾向が全国に広がり、金
太郎飴のどの学校でも同じよう
なブレザー
とタイかリボンにな
った。
全く以って個性無しになった。
それまでは、制服を見れば校章
を見ずとも即どこの高校か判っ
た。
また、それこそが東京の私学の
個性だった。
だが、各校の制服は平坦になっ
てしまい、もろに没個性。
それでも、セーラー服はまだ
伝統校には残っている。
しかし、一方で、ボレロ+ジャ
パースカートの制服は本
国内から絶滅しかけて
いる。
うちでも毎日見慣れたが、国立
島大附属中学などはだジャ
ンパースカートの制服で、
ながらの伝統をかろう
て保
持している。

東京私学では北部は桜ヶ丘女子、
家政大附属、十文字学園など
が1970年代にはジャンスカだっ
た。
家政大附属は可愛いかった。
上の画像の制服が似ている。
色は濃紺だったが。
桜ヶ丘女子(現桜丘、男女共学)
は黒いボレロとジャンスカ
カッコ良かった。
十文字は
全員真面目さんのよ
うな雰囲
気。みなさん眼鏡女
子みたい
な。
桜ヶ丘女子の文化祭に行った
事があるが、壁に小さく古い
中核派の落書きがあった。
あ、ここ昔中核派がいたん
だぁ、と思った。
うちの高校はブントと青解
四トロだったが。
その落書きは小さいので学校
当局にも気づかれずに消され
ず残っていたのだろう。
ま、都内の高校なんてそんな
もん。大阪も反戦高協などは
多かった。
 
以前、私の迷彩服ジャケット
が車の中にあるのを見て「俺
が一番嫌いな服だ」と言った
友人がいた。戦争の服だか
だという。
服が戦争するのでなく人がや
るんだよ、と言っても納得し
ない様子。
その時、歩道を女子高生たち
が歩いていた。
「お、若いっていいねー。
はつらつしてるよ」と言うと
「いいねー!制服が青春して
るよな」なんて言う。
「あのセーラー服とか、最近
珍しくない?」と言うと、
「そうだね。セーラー服はいい
ねぇ〜」と返してくる。
「セーラー服好きなの?」
と問うと「大好きよぉ」と。
「軍服だよ」と俺が言ったら、
そいつは黙った。
 
服が戦争するわきゃないじゃん。
ほうれん草でも食ってろ、とか
思った。



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