渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

家の謎

2023年07月06日 | open



天明年間(1781-1789)の某年、
先祖に「四国に出たまま戻ら
ず、天明○年○月○日授戒」と
う者がいる。
主命を帯びての出立か、ある
いは藩の謀略により誅殺され
たかは定かではない。
藩の記録には一切出て来ない。
だが、廃寺同然だった住職不在
の城下の寺をうちが坊主を連れ
て来て再興させた。その寺に
記録が残っていた。
不思議な事は、通常、当主が
死亡したら御家はお取り潰し
だ。
だが、その後長男が何事も無
かったように記録上は相続し
ている。
子連れ狼の時代の約80年後に。
何らかの上からの庇護と作為
無くして家の存続は通常あり
得ない。
謎。

<天明年間の出来事>




天明の前は小説『剣客商売』の
時代、田沼意次の賄賂政治時代
だ。
天明に入ってからは、浅間山の
大噴火という天変地異による
飢饉が発生し、民衆の飢餓と国
内不安が増加し、天明の打ちこ
わし等の暴動も発生している。
政治は松田定信の時代。定信は
老中に就任し「寛政の改革(1787-
1793)」に天明7年から着手した。
それまでの賄賂汚濁政治を断と
うと奮闘して様々な新政策を
展開した。かなり大胆。
江戸期三大改革は「寛政、享保、
天保」だが、これは義務教育の
中学の時に誰もが学ぶ。
だが、寛政の改革で一番着目
できるのは、大胆な経済政策
ではなく、「処士横議の禁」
だ。
これは幕府への批判を談義す
る事そのものを禁じたもので、
専制化の徹底だ。
これにより海防学者の林子平
(出自幕臣620石)が処罰され
た。蟄居のうちに死亡した。
理由は外国船脅威論を説き、
国防強化を主張したからだ。
幕政は幕閣以外口にしては
ならないという松平定信の
新法により、一般的な言論は
徹底的に封じられた。
1780年代で既に幕府瓦解の
萌芽が見られ、国防国論を
問う武士が登場していたと
いう事だ。
幕府は器だが、器を動かすの
は人だ。
幕府は幕閣が牛耳っている。
一般的な諸藩の武士ではない。
言を成す事さえも禁じた幕府
に対する反発は、海洋防備の
急務を感じた各藩の武士たち
の間でどんどん強まる事に
なった。
結果、100年を待たずに国防
論から日本国内は国論が二分
し、日本初の既存権力と対峙
した本格的内戦へと発展した。

天明年間とは、そうした幕末
が始まる序章前の打ち続く
国情不安の時代、幕府体制の
末期的危機の開始の時代であ
った総括できる。
そんな時代の中、私の先祖は
「外地」に出向いて、消息不明
となっている。
単独出向なのか複数なのかは
不明。何者かの討手(うって)と
して派遣されたのかどうかも
不明。
謎の消息不明だが、事故死か
誅殺か返り討ち惨殺か、ある
いは闇討ちかどうかは分から
ない。
だが、家は摩訶不思議な事に
嫡男相続が藩から認可され、
御家は継続した。だから私が
今いる。
ただ、どうしても通常では不
合理な事が重なっているので、
やはり何らかの政治的な「作
為」の臭いを感じ取る。
わが家の謎の一つだ。
ただ、「死して屍拾う者無し」
となった事だけは確実だろう。
隠密の草のように。




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