渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

抜刀斬撃で未熟者はなぜ手を切るか

2021年09月22日 | open




表題について。
簡単な事だ。物理的な事なのだ。
鞘はカタパルトの軌道なのである。
鞘なりに刀身を抜いていたら、どん
なに速く抜こうとも絶対に手を切ら
ない。

刀によって反りは異なる。
その反りなりの軌跡で抜けば絶対
手を切らないのは物の道理だ。
途中で外に円弧軌道にしたりする
物理的に無理な事をするから鞘を
斬り割ったり、手を切る。
また、正しい鯉口囲い(握りはしな
い。指で包むようにする)の所作を
していなければ手を切る。
鞘の反りなりに抜いて、鯉口を離れ
たあとも抜刀直後は鞘なりの軌道で
斬撃段階へと進展する。
「抜きながら切る」のである。
抜いて振ろうとする意識と行動が
あるから、途中から反りに反して外
に刃を向かわせてしまう力を与えて
しまう。
結果、鞘内はザクザクに鞘の木が
削られまくり、鞘を床で鯉口を下に
トントンとやると木片が出て来て
しまったりする。

抜刀術ができる人間の鞘からは木片
は出ない。鯉口も傷んでいない。
当然、抜刀と納刀で手を切る事も無
い。皆無だ。

なお、反りが浅く短い刀身のほうが
抜刀斬撃には物理的に適している。
長さについては、西部開拓時代の
ワイルドウエストエラの抜き撃ちの
銃身長と同じ原理だ。
また、反りが浅いと直線的な軌道を
描けるので、軸線を真っ直ぐのまま
トリサシ理論を実行できる。
土佐流儀において反り浅く短い刀を
選択する事が多いのは、抜刀斬撃を
勘案した武具選びという面もある。
幕法に沿った規定の長さ以内の短い
刀を帯びるのは本物の武士がいた
時代のごく当たり前の武士の慣いで
はあるが、その厳格な規定の中で、
己の武技をどう活かすかに武士は
傾注した。
ゆえに、やたら長いハッタリ刀など
は武士は使わない。そんな刀を帯び
て登城などできない。お咎めを喰ら
う。武具や身繕いの乱れは、下手し
たら切腹だ。
そうした社会に武士は生きていた。
その中で武技を磨いた。

現代は「自由」な社会であるので、
武士の精神と所作、仕儀を解さぬ出
鱈目で野放図な事が広く世間でまか
り通っている。
だが、それらは武士の武技や士魂と
は無縁の事だ。



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