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「相(そう)」について

2007-04-18 16:12:40 | 易経、東洋哲学
今日は五術のつづきです

前回は変えられない生年月日から運命を推し量る「命学」ということについてお話しました。
今回は命、相、ト、仙、医の五術のうちの「相」についてです。

「相」というのは形ということで、東洋的には形というのはすべて意味があると考えます。
山でも「[なんか険しくて登るのは難しそうだ」というのもあれば、「なんか丸みがあって優しそうな感じだな」というのもあるわけです。
「相学」は人や家などを中心とした、「形」を観てその奥にある働きを知る学問です。この働きを知れば、その人の現在の様子と将来的にどうなってゆくか、どんな傾向があるかなどを推察できるようになるための訓練になります。

人体では、目が釣りあがっていて、気性が荒そうな人は大体において本当に気性が荒いでしょう。
眉毛が「八」の字の人はわりと温和で優しそうです、でも少し優柔不断な感じがしますね。
もちろん人の顔は全体のつくりというか総合的なつくりで判断するわけですが、その形から受ける印象と実際の性格は大体一致しているといえましょう。もちろん例外として「みかけによらない」ということもありますが。。。

東洋哲学の先人たちの中には、人相や手相も大事だが、少し思考をかえて「人の後姿」を観てみるのもよいと説いています。
顔はお化粧で変えることができる、しかし「うしろすがた」だけはどうしようもない。。えらく羽振りがよさそうだったり、豪胆で男らしい感じでも、
後姿を見てみると「ショボい、、、」という場合があります。明るく振舞っている方でも、「さびしそうなうしろすがた」というのもあります。

彼氏や彼女の後姿をそっと観てみますか?
「ありゃ、、ショボいからすぐに別れよう!」などとしないで、優しく後ろからハグしてあげましょう。きっと今は追い風の運気ではないだけなのかもしれません。優しいハグが彼に何かを気づかせて、運気が好転するかもしれません。
「うわ さびしそうな後姿だな」と感じたら、多分あなたが悪いのかもしれません。普段からの思いやりが足りないからなのかもしれないと反省しましょう。

東洋医学的にはこの「相学」が診断学へと発展したのです。望診(ぼうしん)という顔や舌、体の形や色を観て診断する方法と、
切診(せっしん)というというカテゴリーに入る脈診、腹診も「相学」から発展したといえます。目に見えるところから、手や指で触れて感じることのできるところから、見えないところを探るのが東洋的な診断学です。人の体の形はそのまま何かのサインを出していると考えて観るのです。

さて、前回は人生の「命」的な部分を河の流れにたとえた場合、その河を行く船(人、ご自分など)の形を「相」とするとしました。
「相」は人の形です。自らの形、船や車にたとえれば、車体の大きさ、エンジンの種類、燃料の多少などです。人生を広い河や道にたとえた場合に自分はどのくらいの大きさの、性能の船や車なのかを知ることは人生の航海にとって大変重要なことです。

相学は明らかに迷信ぽい部分は切り捨てて、冷静にヒトの器(うつわ)というか、人となりを見つめるための学問です。

次に出てくるのが「ト(ぼく)」です。「と」ではありません。「易経(えききょう)」のことです。
運命を宿命として流されていきるだけか、立命として自ら人生の主人公となるか。
易経は「占い」としてもよく使われますが、森羅万象をとまらない動きの現象として捉える目を養うことができます。
この目を養って易経を活学としてとりいれることにより、思想に窮することがなくなります。「思想に窮する」とは「俺はもうだめだ!」
「これで終わりだ!」という死に体にならずに、また「絶好調!!」のときに襟元を正して泰然としていられるようになるための学問です。

次回はこの易経のおはなしです。

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