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政治学における「因果推論革命」を考える

2022年04月08日 | 研究活動
この数年で、政治学では「因果推論革命」が起こっているといわれています。戦争はなぜ起こるのかという問いを考えた場合、XがY(=戦争)を引き起こすという因果仮説を立てます。伝統的な国際関係研究では、事例研究を行い、過程追跡法を用いて、XとYの間の因果連鎖を丹念に追うことにより、その因果関係を確認していました。しかしながら、こうした少数事例の研究では、①非代表制の問題、すなわち自分の理論に都合がよい事例を選ぶバイアスにかかってしまうこと、②X以外の変数が結果を引き起こしている可能性を見過ごしてしまうことなどの欠点が指摘されています(ただし、研究デザインを工夫すれば、事例研究でも、これらの問題は克服できることは、以下の『社会科学のケース・スタディ』で説明されています)。こうした方法論上の問題を克服するために、計量経済学の方法を援用して、可能な限り多くのデータを集めて、多様な変数間の関係を様々な数理的方法や実験などにより、その因果関係を検定する方法にますます注目が集まっているようです(土井翔平氏〔北海道大学〕のウェブサイト参照)。その結果、アメリカの主要な政治学のトップジャーナルに掲載される論文は、以下に示したように、こうした「計量政治学」が多くを占めるようになってきました。

「因果推論型の分析手法を採用している論文は、2015年時点では割合でみると30%程度でしかないが、2005年からの増加率でみると670%という非常に早いスピードで利用が増えている…。重回帰分析に関しては、問題点が顕在化するようになったと前述したが、その利用自体は増加傾向にあり、2015年時点では約80%の論文が何らかのタイプの重回帰分析を使用している。これは、因果推論型の分析との併用や、問題点を認識しながらの使用にシフトしてきている状況を反映している。一方で、この20年で大きく衰退しているのが事例研究型の論文である。1990年代の方法論論争を契機に事例研究をより『科学的』にしようとする試みは進んでいるが、事例研究のみで主張に妥当性を持たせることはトップジャーナルにおいては難しくなってきているようである。また、数理モデルを利用して理論構築をする研究は全体の10%程度で、この割合は過去20年間ほぼ一定である。これは、数理モデル化の実質的なメリットが1990年代に期待されていたほどには多くの政治学者に認識されなかったからだと考えられる」(粕谷祐子「政治学における『因果推論革命』の進行」『アジ研ワールド・トレンド』第269号、2018年3・4月 下線は引用者)。

その一方で、国際関係論では、伝統的な事例研究や歴史に重きを置いた理論構築の研究などが、いまだに盛んです。それでは、国際関係論は、最先端の政治学のトレンドである「因果推論革命」に乗り遅れているのでしょうか。私は、そうは思いません。

第1に、国際関係研究者が探究している少なからぬ課題は、こうした計量政治学にはなじみにくいことです。たとえば、アメリカのリベラル覇権を追求する政策とその結果を考えてみましょう。これは冷戦後の国際政治を大きく動かした重要な研究テーマです。これをどのようにして上記のような数理的方法で分析すれば、伝統的な定性的方法の研究成果より優れた成果をあげられるのか、私には想像できません。このブログで取り上げたリアリストとリベラリストの政策論争に、計量政治学の知見は反映されていません。もし後者が前者よりも優れているならば、政策論争や提言に活かされるはずですが、そうなっていません。これは国際関係研究において、今でもグランド・セオリー構築や事例研究、歴史を活かした分析が有用であることを示しています。

政治学において、現実世界とは隔絶した「基礎科学」をもっぱら追究することに研究の価値を見出すのであれば、政策に関連づける必要はありません。その一方で、スティーヴン・ヴァン・エヴェラ氏(マサチューセッツ工科大学)が主張する以下の職業倫理に、政治学者が従うのであれば、「応用科学」を目指すべきでしょう。

「われわれは社会と暗黙の契約を結んでいる。つまり、学問の自由と特権とを引き替えに、相応の精力を注いで社会のより差し迫った問題に答えることをに同意している、という見方である…社会科学が社会とまったく関係のないことにおちいるのならば、それは契約に違反することになるし、また大半の研究はそうなっている」(『政治学のリサーチ・メソッド』野口和彦・渡辺紫乃訳、勁草書房、2009年〔原著1997年〕、120ページ)。



社会科学が抽象度を増すほど、実際の世の中から離れてしまうトレード・オフは、政治を研究する上で避けることができません。そして、政治学が前者に傾倒するほど、政策立案者にとっては、使い勝手が悪くなります。このことについて、アレキサンダー・ジョージ氏とアンドリュー・ベネット氏(ジョージタウン大学)は「概念は、抽象的であればあるほど現実世界における対象から隔絶し、その2つを結びつけて政策に生かそうとする実務者の知的負担がより大きくなる」と指摘しています(『社会科学のケース・スタディ—理論形成のための定性的手法—』泉川泰博訳、勁草書房、2013年〔原著2005年〕、308-309ページ)。このことは上記の「数理モデル化の実質的メリット」と無関係ではなさそうです。

第2に、実験政治学の成果を国際政治を代表するものとしてとらえてよいのか、という根本問題があります。政治の世界では、よく「地位が人をつくる」と言われます。例えば、実験対象を大学の学部学生にしたとします。そこで学生たちが下した判断は、はたして国家の生き残りの重圧がかかる政治指導者の思考と同一視することが妥当なのでしょうか。第3に、計量政治学は、依然として「理論構築」にあまり貢献できていないことです。ジョン・ミアシャイマー氏(シカゴ大学)とスティーヴン・ウォルト氏(ハーバード大学)が指摘したように、理論構築を置き去りする問題は、「因果推論革命」では解決されていないようです。上記引用の下線部分を見ていただければわかる通り、理論構築を目指す計量政治の論文は10分の1の割合に過ぎません。ヴァン・エヴェラ氏は、国際関係論の発展を念頭におきながら、アメリカの政治学部を政治学や心理学、歴史学を融合した学際的学部に再編することを提唱しています。

国際関係を伝統的な手法で研究する若手や中堅の研究者は、定量的アプローチをとっていないと、何か遅れているような気持ちになるかもしれませんが、決して、そんなことはありません。もちろん、日本とアメリカでは政治学を取り巻く状況が違うので、後者で数理化の「知的流行」にあらがうことは、キャリア形成に不利かもしれませんが、前者では「方法論的多様性」が保たれているので、定性的な事例研究が圧倒的に不利な扱いを受けることは考えにくいです。また、安全保障研究や戦略研究のトップジャーナルであるInternational Security誌やJournal of Strategic Studies誌に掲載される論文は、定性的方法論に依拠したものが大半です。私は、一口に政治学といっても、それぞれの分野や研究課題に適した方法をとるのが望ましいと思っています。投票行動の分析などの国内政治の多くの研究テーマや比較政治の研究テーマは、「因果推論革命」の恩恵を受けそうですが、国際関係論では、もちろん、こうした政治学全体の動向と全く無関係ではないでしょうが、多くの重要なテーマでは、伝統的方法が現実世界の問題解決に貢献する研究成果を生み出すことでしょう。

追記:政治学者の永井陽之助氏が、興味深い発言をしていますので、ご参考までに紹介します。

「ケインズの偉いところは…いっさい数学化しようとしなかったことなんです…数学化してしまったら、もはや生きた経済学ではなくなる。経済のリアリティは数式で表せるものではないんだという、実在感覚を十分持っていた…アメリカに移植されたトタン、数学化できるところは、みんな数学化された。そうなると、とことんおかしなところへ行っちゃう…リアリティから無限に離れれば数学化は簡単である。逆にリアリティにつけばつくほど数学化、理論化は難しくなる。その間の猛烈な対話、そのトレード・オフを図る悪戦苦闘というところから一流の理論は出てくる。これが、多くの社会科学者が分かっていないことで、格好だけ真似している」(永井陽之助編『二十世紀の遺産』文芸春秋、1985年、375-376ページ)。

かなり過激な社会科学の数理化への批判です。計量政治学者からすれば、大いに反論したくなるでしょう。わたしは、日米のリアリストが、なぜ国際政治を数学で説明しようとしないのか、その一部の理由が永井氏の発言に埋め込まれていると思います。リアリストはリアリティ(現実)から離れることなく、国家間の政治にアプローチしようとするために、定量的方法を自然と避けることになるのでしょう。リアリストの大御所ケネス・ウォルツ氏が、大学学部時代に数学を専攻していたにもかかわらず、ご自身の研究では一切、数学を使わなかったことは、それを象徴しているようです。ジョン・ミアシャイマー氏とスティーヴン・ウォルト氏の国際関係研究の数理化への批判も、数理化により研究がリアリティから離れることへの警鐘と理解できます。そして、国際関係論がリアリティから離れるほど、政策との関連性は薄くなるということでしょう。
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