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アメリカは自ら墓穴を掘ったのか?

2022年04月04日 | 研究活動
アメリカの外交専門誌『フォーリン・アフェアーズ』において、冷戦後のアメリカの対中政策をめぐる論争が行われています。これは中国の台頭にどのように対応すべきかという現実世界の政策にかかわるだけでなく、あるテーマについて議論を戦わせるモデルを提供するものでもあるので、このブログ記事で論争の概要を解説したいと思います。

そもそもの発端は、リアリストのジョン・ミアシャイマー氏(シカゴ大学)が、同誌に寄稿した「米中対立と大国間政治の悲劇―対中エンゲージメントという大失態―」(『フォーリン・アフェアーズ・リポート』第12号、2021年11/12月)において、アメリカの中国に対するエンゲージメント戦略は、中国がアメリカの戦略的ライバルに成長することを助けてしまったので、これは最悪の大失態だと主張したことでした。かれは、冷戦後にアメリカの歴代政権がとってきた対中エンゲージメント政策を、以下のように痛烈に批判しています。

「アメリカの地位に挑戦してくる…中国の台頭のスピードを鈍化させることが、アメリカの論理的な選択となる。ところが、アメリカは中国の台頭を逆に後押しした…民主・共和双方の政権は…『エンゲージメント政策』をとった…『そうすれば、中国は平和を愛する民主国家にな(る)…』と考えたからだ…もちろん、幻想は現実になることはなかった…北京は…台頭するにつれて、より抑圧的で野心的になっていった…中国は、全盛期のソビエト以上にパワフルなアメリカの競争相手になると考えられるし、今回の冷戦は熱い戦争と化す危険がはるかに大きい…超大国が自ら肩を並べるライバルの台頭を、これほど積極的に推進した先例はない…リアリストのロジックに従えば、ワシントンは中国の経済成長を抑え込む努力と中国に対するリードを維持する試みを組み合わせるべきだった」(「米中対立と大国間政治の悲劇」48-53ページ)。

これに対して、リベラル派の代表的論者であるジョン・アイケンベリー氏(プリンストン大学)や中国専門家のアンドリュー・ネイサン氏(コロンビア大学)、元外交官のスーザン・ソーントン氏(イェール法科大学院)、 中国人学者の孙哲氏(コロンビア大学・北京大学)が、ミアシャイマー氏の立論に反論しています(以下は全て"A Rival of America's Making? The Debate Over Washington's China Strategy," Foreign Affairs, Vol. 101, No. 2, March/April 2022より)。



アイケンベリー氏は、かれの著作が何冊も邦訳されてますので、日本でも有名でしょう。近著には『民主主義にとって安全な世界とは何か―国際主義と秩序の危機―』(岩崎良行訳、西村書店、2021年)があります。かれは、ミアシャイマー氏が冷戦後のリベラルな国際秩序を対中政策だけの狭い視野でとらえており、これがもたらした自由民主主義やヨーロッパ・アジアでの安全保障協力、人道に対する脅威への挑戦といった便益を見過ごしていると批判しています。さらに、アイケンベリー氏は、アメリカがミアシャイマー氏が擁護する「オフショア・バランシング戦略」をとってヨーロッパやアジアから引き揚げていたら、中国やロシアに帝国主義的な拡張を許しただろうと推論しています。こうした議論は、日本の国際政治学者からも提示されていますね。また、かれはアメリカは中国の台頭を念頭に置いた「コンゲージメント(関与と封じ込めの混合)戦略」をとってきたのであって、こうした政策は実行可能で現実的なものだったと主張しています。最後に、アイケンベリー氏は、対中封じ込め政策をアメリカが採用していたら、①リベラル秩序が崩壊して、②貿易から得られる利益を犠牲にし、③国家評判を落とす結果になっただろうから、この政策は適切ではなかったはずだと結論づけています。

ネイサン氏は、中国の弱さの観点からミアシャイマー氏を批判しています。かれによれば、中国はアメリカに対する「実存的脅威」ではないということです。中国は内部に多民族を抱えており、陸上や海洋において信頼できない隣国に囲まれているため、地域覇権国にはなれそうになく、その脅威が過大評価されていると主張しています。ソーントン氏は、エンゲージメント政策は中国に安心供与をすることで紛争を防いできたと共に、グローバル経済に組み込まれた米中が紛争を起こすことは考えにくく、さらに核抑止が戦争を抑止していると楽観的な見通しを述べています。孙哲氏は、中国の中間層に萌芽している世界市民的でリベラルな意識が米中対立をやわらげることに期待できると共に、中国はむしろクワッドやAUKUSなどの「いじめ」の被害者として自分自身を見ているとの認識を示しています。

こうした批判に対して、ミアシャイマー氏は次のように反論して自説を擁護しています。冒頭で、かれは「ジョン・アイケンベリーがエンゲージメントはひどい失敗だったことを認めるのはよいことだ」(184ページ)と皮肉たっぷりに批判を始めています。そして1990年と今日の世界を比べてみれば、アメリカは中国とロシアという危険な大国と対立しており、国内外でも自由民主主義は後退しているではないかと、リベラル秩序を目指した同国の政策のコストを指摘しています。そのうえで、エンゲージメントと封じ込めは相互補完的にはなり得ず、前者はバランス・オブ・パワーが中国優位になることを許したのだから、これは封じ込め政策の目的に反すると、そのロジックの矛盾をついています。オフショア・バランシングについて、かれは、東アジアにおいてアメリカが台湾防衛を含め、中国と対決する以外に選択肢はないことを長く主張してきたと反論しています。

ネイサン氏からの批判について、ミアシャイマー氏は、中国は90%以上が漢民族であり民族的混乱がそのパワーを弱める証拠はなく、また、EUは国家ではないし、インドと日本は大国ではなく、ロシアは中国に対する敵ではないので、結局、中国はアメリカにとって唯一のライバル大国であることを強調しています。ソーントン氏の主張に対してミアシャイマー氏は、彼女が指摘した武力紛争を防ぐ障壁が存在することを認めつつも、地域覇権をめぐる大国間闘争がある時には戦争は常にリアルな可能性があり、中国の台頭を許したことは、そうした衝突の可能性を高めてしまったと、自身の攻撃的リアリズムの理論的帰結の妥当性を訴えています。孙哲氏の議論について、ミアシャイマー氏は、アナーキーという国際構造に固有の競争的圧力は、国内の外交論争を切り崩すこと、つまり、中国は国家として世界市民的なリベラル政策を追求することにはならず、そうしたシステムの圧力を受けた中国はアジアで覇権を目指し、アメリカがそれを防ごうとすることになると反論しています。

ミアシャイマー氏とかれの批判者たちの論争は、さまざまな分析レベルに基づき、いくつかの理論的パラダイムから構成されていることが分かります。ミアシャイマー氏の理論は、システム・レベルに依拠したリアリスト・パラダイムに基づいています。アイケンベリー氏の理論は、同じくシステム・レベルに焦点を当てたリベラル・パラダイムから成り立っています。ネイサン氏の議論は、どちらかといえば国内レベルから中国内外のパワーの制約要因を見ています。ソーントン氏もアイケンベリー氏と同じようなリベラル理論を用いていますが、後者が国際秩序の国家への拘束力を重視しているのに対して、前者は国際的な経済相互依存や安心供与といったパーセプションに力点を置いているようです。孙哲氏は、もっぱら国内レベルと個人レベルから中国人の対外的認識という非物質的な要因から主張を組み立てている点で、コンストラクティヴィズムに近い分析を披露しているといえるでしょう。

この論争は、われわれに国際関係理論が現実世界の政策構想を大きく左右することを教えてくれます。どのような戦略や政策を支持するにせよ、それらを構成する理論をシッカリと理解することが、政策論争の基本的前提だということです。国際関係論における「イズム(主義)」は悪であり、厳密な科学に裏打ちされた理論ではないとさげすむ研究者もいるようですが、世界的影響力のある外交政策のトップ・ジャーナルでの論争が、「イズム」で動いていることを軽く見るべきではありません。国際関係のグランド・セオリーを学ぶ意義は、世界がどのように動いているのかを説明することのみならず、よき政策判断の優れた道具として役立つことにもあるといえるでしょう。
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