野口和彦(県女)のブログへようこそ

研究や教育等の記事を書いています。掲載内容は個人的見解であり、群馬県立女子大学の立場や意見を代表するものではありません。

世界は核武装国が好き勝手できるようになるのか

2023年11月15日 | 研究活動
ロシア・ウクライナ戦争や中東のガザ地区でのイスラエスとハマスとの「戦争」は、われわれに国際関係における利害対立や武力衝突の危険を再認識させました。こうした混沌とした世界の動きを読み解くためには、国際関係理論がとても役に立ちます。この知的ツールを利用すれば、世界で起こっていることを完全に理解できないまでも、世間の注目を集める国際的な出来事について、その都度、直観的に考えるより、はるかに正確な考察ができるでしょう。人間は「代表性ヒューリスティック」、すなわち、自分が注目した衝撃的なニュースなどを典型的で普遍的な事象の代表と勘違いしがちです。しかしながら、ある特定の出来事は、それを構成する母集団のほんの1つのサンプルに過ぎません、もしかしたら、例外的な事象(外れ値)かもしれません。こうした認知バイアスを避けるには、国家間の関係の一般的パターンを説明する理論を使うことが有効です。

核武装国と強制行動
国際関係にアプローチする際に、なぜ理論的分析が役に立つのか、1つの例を挙げて説明します。我が国では、ロシアがウクライナを侵攻するにあたり、核兵器の威嚇によりNATO(北大西洋条約機構)をけん制したことから、「ロシアを敗北させなければ、核武装国が好き勝手にできてしまう世界になる」という言説が一部でささやかれています。しかしながら、政治学の標準的な研究は、そのような主張を否定しています。トッド・セクサー氏(ヴァージニア大学)とマシュー・ファーマン氏(テキサスA&M大学)は、核武装国が行った強制外交、すなわち核恫喝により相手国の行動を意のままに動かそうとしたことを統計分析と事例研究で詳しく調べた結果、それらの試みは軒並み失敗してきたことを明らかにしています。

ここで注意していただきたいのは、強制外交とは、国家が軍事力の威嚇により、自らの政治的意思を相手国に戦争をせずに受け入れさせることです。これに失敗した場合、強制する側は、武力を引っ込めるか、それとも行使して戦争に訴えるかのどちらかを選択するよう迫られます。ロシアのプーチン大統領は、アメリカのバイデン大統領にウクライナがNATOに加盟させないことを約束するよう迫りましたが断られました。そこでクレムリンは、ウクライナ国境付近に大量のロシア軍を展開して、再度、NATOに同じ要求を書面で誓約するよう要求しました。しかしながら、NATO事務総長のイェンス・ストルテンベルグ氏は、これを拒否しました。これによりプーチンらの指導者は、振り上げた拳を下すか振るうかの選択に直面して、後者、つまりウクライナ侵攻に至ったということです。要するに、ロシアは強制外交に失敗したから、戦争を決断したのです。

核恫喝を盾にした侵略
ロシアは核兵器でウクライナやその支援国を威嚇することにより、同国に供与される兵器の種類や量を制約させたり、NATO加盟国による直接の軍事介入を阻止したりしているようにみえます。これは核兵器による強制ではなく、抑止になります。抑止とは、相手国に望ましくない敵対的な行動を思いとどまらせることです。これは国家が相手国に既にとった特定の行動を自らの要求に従って変更させる強制とは異なります。

抑止は強制よりも成立しやすいというのが、政治学の常識です。なぜ、そうなるかといえば、人間は利得より損失に敏感だからです。プロスペクト理論が示唆するように、政治的指導者は損失を避けようとする際には、リスクを冒しても頑迷に抵抗する傾向があります。だから、国際関係では現状維持の方が現状変更より達成しやすいのです。

ロシアの核兵器による威嚇は、ウクライナ侵攻において、おそらく「シールド(盾)」のような役割を果たしたのでしょう。すなわち、モスクワは核兵器による懲罰の脅しを西側諸国にかけることで、その軍事介入やロシア本土への打撃を抑止する一方で、ウクライナへの通常戦力による侵略を実行しやすくしたということです。これは古くから「安定と不安定のパラドックス」(グレン・スナイダー氏)として、よく知られています。この理論は核戦争へのエスカレーションのリスクが全面戦争を防いでいる状況において、通常戦力による戦争の可能性がかえって高まってしまうという逆説的な現象を説明しています。近年の「核シールドの理論」は、これを肯定するものです。核武装国は相手国を破滅させられる核兵器の第二撃能力を持つと、究極の生き残りを確実にできるので、通常戦力を使った行動をとりやすくなるというのです。

それでは、この核シールド理論は、どの程度の一般性を持っているのでしょうか。前出のセクサー氏とファーマン氏によれば、この理論は「俗説」のようなものだということです。

「神話8:核兵器は侵略のシールド(盾)になる……これが正しければ、核武装国は既成事実化により現状を自国にとって有利に変更できる……2014年初め頃のロシアによるクリミア編入は、これがいかに上手くいくかを例証するものだ……我々は、このシールドの主張をテストしたところ、物足りないことが分かった。国家が核兵器を保有しても、(1)強制の威嚇を発したり(2)領土の現状維持に軍事力により挑戦したり(3)領土をめぐる現存する紛争を拡大したり(4)軍事力を使って領土紛争を有利に解決したり出来るようにはならない。核武装国による軍事力を使った領土の現状変更への挑戦は、大きな変更を生じさせることに7割がた失敗している……我々は1つや2つの事例を一般化する際には慎重になるべきだ……1999年のカーギル危機での冒険が領土の現状維持に変更をもたらさなかったことを思い出すのは大切だ」(同書、250ページ)。



そのカーギル危機において、核武装したパキスタンは核保有国のインドとの領土紛争を優位にしようと通常戦力に訴えましたが、結局のところ失敗しました。

核兵器による強制外交は、①政治目的を通常戦力で達成できるかどうか、②強制に賭けるものがどのくらい大きいものなのか、③強制を実行する際に支払うコストはどの程度になるのか、といった要因に左右されます。ロシアが核恫喝で西側をけん制しながらクリミア半島を編入して既成事実化したことや、1962年10月のキューバ・ミサイル危機において、ケネディ政権がソ連のフルシチョフ首相にキューバに配備した核ミサイルを強制的に撤去させたことは、②の条件を満たす稀な事例でしょう。

ダビデがゴリアテを倒す世界
現代における国際関係は、核武装した大国が中小国の抵抗にあったり振り回されたりするストーリーに満ちています。セクサー氏とファーマン氏によれば、核武装国の強制は、第二次世界大戦から2001年までの全ての事例において、40件も失敗しています。核兵器を持たない小国でも核大国に平気で歯向かうのです。プエブロ号事件において、超大国のアメリカは小国の北朝鮮に振り回されました。1968年、アメリカの情報収集艦プエブロが北朝鮮に拿捕され、乗組員のアメリカ人は人質にとられました。アメリカは原子力空母や戦略爆撃機を北朝鮮周辺に展開して、同号の返還と人質の解放を要求する「瀬戸際外交」を展開しました。しかしながら、北朝鮮は強硬な態度を貫きました。結局、アメリカは人質を解放させるだけにとどまり、北朝鮮に対して謝罪することに追い込まれただけでなく、プエブロ号を取り戻せませんでした。その他、マヤグエース号事件のカンボジア、米大使館員人質事件のイランなどもアメリカに盾付き、武力の威嚇による要求も受け入れず抵抗しました。

日本が尖閣諸島を国有化した際に、中国は核兵器で脅して、この問題を自国にとって有利にしようとしましたが、日本政府にはまったく効きませんでした。多くの事例では、核による強制は、それを成立させる条件が満たされないので、その威嚇は信頼性に欠けてしまいます。その結果、国家は核兵器で恫喝しても、相手はそう簡単には言うことを聞かないのがしばしばなのです。

要するに、政治学の常識は、核兵器による強制を否定しているのです。このことについて、ジョン・ミアシャイマー氏(シカゴ大学)とセバスチャン・ロザート氏(ノートルダム大学)は、「核兵器による強制の理論は、核兵器を持つ国家が、それを使って非核国を脅して……その行動を変えさせられるという……しかし、この理論を経験的に検証したところ、学者のコンセンサスは、これには信ぴょう性がないということであった」(John J. Mearsheimer and Sebastian Rosato, How States Think: The Rationality of Foreign Policy, New Haven: Yale University Press, 2023, p. 58)と結論づけています。

強制外交だけでなく戦争においても、核武装した大国は小国に何度も敗れています。冷戦の二極システムにおいて、アメリカはベトナム戦争で北ベトナムに敗れました。これはソ連と中国というパトロン大国がクライアント国である北ベトナムを支援したからだと説明できるかもしれません。それでは、ニクソン政権は核兵器による脅しを北ベトナムにかけて屈服させようとした強制外交は、どうだったでしょうか。これはハノイ政権には全く効きませんでした。アメリカの核恫喝は北ベトナムから何の譲歩も引き出せなかったのです。冷戦後の単極時代には、アメリカはアフガニスタンとイラクに侵攻しましたが、これらの「永久戦争」において、アメリカは事実上、敗北しました。アメリカ以外の大国も小国に対する戦争で何度も苦戦もしくは敗退しています。1979年、ソ連はアフガニスタンに侵攻しましたが、これはみじめな失敗に終わりました。中国はベトナムに対して「懲罰戦争」を行いましたが、その結果は「勝利」とは程遠いものでした。

羊飼いのダビデが巨人兵士のゴリアテを倒す物語は、『旧約聖書』に載っている有名なものです。国際政治の世界において、このストーリーさながらのことは、私たちの直観に反して何度も起こっているのです。国際関係の分析において、感覚的な思考や判断はあまり当てにできないからこそ、信頼性のある理論(=政治学の常識)が必要になるのです。こうした点について、政治学者の河野勝氏(早稲田大学)は次のように主張しています。「メディアに登場するコメンテーターや評論家たちが、何の根拠もなく、また政治学の常識からすると明らかに間違った解説を平気で述べていることに対しては、『プロ』としてチェックの目を働かせ、時には憤りを感じて彼らを批判し、学生たちに対してはそうした素人たちの誤りを見抜くリタラシーを高めよ、と教育する(のだ)」(河野勝『政治を科学することは可能か』中央公論社、2018年、ivページ)。私がどれだけ能力のある「プロ」なのかはさておき、この指摘には頷くしかありません。核武装国が中小国に対して無理難題を強要できるようになるという言説は少なくとも、核兵器を使用することのコストとリスクを軽視しているだけではなく、損失を回避するためにリスクを顧みずに死に物狂いで抵抗する中小国の行動を理解していない「俗説」、すなわち「政治学の常識」に反するといってよいでしょう。




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ウクライナ戦争の倫理的判断を問う

2023年09月28日 | 研究活動
政治学者のスティーヴン・ウォルト氏(ハーバード大学)がアメリカの外交専門誌『フォーリン・ポリシー』に寄稿した記事「ウクライナ戦争をめぐる倫理は、とても陰鬱なものである」は波紋を広げています。彼は、リアリストが伝統的に重視する「結果(責任)倫理」の基準から、今や「通説」として定着しつつある「ウクライナ軍によるロシア軍への反攻は正しい」という言説をこう批判しました。

「もし友人が何か不用心なことや危険だと思うことをしようとする場合、その友人がどんなに強い意志を持っているとしても、あなたには、その努力を助ける道徳的義務はない。それどころか、彼らが望んだとおりに行動するのを手助けし、その結果が悲惨なものである場合、あなたは道徳的にとがめられることになる。

強硬派には、戦争に対する彼らの妥協なきアプローチが、長期的にはウクライナにより甚大な害を及ぼしうることを認めてほしい。それは強硬派が望んでいるからではなく、彼らの政策提言が生み出すものであるかもしれない。プーチンには戦争を始めた責任が…ある一方、この悲劇の責任の一端は、(NATO拡大などの)自分たちの政策がどのような事態を招くかについての以前の警告をすべて拒否した西側諸国の人々にもある。

同じような人々の多くが、戦争を継続し、賭け金を高めて、西側の支援を強化するよう声高に訴えていることを考えれば、彼らの助言がウクライナにとって過去と同じように今日も害を及ぼすかどうか、疑問に思うのは当然だろう」。

ここでウォルト氏が主張したいことのポイントは、次のようになるでしょう。①ウクライナ軍が「反転攻勢」を続けてもロシア軍を占領地から完全に撤退させられる見込はほとんどなく、むしろ、さらに多くの犠牲者を生み出すことになるだろう。こうした結果になることが分かっているにもかかわらず、それを後押しすることは倫理的に正当化できない。②国際法を破ってウクライナを侵略したロシアが悪いのは当然であるが、ロシアの言い分を無視して同国を追い詰めたのみならず、外交による戦争回避のチャンスを活かせなかったアメリカやその同盟国にも道義的責任はある。

私は、ウォルト氏の主張がもっともだと判断したので、彼のX(旧ツイッター)のアカウントに賛同する旨の投稿をしたところ、これに同意する人はほぼ皆無であるどころか、猛烈に罵倒されました。ウォルト氏や私に対する非難のパターンは、おなじみのものです。すなわち、ウクライナのロシアに対する「徹底抗戦」に少しでも疑問をはさむ人間は、恥ずべき「親ロシア派」であるということです。ご参考までに、ウォルト氏のXのアカウントに寄せられた「イイね」の数は約1200件である一方、コメントもほぼ同数です。コメントにざっと目を通したところ、大半が彼に対する批判のようでした。

正義の戦争と不正な戦争
国家間の関係をみるレベルは、4つに分けることができます。すなわち、①国際関係の基本的ロジックの「理解」、②国際関係の現象の一般的原因の「説明」、③国際関係の歴史の「記述」、④国際関係の出来事に対する倫理的「判断」、です(中本義彦「規範理論」吉川直人・野口和彦編『国際関係理論(第2版)』勁草書房、2015年、296頁)。ロシア・ウクライナ戦争の言論空間では、これら4つの次元で、さまざまな議論が展開されています。国際関係論のリアリズムやリベラリズムといった理論的パラダイムは①に関するものです。「なぜロシアがウクライナを侵略したのか」という疑問は、②についてのことです。リアリストは主としてNATO拡大、リベラル派は、民主主義の波及やプーチン大統領の帝国主義的野心とか失地回復主義の野望などに原因があると主張しています。戦争の経緯の報道は、主に③の領域になります。そして、多くの人たちは、ウクライナ戦争について、①~③の議論だけではなく、④の倫理的判断も下そうとしているのです。

われわれは、国際関係の出来事を説明したり理解したりする際に何らかの理論に頼るのと同じように、倫理的判断をする際にも、何らかの基準を必ず用いています。その際、ほとんどの人たちは、その基準を明確に意識していないようです。しかしながら、国際政治の世界にも、倫理に関する「規範理論」があり、多くの研究者が長い時間をかけて、それを発展させてきました。その代表的なものが「正戦論」でしょう。正戦論では、戦争は「正義の戦争」と「不正な戦争」に分類されます。国境を越えて武力で他国の領土に侵攻する行為は、原則として「不正な戦争」、わかりやすく言えば「侵略戦争」になります。したがって、道義的に正当化はできません。ロシアのウクライナ侵略は、もちろん「不正な戦争」として批判されるべき悪い行為です。その一方で、国家の独立や主権を守るために侵略国に武力で立ち向かうことは「正義の戦争」、わかりやすく言えば「自衛戦争」です。したがって、ウクライナがロシアの侵略に対して占領地を取り戻そうとして戦っていることは、「正義の戦争」として擁護されるべき行為ということになります。これにはリアリストもリベラル派も、ほとんど全員が同意するでしょう。もちろん、私もこの判断に異論はありません。

政治の世界における倫理的パラドックス
水戸黄門の時代劇のように、正義に立った者が常に悪者を倒すのであれば、世界の出来事は単純な倫理的規準で判断しても問題ないでしょう。人は正しいと思うことを素直に実行すればよいということになります。しかしながら、政治の世界は、必ずしも、そうなりません。すなわち、善いと思う行為が悪い結果になったり、悪いと思う為が善い結果になったりすることが珍しくないのです。たとえば、人々が平等に暮らせる世界は望ましいものであると、多くの人は考えるでしょう。共産主義国は、こうした平等な社会の建設を目指しました。その結果は、どうだったでしょうか。旧ソ連や中国、カンボジアといった国家では、特権階級あるいはブルジョワジーに属すると判断された人たちが、徹底的に弾圧されたのです。

毛沢東が始めた「大躍進政策」では、ブルジョワ階級の人たちは強制的に農業に従事させられました。だれもが農作業をやれば平等であるというわけです。しかしながら、素人が突然に農業を始めたところで、その生産力は向上しません。むしろ、大躍進は大飢饉を招きました。その結果、中国では約4500万人もの人が非業の死を遂げたのです(フランク・ディケーター『毛沢東の大飢饉』草思社、2011年)。しかも、こうした悲劇は中国だけに限られたものではありません。いわゆる「共産主義国」では、誰もが平等で幸せに暮らせる社会が創られるどころか、国家の官僚機構が国民生活を統制することにより人々の自由が奪われ、共産主義体制を脅かすという理不尽な理由などにより、反体制派に対する徹底した弾圧が断行されたのです。その結果、おびただしい無辜の市民の命が理不尽に奪われました。共産主義政権の圧政下で失われた命は、ソ連では約2000万人、中国では約6500万人、北朝鮮では約200万人、カンボジアでは約200万人といった想像を絶する数に上るのです(ステファヌ・クルトワ、ニコラ・ヴェルト『共産主義黒書』恵雅堂出版、2001年、12頁)。

「地獄への道は善意で舗装されている」という格言があります。これは政治の世界を倫理的に考える際には、決して忘れるべきではない言葉です。

逆に、悪いと思われる行為が善い結果をもたらすこともあります。その1つが相互核抑止でしょう。私が居住する周辺地域の自治体は、こんなことを言っています。「私たちは、平和を愛するすべての国の人々とともに、真の永久平和を実現することを決意し、ここに『核兵器廃絶平和都市』を宣言します」。核兵器は、ヒロシマ・ナガサキで20万人以上の市民の命を奪いました。これは文字通りの「悪魔の兵器」でしょう。その一方で、核兵器は第二次世界大戦後の「長い平和」を維持する大きな役割を果たしたと言われています。冷戦史の大家であるジョン・ルイス・ギャディス氏(イェール大学)は以下のように主張しています。

「(冷戦期に)どれほど多くの危機が米ソ関係に振りかかったことか。これが他の時代、他の敵対国間のことであれば、遅かれ早かれ戦争になっていたであろう。戦争にならなかったのは……核抑止の作用から生まれた……戦後国際システムの安定化効果……である。核兵器は、かつてならば戦争になってもおかしくないエスカレーション・プロセスを(米ソの政治指導者に)思いとどまらせた」(ギャディス『長い平和』芦書房、2002年、396-398頁)。

要するに、究極の殺戮道具である核兵器は、それが使用された場合のコストがあまりにも大きいために、核武装した国家の指導者は、相互に戦争になるような行為を避けるようになった、ということです。その結果、冷戦は国際政治史上、最も長い間、大国間戦争が起こらなかったという意味で「平和」だったのです。もちろん、核抑止は「恐怖の均衡」と呼ばれるように、核武装国同士が「絶対兵器」で脅し合うことで戦争を防ぐのですから、これを拒絶したい感情を持つ人は少なくないでしょう。相互核抑止は「過剰殺戮」という手段に訴えるものである以上、人道に反するのだから、倫理的に正当化できないという主張は、正しいように思えます。しかし、よく考えると、そうとも言えないことが分かります。なぜなら、悪である核兵器を廃絶した世界が、今よりも安全であるとは思えないからです。このことについて、ジョセフ・ナイ氏(ハーバード大学)は、核抑止をこう擁護しています。

「核兵器の恐怖につきまとう精神的な苦痛といったものは存在する。それは、いってみれば抑止の利益にたいして課せられたコストなのである……核時代の憤怒は高いものにつくかもしれない……反核十字軍運動が、かえって破局的結果を招くことにもなりかねない……絶対主義の類推にもとづく(核廃絶)政策は、核戦争の危険を小さくするよりもむしろ大きくするであろう……ある国がごまかしをやろうとしたばあい、いったいどうするのか……核廃絶に調印したからといって、そのような行動をなくせるとでもおもっているのだろうか」(ナイ『核戦略と倫理』同文舘、1988年、115、138-141頁)。

核軍縮が極度に進んだ世界は、皮肉なことに、核兵器の政治的価値を吊り上げてしまいます。そして、ある国家が少数の核兵器であれ単独で保有することになれば、それを脅しの手段として利用して、他国を支配しようとするかもしれません。そのような事態になることを恐れる国家は、敵対国の核保有を阻止するために予防戦争に訴えるインセンティブを高めるでしょう。こうして核廃絶に近づく世界は、核抑止が効いている世界より、はるかに不安定で戦争が起きやすくなると容易に予測できるのです。そして、こうした危険を避けること、すなわち、相互核抑止を維持することは、道義的に正しいと判断することができます。

結果倫理と信条倫理
政治の世界における倫理的パラドックスは、われわれに厳しい道義的判断を要求します。すなわち、いかなる政治問題であれ、国家や人間の行為がもたらす結果は、慎重に考慮すべきということです。このことの重要性を100年以上前に厳しく説いたのが、偉大な社会科学者であるマック・ウェーバーでした。かれは社会主義を目指す過激な暴力革命運動に陶酔する学生や知識人たちをこう諭したのです。少し長くなりますが、大切な部分なので引用して紹介します。

「信条倫理的な原則にしたがって行動するか(宗教的に表現すれば、キリスト教徒として正しく行動することだけを考え、その結果は神に委ねるということです)、それとも責任倫理的に行動して、自分の行動に(予測される)結果の責任を負うかどうかは、深淵に隔てらえているほどに対立した姿勢なのです……信条倫理の側は最終的には破綻せずにはいられないと思います……ドイツ軍の将校は、前線に攻撃にでかけるたびに兵士たちに……これで勝利すれば平和が訪れると言い聞かせたものでしたが、それと同じことです。

政治に携わる者……は悪の権力と手を結ぶ者であること、政治家の行動については、『善からは善だけが生まれる』というのは正しくなく、その反対に『善からは悪が生まれる』ことのほうが多いことを熟知していたのです。これを知らない人は、政治の世界では幼児のようなものなのです。

わたしが計り知れないほどの感動をうけるのは、結果にたいする責任を実際に、しかも心の底から感じていて、責任倫理のもとで行動する人が、あるところまで到達して『こうするしかありません、わたしはここに立っています』と語る場合です。これは人間として純粋な姿勢であり……誰もがいつか、このような立場に立たされることもありうるからです」(ウェーバー『職業としての政治/職業としての学問』日経BP、2009年、131-153 頁)。

もしわれわれが、ウクライナ戦争を信条倫理すなわちウクライナは正義の戦争を行っているのだから、倫理的判断はそれだけで済むと考えるのであれば、それで話は終わるでしょう。この戦争の結果がどうなろうと、ウクライナ人にどれだけの犠牲者がでようと、これがエスカレートして第三次世界大戦あるいは核戦争になろうと、正しい戦争を行っているのだから構わないという結論になります。私には、多くの人が、このように考えているように見えます。世の中には「善人」と「悪人」がいて、善人の行為は何でも正当化でき、悪人の行為は何でも不当であるという世界観です。これは信条倫理が支配する世界では、間違いなく正しいでしょう。

結果を見すえた倫理的判断の重要性
もしわれわれがウェーバーの主張を受け入れて、ウクライナ戦争を結果倫理から判断するのであれば、話は全く違ってきます。第1に、ウクライナ軍がロシア軍に勝利できる実行可能な戦略を持たないまま「反転攻勢」を続ける結果は、うまく行ったとしても、ごく狭い範囲の占領地の奪還である一方で、おびただしい戦死者をだすことになると高い確度で予測できるならば、それは必ずしも倫理的に正しい行為であるとは言えないということです。

今年の6月から本格化したウクライナ軍の反攻は、失敗に終わったと言ってよいでしょう。『ワシントン・ポスト』紙(2023年9月8日付)の記事に掲載された下のグラフを見れば分かる通り、この4か月間の「反転攻勢」でウクライナがロシアから奪還した占領地は1%未満に過ぎません。その反面、戦死者は約5万人にも達しました。そして、このような結果になることは、リアリストらが正確に予測すると同時に警鐘を鳴らしていたのです。残念ながら、こうした警告は、ことごとく無視されました。そして、このグラフの線が、今後、突如として下降することなど、「ブラック・スワン」が登場しない限り、そうならないだろうと予測するのが妥当でしょう。



それどころか、ウクライナは今よりも悪くなるかもしれません。戦争の行方は彼我の物質的な軍事バランスに大きく左右されます。ロシアとウクライナの兵力、火力といった要因を比較考量すれば、前者が後者に優位性を持っていることは否定できません。このことについて、これまでもウクライナ戦争について的確な分析を行ってきた、アメリカ陸軍の退役軍人であるダニエル・デーヴィス氏は、こう予測しています。

「主要な戦争の大半は……最も基本的な戦闘力を保持している側が勝利してきた。今回の場合、それはロシアを意味する……ロシアは、ウクライナの戦力より多くの兵力、戦車、大砲を保有している(航空戦力と防空能力における永続的な優位性は言うまでもない)。単刀直入に言えば、ロシアとの消耗戦でウクライナを支援し続けることは、さらに何万人、何十万人ものウクライナ人の命を奪い、さらに多くのウクライナの都市の破壊を招き、最終的にはプーチンに軍事的勝利をもたらす可能性が高い……道義的には、西側諸国はウクライナの勝利という軍事的に達成不可能な目的を達成するための虚しい努力を続けるべきでない。特に、そのような支援は、ウクライナの人命と領土を無意味に失う結果にしかならない可能性が高い場合には妥当ではない」。

この地図は、今年1月からの9か月間で、ウクライナの戦況がどのように推移したのかを示したものです(New York Times, 2023. 9. 28)。オレンジ色はロシアが拡大した占領地であり、水色はウクライナが奪還した領土です。ロシアは全ドンバス地方の掌握に失敗しましたが、占領地をほぼ維持してきました。その一方で、ウクライナの反攻はほとんど成果を挙げていません。ロシアの進軍は、我が国ではほどんど報道されていないようですが、実際には、このように占領地をわずかながら拡大しています。継続する膠着状態は西側のウクライナへの支援を減らすことになりそうなので、そうなるとロシアがウクライナにさらに深く攻め入る事態にもなりかねません。


こうしうた陰鬱な予測は信じたくないという気持ちも理解できますが、現実から目を背けても現実は変わりません。ウクライナは破壊されていくであろうことが分かったうえで、ウクライナ人に戦争の継続を勧めることは、はたして倫理的に正しい行為なのでしょうか。ウォルト氏は、そうではないと批判を恐れずに主張しているのです。

第2に、ウクライナ戦争は、アメリカや同盟国の外交により避けることが可能であった悲劇だということです。世界には善人と悪人が存在している、アメリカや西側諸国は「善人」であり、ロシアは「悪人」であるという「常識」は、われわれが受け入れやすい世界観ですが、そこには落とし穴があります。そもそもロシアをウクライナへの侵略へと駆り立てた1つの有力な原因は、善玉であるアメリカが主導する軍事同盟であるNATO拡大でした。だからこそ、こうした戦争原因論は「悪玉ロシアのプロパガンダに冒された陰謀論」であると広く信じられてきました。しかし、それは違います。ストルテンベルグNATO事務総長は、この戦争とNATO拡大の因果関係を最近になって遠回しに認めました。

「プーチン大統領は2021年秋に宣言して、NATOをこれ以上拡大しないとNATOが約束して署名することを求めた条約案を実際に送ってきた……そして、それがウクライナに侵攻しない前提条件だった。もちろん、私たちはそれに署名しなかった」。

ロシアによるウクライナのNATO非加盟の要求は理不尽である、NATOに入るかどうかはウクライナとその加盟国が決めることであり、ロシアにとやかく言われる筋合いはない、と多くの人は思うかもしれません。これは典型的な信条倫理による判断でしょう。しかし、その結果は、ロシアによるウクライナ侵攻であり、ウクライナの領土の約18%が占領されて、数百万人の国外難民が発生しただけでなく、約7万人のウクライナ人の戦死者をだしたということです。もちろん、これはロシアの悪行ですが、こうした悲惨な結果は、アメリカやその同盟国が、NATO拡大に対するロシアの警告に耳を傾けて、それを外交努力により妥結へともっていけたならば避けられた可能性が大いにあったのです。これは一種の「悪魔の取引」であり、信条的には受け入れがたいでしょう。ですが、これで戦争が回避できたならば、果たして、こうした妥協さえも不要であり不当であったと退けてもよいのでしょうか。ウォルト氏が、この戦争の責任は西側の人たちにもあるというのは、そういうことなのです。

最悪の事態を避ける政治的英知
ウクライナ戦争は核戦争にエスカレートする危険性を孕んでいます。これは決して考えられないことではありません。軍事や安全保障に関する世界屈指のシンクタンクであるランド研究所は、最近、この戦争が核戦争に拡大することを警告する報告書を発表しました。そこにはこう書かれています。

「ウクライナを停戦に追い込むようNATOを強制するために、ロシアは核兵器を使用できる。その目的は、戦況を安定させなければ、全面核戦争に発展するリスクが高まるとのシグナルをウクライナとNATOに送ることだ……ロシアがウクライナ国内で核兵器の使用を決定した場合、その数や種類は制限されないかもしれない。ロシアの指導部は、少数の核兵器や小型の核兵器しか使用しない場合のコストやリスクは、より多くの核兵器や大型の核兵器を使用する場合のコストやリスクと劇的に変わらないと認識する可能性がある」。

我が国には、ロシアの核の威嚇は「ブラフ」であることが分かったとか、それに怯むことは「プーチンの思うつぼ」であると主張する専門家と言われる人がいるのには、私は本当に驚かされます。なぜなら、そうした人たちは、核兵器を用いたバーゲニングやエスカレーションのメカニズムの本質を全く理解していないように思われるからです。核兵器による威嚇は、トーマス・シェリング氏が、60年以上前に「偶然性に委ねられた脅し」として説明しています。すなわち、核兵器で脅す側も脅される側も、それが暴発するかどうか、確実に分からないから威嚇として機能するということなのです(シェリング『紛争の戦略』勁草書房、2008年、第8章)。

ですから、核時代における鉄則は、正義が平和に道を譲ることに他なりません。実際、冷戦期において、米ソの指導者が核武装国への十字軍的な行動を抑制してきたからこそ、大国間戦争を起こさずに済んだのです。アメリカはソ連の勢力圏を尊重して、ハンガリー動乱もチェコスロバキアにおけるプラハの春も黙認して自重しました。ソ連も、アメリカが地域覇権の握る西半球に足を踏み入れたことにより起こったキューバ危機において、最終的には引き下がりました。こうした自制心や警戒心がウクライナ戦争に関与する核武装国の指導者には弱いように見えることは、たいへん心配です。

核戦争へのエスカレーションを避けなければならないという主張には、「ロシアの不当な侵略を許すというのか」という反論や、「ウクライナのことはウクライナ人が決めるべきである」という批判が必ず寄せられます。信条倫理は結果がどうなろうと、侵略国ロシアを罰するべきであり、ウクライナが徹底抗戦することは正しいとわれわれに告げます。しかし、このような判断は、核戦争へのリスク判断が甘いだけではなく、ウクライナが今よりも、さらにロシアに蚕食されて、最悪の場合、「破綻国家」になることを考慮に入れていません。この点について、前出のデーヴィス氏の以下の指摘は、傾聴に値すると思います。

「ウクライナの人々のために、戦争未亡人のために、日々生み出される父親のいない子供たちのために、ウクライナの街全体が無分別に破壊されることを悲しんでいる。もし自分の国が侵略されたら、私は悪魔のように戦うだろう。

しかし、抵抗を続けることが完全な敗北を招くのであれば……。

その時は、別の道を選ぶ英知が必要だ。ウクライナが豊かな未来を手に入れるためには、現在の厳しい試練を乗り越えなければならない。私は、キーウ、ワシントン、ブリュッセルの指導者たちが、ウクライナを存続させるために必要な厳しい選択をする知恵と能力を持つことを祈る」。

要するに、政治の世界では、より少ない悪を選択する高度な判断が、時に必要になるということです。それでも「ウクライナのことはウクライナ人が決めるべきだ!」という主張もあるでしょう。もしウクライナが単独でロシアと戦っているのであれば、これは政治的にも倫理的にも全く正しいといえます。しかしながら、ウクライナは、日本を含めた西側諸国の莫大な支援を得て、ロシアと戦争を行っています。株主が当該会社の経営に対して発言権があるように、ウクライナの要請を受けて税金から財政支援を行っている国家の国民にも発言権が認められるというのは、当然のことではないでしょうか。とりわけ、ウクライナ戦争が万が一、核戦争に発展してしまったら、我が国も無傷ではいられないでしょう。アメリカがウクライナに集中して資源を投入すれば、その分、アジアへの備えはおろそかになります。その結果、中国はより大胆な行動をとるようになり、日本の安全保障を脅かすかもしれません。ですから、そうした予測される悪い結果を避けようとするのは、決して批判されることではありません。われわれには、将来のある我が国の子供たちを守る義務があります。

マックス・アブラハム氏(ノースイースタン大学)は、「(ウクライナ戦争の)エスカレーションを防ぐために全力を尽くすべきだと考える人は、今や裏切り者なのだ。そして、新しいマントラはこうだ。われわれは、核兵器が炸裂した爆風を顔に感じるまでにならなければ、ウクライナでは十分に努力していないということになる」と、この戦争をめぐる異様な言説を皮肉っています。核のホロコーストを防ごうとするリアリストは、なぜ「裏切り者」の烙印を押されなければならないのでしょうか。こうした戦争拡大の危機感がほとんど共有されずに、信条倫理の判断だけが広く受け入れられる世界は、誠に恐ろしいものではないでしょうか。冒頭に紹介したウォルト氏の主張は、ウクライナ戦争をめぐる政治的現実を冷厳に見すえた政治学者による、倫理的に妥当で勇気のある発言であることをわれわれはもっと理解すべきでしょう。

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ロシア・ウクライナ戦争は、中国の対外政策にどのような影響をおよぼすのか?(更新)

2023年08月22日 | 研究活動
「ウクライナは明日の東アジアかもしれない」という有名なセリフは、岸田文雄総理大臣が昨年の5月に述べたものです。彼の念頭にあった懸念は、ウクライナに侵攻したロシアを懲らしめずに放置してしまうと、これをみた中国が東アジアにおいて、挑戦的な現状打破行動を加速化させることになりかねないということでした。確かに、中国の意思決定者がウクライナ戦争の成り行きを注意深く観察していることは間違いないでしょう。しかし、ロシアのウクライナへの侵略が「成功」したのだから、自分たちも台湾への侵攻をうまくやれるだろうと単純に学習して行動することなど、ほとんどあり得ません。侵略の連鎖が世界で起こるという「ドミノ理論」は、それが私たちの心に恐怖を与えるためにアピール力がありますが、これまでの国際政治研究は、特別な条件が整わない限り、こうした現象が起こることはなく、むしろ、侵略した国家に対しては周辺国が対抗行動をとることにより、その拡大を阻止しようとするバランシング行動がより一般的であることを明らかにしています。

戦争が起こる2つのパターン
国際政治の標準的なリアリスト理論が正しければ、国家の行動は関係国とのバランス・オブ・パワーに左右されます。このバランス・オブ・パワーと戦争の因果関係は、2つのパターンに整理することができます。第1に、コーナーにどんどん追い込まれている国家は、自国にとって不利に変化するパワー・シフトを止めるために戦争に訴えることがあります。衰退する国家の指導者が、自国の生存を脅かすように事態が変化しているという恐怖心を持つと、この運命から逃れる手段を戦争に見いだしうるのです。このような動機を高めている政策立案者は、国家としての生き残りを賭けて、手遅れになる前に劣勢を挽回することにより自国のパワー・ポジションを回復するチャンスを戦争に時に託してしまうのです。

これが「予防戦争」の発生メカニズムです。ロシアのウクライナ侵攻は、リアリストからすれば典型的な予防戦争です。アメリカが主導するNATO拡大はロシアの安全保障を脅かして低下させるものでした。このことはプーチン大統領の予防戦争への動機を高めてしまったと、ほとんどのリアリスト政治学者は推論しています。

第2に、国際的な地位をどんどん高めている国家が、自国にとって有利に変化するパワー・シフトを加速するか維持するために戦争に訴えることがあります。台頭する国家の指導者が、現状の変更は自らの安全保障や国益を高めることにつながると期待すれば、武力を巧妙に使って自国の影響圏を広げようとします。私は、これを「機会主義的戦争」と呼んでいます。そこでよく用いられるのが、「既成事実化」という現状を少しずつ変更していく戦術です。1970年代中頃から、中国は南シナ海におけるパラセル諸島やスプラトリー諸島を段階的に武力で占領して、軍事化を進めてきました。これは典型的な既成事実化による領土の拡大です。

若手政治学者のダン・アルトマン氏によれば、「既成事実化とは、敵の犠牲の下で限定された一方的利益を相手に押し付けるもので、敵が報復をエスカレートせず折れることを選んだ時に、その利益でもって逃げ切る試み」のことです。彼の調査によれば、1918年から2016年までの112件の領土掌握は、既成事実化によるものでした。この100年間でこれだけ多くの領土の征服が発生したにもかかわらず、私たちの記憶にあまり残らないのは、既成事実化という「侵略」を行う国家が、周辺国への領土の侵食を少しずつ行うことにより、外部に与える刺激を極小化するからです。国際秩序論者は、戦間期に国際連盟規約やパリ不戦条約などにもとづき誕生した領土保全規範が、この100年間で国際社会に定着してきたと主張していますが、上記のデータは、彼らが信奉する仮説を否定しています。つまり、領土征服行為は消滅しつつあるのではなく、より巧妙なものになってきたということです。

中国による台湾侵攻のシナリオ
現在、東アジアで最も懸念されているのは、中国による台湾侵攻です。習近平国家主席が、中国人民解放軍に対して、2027年までに台湾侵攻を成功させるために準備するよう命じたことは、広く知られています。もちろん、中国の指導者が何を考えているのか、その本当のところを確実に知ることはできません。私たちにできることは、台湾有事が起こるシナリオを想定して、それを防ぐことになりそうな手段をよく考えて実行することでしょう。中国が台湾に武力を行使することにより、日本周辺で戦争が勃発することなど想像したくありませんが、その可能性が決して低くないのであれば、私たちは「考えられないことを考える」必要があるでしょう。

「台湾有事」を最も強く懸念する識者が、トランプ政権で国防次官補代理を務めたエルブリッジ・コルビー氏です。彼はアメリカがウクライナ戦争に資源を集中して投入することにより、アジアへの備えが疎かになっているために、対等な競争相手国となった中国にアジアでの軍事的な優位性を与えているとみています。そして、これが中国に台湾侵攻の機会を与えてしまうことになりかねないというのです。

「端的に言って、我々には、ウクライナ戦争の明確な終結を待ってから、アジアに集中する余裕などない。我々はアジアで既に大きく出遅れており、時すでに遅しである。そして現在、広く共通する見方は、ウクライナでの戦争が何年も続くということだ。待つということは、アジアに決して集中しないことなのである」。

このような見方は、コルビー氏に限ったものではありません。ジェームズ・ウィンフェルド元提督とマイケル・モレル元CIA長官代行によれば、中国は既にワシントンが対応を決める前に台湾で既成事実をつくる能力を持っています。オバマ政権の国防次官だったミッシェル・フロノイ氏は、「台湾有事では、アメリカが航空、宇宙、海上の優勢を迅速に達成することには、もはや期待できない」と悲観的な分析をしています。そのフロノイ氏はマイケル・ブラウン氏との共著論文「台湾を防衛する時間は無くなりつつある」において、台湾をめぐる紛争では、中国は数日の内に既成事実を作ろうとするだろうから、アメリカは抑止を劇的に強化して、台湾征服を成功させる能力への北京の自信を掘り崩す必要があると訴えています。

長期化するウクライナ戦争
ウクライナ戦争はアメリカに対して、ウクライナ支援に資源や労力を割くよう促す一方で、中国の台湾侵攻を抑止するための備えを疎かにさせるトレード・オフ(一方が成立すると他方が成立しなくなる関係)を生み出しています。このトレードオフは、ウクライナ戦争が長引くと、より深刻なものになっていきます。バイデン大統領は昨年、「我々は台湾を守る」と宣言しました。しかし、その公約を軍事的に支えるアメリカの動きは、ウクライナ情勢に足元をすくわれているために、うまく行ってないようです。ブラフマー・チャラニー氏は、バイデン政権が、インド太平洋戦略は明らかに失敗しているにもかかわらず、それを修正できていないと以下のように批判しています。

「現在消耗戦となっている戦争へアメリカが関与を深めることは、西側の軍事資源を消耗させるだけである。インド太平洋地域で安全保障上の課題が増大しているときに、アメリカの力を削ぐことになる。実際、ウクライナへのアメリカの武器の氾濫は、すでにアジアにおけるアメリカの軍事力を弱めているのだ」。

そのウクライナ戦争は長々と続きそうな気配です。なぜならば、ウクライナ軍がロシア軍を2014年のクリミア侵攻前どころか2022年2月の開戦以前までに原状復帰できる見込みは、ほとんどないからです。クラウゼビッツの警句を引くまでもなく、戦争とは、偶然性に広く支配される人間の営為なので、その行方を正確に予測することは極めて困難です。しかしながら、入手できる情報を総合すれば、ウクライナがロシアに戦争で早々に勝利を収める可能性は低いでしょう。言い換えれば、ロシア軍をウクライナ領土から早期に撤退させられそうにないのです。

これはアジア情勢だけでなく、交戦国にとっても懸念すべきことでしょう。戦争は平均すると4か月程度で終わります。しかしながら、ロシア・ウクライナ戦争は、発生してから1年半が過ぎました。この戦争は既に長期戦なのです。戦争の犠牲者は、恐ろしいことに「べき乗則」で増えます。先日、惜しくも急逝されたビアー・ブラウメラー氏とその弟子であるマイケル・ロパト氏の研究によれば、全戦争の半数での死者の平均は約3000人ですが、残り半数の戦争では平均死者数が一気に約65万人まで上がるのです。ウクライナ戦争は、数十万人から数百万人の犠牲者をだすような大規模な戦争になってしまうかもしれません。

初夏から本格化したウクライナ軍によるロシア軍への「反転攻勢」は、北大西洋条約機構(NATO)の訓練や武器供与を受けたものでした。新兵器、新訓練、大砲弾薬の投入で武装したウクライナ編成部隊は、ロシア軍の陣地に侵入して大きく前進するというのが、NATOのシナリオでした。しかしながら、諸兵科連合作戦といった西欧流の機動戦を遂行するための複雑な訓練を施すことは、ロシアの砲撃に次ぐ砲撃を前にしたウクライナ兵を救うことにはなりませんでした。そこでウクライナ軍は小規模部隊によりロシアの防衛ラインを個別に突破することを目指す戦術に変更しました。このウクライナの戦術変更を決断は、『ニューヨーク・タイムズ』紙の記事によれば、NATOの目論見が実現しなかったことを示す明確なシグナルだということです。

こうした新しい戦術は、ウクライナ軍にどの程度の力をあたえるのでしょうか。残念ながら、ウクライナにとって戦況の行方は依然として暗いようです。イギリスの安全保障情報会社ジェーンズのアナリスト、ジャン・ルカ・カポヴィン氏とアレクサンダー・ストロネル氏は、小規模部隊によるウクライナ軍の攻撃は、「大量の死傷者、装備の損失、最小限の領土獲得に終わる可能性が極めて高い」との見通しを示しています。

ウクライナ戦争を長期させる別の要因は、関係各国が出口戦略を描けていないことにもあります。マルカス・ウォーカー氏は、『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙に寄稿した記事において、その理由を次のように述べています。

「ロシアの対ウクライナ戦争は、あと数年続く長期戦になる危険性がある。その理由は、前線での戦闘が遅々として進まないということだけでなく、(モスクワやキーウ、ワシントンにいる)主要なアクターがいずれも明確で達成可能な政治目標を持っていないからである」。

この予測通りにウクライナ戦争が長期化してしまえば、アメリカは東アジアの平和と安定にとって重要な役割を果たせなく恐れがあります。なぜならば、継続するウクライナ戦争がアメリカに軍事関与を促す結果、それだけワシントンは中国の膨張行動を拒否することにリソースを割けなくなるからです。もちろん、ワシントンが戦略の優先順位をヨーロッパからアジアに移す可能性はあります。最新の世論調査によれば、アメリカ国民の半数以上は、ロシアとの戦争に突入したウクライナを支援するための追加資金を議会が承認することに反対しています。全体として、55%がアメリカ議会はウクライナ支援のための追加資金を承認すべきではないと答えているのに対し、議会はそのような資金を承認すべきだと答えているのは45%です。また、51%が「アメリカはすでにウクライナ支援に十分なことをしている」と答え、48%が「もっとすべき」と答えています。ワシントンは、こうしたアメリカ国民の意向を受けて、ウクライナ支援を段階的に縮小するかもしれません。そうなればアメリカには、アジアにより注力できる余地が生まれます。

ウクライナ戦争への中国の見方
肝心な中国はウクライナ戦争をどのようにみているのでしょうか。北京の指導者の本音を知ることはできませんが、中国の識者の見解から、それをある程度は推測できるでしょう。このことについて、政治誌『ポリティコ』のヨーロッパ版が貴重な調査結果を記事にしています、それによれば、中国は以下のように考えているようです。

第1に、中国はウクライナ戦争を重視していません。中国からすれば、ウクライナ戦争は米中の「代理戦争」にすぎないのです。アメリカはウクライナ、中国はロシアを「代理人」として戦っているということです。むしろ中国が重視していることは、あくまでも将来にやってくるであろう大国アメリカとの対決なのです。

第2に、中国はロシアの側に立つことで、失うものより得るものの方が大きいと感じているようです。そして、モスクワは今や、せいぜい北京のジュニア・パートナーであるという明確な感情が中国で生まれつつあります。ロシアの軍事的パフォーマンスについては、中国の専門家のほとんど全員が、明らかな嘲笑の反応を示したそうです。そして、ロシアはもはや大国の地位には値しないと考えている人がかなりいるということです。

第3に、中国の識者には、ウクライナ紛争によって台湾での戦争の可能性が高くなったと考える人もいれば、低くなったと考える人もいるということです。「ウクライナは台湾ではない」というのが中国政府の公式見解ですが、中国の学者たちは、台湾をめぐり西側諸国が中国との直接的な交戦を必ずしも計画するわけではなく、台湾を武装させ、日本のような地域の大国を支援する、「ヤマアラシ戦略」を採用するだろうと考えているようです。

第4に、ウクライナ戦争は北京にとっては、西側の弱点を突いて中国を国際的により安全な国家にする機会を提供するもののようです。中国は、グローバル・サウスとの関係を拡大し、平和の仲介者としてのイメージを高めて、経済的に自立する努力を加速させているということです。

このようにウクライナ戦争は、中国にとって、ライバル大国であるアメリカの国力を弱体化させる機会であり、その国際的な地位を高めるチャンスを提供しているのです。ここにウクライナ戦争の最大の勝者は中国であるという意味があります。ただし、私たちにとって幸いなことは、対中強硬派といわれる人たちが懸念するほど、中国は、アメリカがウクライナ戦争に集中してアジアに軸足を移せないことで、台湾侵攻を成功させる可能性が高まったとは必ずしも判断していないことです。中国の台湾侵攻を抑止することに使える時間は、まだ残っているようです。

対中バランシング行動の必要性
アナーキー(無政府状態)の世界では、安全保障は不足しています。なぜならば、国家には生存を保証する公的な保護が提供されないからです。国家には世界110番通報する先がありません。したがって、国家は原則として自分の面倒は自分で見なければならないのです。そのために頼りになるのが、軍事力や経済力といったパワーにほかなりません。だから、国家はその極大化を目指すのです。中国がアジアで他国をパワーで圧倒する地域覇権国になろうとするのは、その意図に悪意があるからではなく、最大の安全を求める結果であると考えるべきでしょう。

その一方で、中国が安全保障を強化して覇権的地位に近づけば、周辺に存在する日本や台湾の安全は自動的に低下してしまいます。したがって、日本や台湾の安全保障は、中国が地域覇権国になることを阻止できるかどうかに大きく左右されます。しかしながら、今や超大国の地位に到達しつつある中国の覇権確立への挑戦は、日本や台湾だけで抑え込むことができませんので、同盟国であるアメリカの力を借りることが必要不可欠です。要するに、「東アジアを明日のウクライナ」にしないためには、日米などの主要国がバランシング行動をとることにより、中国に現状維持行動を強いなければならないのです。はたして、その試みはうまく行っているのでしょうか。このことについて、スティーブン・ウォルト氏は以下のように評価しています。

「バランス・オブ・パワー/脅威均衡理論が予測するように、アメリカとアジアのパートナーは今日、積極的に中国とのバランスをとっている。しかし、それらの国が正しいことを十分に行っているのか、予断を許さない。もし正しいことをやっているのであれば、アジアにおける中国の覇権の可能性はかなり低くなり、戦争のリスクは低下する。そうでない場合は、もう少し心配する必要があるだろう。この場合、アメリカは潜在的に分裂含みである(対中反覇権)連合を率いることができるか、やりすぎとやりなさすぎの間にスイート・スポットを見つけられるかどうかに、多くのことがかかっている」。

アメリカや日本といった主要国が、中国に対してスイート・スポットというにふさわしい対抗行動をとっているかどうかは、専門家の間でも判断が分かれるでしょう。私は、米中覇権争いのフラッシュ・ポイントである台湾をめぐる現在のバランス・オブ・パワーは、台湾海峡という「水の制止力」(敵国への揚陸作戦を著しく困難にする海洋の障害)が働くこともあり、中国に侵攻を思いとどまらせるように引き続き作用していると判断しています。しかしながら、ウクライナ戦争の長期化は、これに深く関与しているアメリカの注意を東アジアから逸らしてしまう決定的な要因であるために、時間の経過は中国に味方することになるでしょう。ホワイトハウスが台北への3億4500万ドルの軍事援助パッケージを発表した後、中国はアメリカが台湾を「弾薬庫」にしていると非難しました。それだけ中国は、アメリカが台湾を「ヤマアラシ」にするのを嫌がっているということです。台湾は190億ドル相当の兵器を購入しましたが、その多くはまだ台湾に納入されていません。ワシントンは台湾に携帯型防空システムに必要なミサイルを送る予定ですが、それがどの程度円滑に進むのか予断を許しません。

国際システムの要請に対応できない国家は、懲罰を受けることになります。現在の国際システムのパワー分布は、中国が台頭する一方でアメリカが衰退する方向に動いています。ロシアは中国の経済力の10分の1程度の「黄昏の大国」にすぎません。このような国際構造の変化が国家に求める行動は明確です。中国は地域覇権を目指すことになる一方で、アメリカは中国の封じ込めに力を注ぐべきだということです。二極化する国際システムにおいて、アメリカは「単極の瞬間」の残滓であるリベラル覇権主義を追求しても失敗するでしょう。なぜならば、アメリカにはヨーロッパとアジアの二方面で同時にロシアと中国を相手にできるパワーがないからです。購買力平価で比較すると、中国の国防費はアメリアの軍事費に肉薄しています。

アメリカも日本も限られた資源を効率的に配分するためには、戦略的な優先順位をきちんと定めなければなりません。それは台頭する中国とのバランス・オブ・パワーを保つことに注力するということに他なりません。コルビー氏がずっと言い続けてきた主張は戦略の核心をついています。すなわち、「アメリカは世界の潜在的紛争のすべてを単独でも同時にも処理できない。アメリカはアジアに集中し、ヨーロッパはロシアからの脅威に対する独自の防御を強化できるようにするべきなのだ。そこで中心的役割を果たさなければならないのはドイツである」ということです。最近、日米韓が「キャンプデービッド原則」に基づき「新たな同盟関係」に入ったことは、中国とのバランス・オブ・パワーを維持することを追求する、戦略的に正しい「第一歩」といってよいでしょう。日本政府には、くれぐれも戦略の優先順位を間違った政策をとらないようにしてほしいものです。


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リアリストに与えられた言論人としての使命

2023年06月23日 | 研究活動
「沖仲士の哲学者」として知られるエリック・ホッファー氏は、真の言論人に避けがたい悲哀を見ていました。かれは神聖な大義のために心身を捧げる人間の集団的行動を解明した社会学の古典『大衆運動』において次のように語っています。

「真の言論人はけっしてみずからの批判能力を、心からまた長期にわたって抑制することができないので必然的に異端者の役を与えられることになる」『大衆運動』紀伊国屋書店、1961年、167頁)。

なぜ言論人は「異端者」の烙印をおされてまで、批判をしなければならないのでしょうか。それは、間違った主張や言説、仮説、常識、思想などを批判により地道に退けることが、われわれを正しい判断に近づけてくれるからです。政治の世界において、ある主張が絶対に正しいと確証することは、ほとんど不可能です。ましてや、多種多様な政治的価値に優先順位をつけるなど、どうすればできるのでしょうか。国家主権、独立、安全保障、民主主義、福祉、人権、自由、環境保全などが、他の価値を損なうことなく実現することなど、めったにありません。それぞれの政治的要因は、基本的にトレード・オフの関係なのです。たとえば、「国家の安全保障のために、どこまで人権を制約することが許されるか」という問いに、民主社会の全てのメンバーが納得する解答などありません。われわれが利用できる真実や真理に近づく方法は、政治の領域において、あらゆる思考を批判や反証にさらすことにより、俗説やドグマ、間違った仮説、危険な思想やイデオロギーを丁寧に却下する以外にありません。つまり、批判とは、国家や社会の公共利益をより高める営みであり、より信頼できる議論を残していくことなのです。

空気に水を差さない言論人
私たち日本人は、総じて批判を嫌います。なぜならば、日本社会において、批判とは「空気」に「水を差す」行為に他ならないからです。山本七平氏による名著『空気の研究』は、多くの日本人に読み継がれています。本書でいう「空気」とは、言論空間における支配的で異論を許さない道徳的ナラティブのことです。こうした「空気」は我が国を何度に愚行に導きました。戦艦大和の沖縄への出撃は、その1つの例に過ぎません。

国家や社会の損失につながりかねない空気は、水を差さないと変わりません。このことについて、山本氏は以下のように言っています。

「『空気』とは一体何であろう。それは教育も議論もデータも、そしておそらく科学的解明も歯が立たない”何か”である…『空気』とは、まことに大きな絶対権をもった妖怪である…一つの宗教的絶対性をもち、われわれがそれに抵抗できない”何か”だ…戦後の一時期われわれが盛んに口にした『自由』とは何であったのか…それは『水を差す自由』の意味であり、これがなかったために、日本はあの破滅を招いたという反省である…戦争直後『軍部に抵抗した人』として英雄視された多くの人は、勇敢にも当時の『空気』に『水を差した人』だったことに気づくであろう…われわれは今でも『水を差す自由』を確保しておかないと大変なことになる」(『空気の研究』文藝春秋、1983年、16, 19, 31, 171頁)。

この山本七平氏の警句は、40年前に発せられたものです。ひるがえって、現在を生きるわれわれは「水を差す自由」を十分に持っているのでしょうか。答えは「ノー」でしょう。ロシア・ウクライナ戦争は、日本人が「水を差す自由を尊重している」かどうか、厳しくテストしています。そして、残念ながら、われわれは、このテストに落第しつつあります。なぜならば、この戦争をめぐる「空気」すなわち「邪悪なロシアをウクライナが敗北させる」という論壇やメディアでの支配的な言説に対して、ほとんど誰も「水」を差そうとしないからです。政治学者の中で「異端者」すなわち「親露派」の烙印をおされる覚悟をもって、ウクライナに寄り添うことを当然とみなす人を批判する学者は、真のリアリストを除けば、あまり見当たらないありさまです。「消耗戦の行方を左右する火力においてロシア軍に劣勢であるウクライナ軍の反転攻勢は、はたして『戦艦大和の出撃』のような無理はないのだろうか」。「ウクライナ軍が同国の東部のみならずクリミア半島からロシア軍を排除する、実現可能な戦略はあるのか」。こうした問いは、決して突拍子のないものではありません。にもかかわらず、こうした疑問を口にすることさえはばかられる「空気」が、日本をおおっています。だからこそ、私たちは山本氏の戒めに、今こそ耳を傾けるべきなのです。

誤解が生まれないように断っておきますが、わたしはロシアを擁護したり、プーチンの政治的行為に「免罪符」を与えたりする意図を持ちません。同時に、私はウクライナを貶したり、ゼンレンスキー大統領を愚か者と呼んだり、ウクライナ軍を無能だというつもりも全くありません。私が言いたいのは、この戦争の言論を支配する「空気」の呪縛を意識して、そこから脱却する自由の価値を再確認することが、健全な民主社会を維持するのに不可欠だということです。我が国における論壇の健全性と言論の自由を守るためには、「知識人」こそが必要に応じて、ロシア批判やウクライナ批判、日本批判を率先して行わなければなりません。

異端者としてのリアリスト
政治学には「リアリスト」と呼ばれる学者がいます。リアリストは、国家が何らかの制約の下で行動せざるを得ないことを重視します。現在のリアリスト学派の主流である「ネオリアリスト」は、無政府状態とバランス・オブ・パワーが国家の行動を方向づけると考えます。他方、「古典的リアリスト」は、政治指導者が外交や国政術を通して、国際政治に一定の影響力を行使できると信じています。それでも、あらゆるリアリストは、人間を自由な行為主体とはみなしません。古典的リアリストのハンス・モーゲンソー氏でさえ、「政治は…人間性のその根源をもつ客観的法則に支配されている…政治家は力として定義される利益によって思考し行動する」と仮定しています(『国際政治(上)』岩波書店、2013年〔原著1948年〕、40, 43頁)。要するに、リアリストは、国家そして指導者が政治的制約から解放されたアクターではないことを認めるのです。

リアリストは政治学界で主流派ではありません。くわえて、この学派の人たちは実際の実社会でも嫌われています。その理由は、政治学者のダニエル・ドレズナー氏(タフツ大学)によれば以下の通りです。

「政治に対する(リアリストの)構造的な説明は、政治家にも富裕層にも評判がよくない。なぜならこの理論はつまるところ個人のもつ力は非常に小さいと言っているからで、何か成し遂げたいと考えている政治家とはまったく相いれない…メディアもこうした決定論的な世界観には興味を示さない…パトロンになる可能性のある富裕層も…(リアリスト)政治学者の構造論を嫌っている」(『思想的リーダーが世論を動かす』200頁)。



これには納得です。国家や人間はエージェント(自律した自己決定権を行使できる行為主体)ではなく、国際システムのユニット(パーツ)のようなものであるという、構造的リアリズムの世界観は、誰にとっても不愉快でしょう。国際政治のリアリズム理論がどれだけ高い説明能力を持っていたとしても、それは大半の人にとっては、理屈抜きにして受け入れがたいということです。

キャンセルのリスクを冒すリアリスト
ロシア・ウクライナ戦争の言論において、リアリストが排除されるのも、その説明が間違っているという理由ではなく、パワー・バランスで戦争の原因や行方を分析することへの根本的な嫌悪なのでしょう。攻撃的リアリストのジョン・ミアシャイマー氏(シカゴ大学)は、ウクライナ政府から「ロシアのプロパガンダ拡散者」の烙印をおされたのみならず、ウクライナに共感する人々から罵倒されています。なぜならば、彼はロシア・ウクライナ戦争の言論を支配する「空気」に「水」を差し続けているからでしょう。

ミアシャイマー氏によれば、ロシアのウクライナ侵略は、北大西洋条約機構(NATO)拡大により引き起こされた悲劇です。今から8年前の2015年に行った講演内容は「ウクライナがアメリカの強硬な政策に付き合い、ロシアとの妥協を拒むなら、彼らの国はボロボロになる」と予測するものでした。そして、ミアシャイマー氏の予想通り、ロシアの侵略が起こり、ウクライナは不幸にも破壊されています。

社会科学者が予測を当てた場合、その学者は称賛されるべきです。しかし、ミアシャイマー氏は、正確な予測を行ったにもかかわらず、ほめられるどころかけなされています。それはなぜでしょうか。最大の1つの理由は、彼がロシア・ウクライナ戦争の責任は、ロシアではなく、NATO拡大を推進したアメリカとその同盟国である「西側」にあると主張しているからです。国際法を破って侵略したロシアより西側の責任を厳しく問うミアシャイマー氏は、その分析が正確であっても、道徳的に許されないのです。

ミアシャイマー氏は、戦局がロシアの優勢、ウクライナの劣勢で進むとも分析しています。

「ロシアはまだ勝っていないが、最終的には、戦争に勝つだろう。消耗戦の行方は、①戦争への決意のバランス、②人口、③大砲の3つの要因で決まる。①について、ロシアもウクライナも相当な覚悟を持って戦っている。②について、ロシアは開戦時、人口において3.5対1の優位性を持っていた。くわえて開戦後に800万人以上のウクライナ難民が発生した結果、約5対1になり、そのうちの300万人がロシアに流れている。

③の砲兵は "戦いの王者 "である。砲兵のバランスは5:1から10:1の間でロシアが有利だ。アメリカはウクライナに与えるほどの大砲を持っていない。だから、かれらは戦車や飛行機の話をしているのだ。2つの軍隊が一対一で立ち向かい、火力でお互いを破壊しようとしている中、ロシアの方がウクライナより兵力も大砲も多い。

死傷者の交換比率は少なくとも2:1、つまり1人のロシア人に対して2人のウクライナ人が死んでいる可能性が高い。ロシア軍は無謀な正面攻撃をしていない一方で、ウクライナは大量の兵力をドネツク州バクムートに押し込んだが、負け戦となった。さらにいえば、ウクライナ人は徴兵に必死になりつつある。ロシアはまだ完全に動員されていない。

ロシアの目的は、ロシア系住民をすべて支配下に置き、再び "ドンバス問題 "が発生しないようにすることだろう。ロシアはウクライナ西部を奪いたいわけではなく(自分たちを嫌うウクライナ民族の征服は『ヤマアラシを飲み込む』ようなものなので)、ウクライナを機能不全の残存国家にして、自分たちを脅かせなくすることが目的だ。和平合意はありえないだろう。最善のケースは、紛争が凍結されることだ」。

このようにミアシャイマー氏は、ウクライナがロシアに勝利するストーリーを完全に否定しています。こうした予測は、ロシアとウクライナの相対的なパワーの優劣から導かれています。そして、この来たる結果は、国家や指導者の努力では変えられないということです。

これと同じような戦況の分析が、軍事のプロである自衛隊OBによるものであれ、軍事や安全保障の専門家によるものであれ、記事や論説として公に発表されたことを私は知りません(もし私が見逃していたら、ご教示ください)。他方、海外では驚くような率直な意見がだされています。ニーアル・ファーガソン氏(スタンフォード大学フーバー研究所)は、最近、フランス大統領顧問を含む人たちに、「もし来年11月にトランプが勝てば、ゼレンスキーはダメになるだろうか」とたずねたそうです。ある対話者の回答は「彼は何があってもダメだ。ウクライナは失った黒海沿岸を取り戻すことはできない。つまり、戦争は事実上終わり、プーチンが勝利したのだ」という、驚くほどの悲観論だったそうです。ここに日本とフランスの大きな落差を見るのは、私だけでしょうか。

「空気」がつくる危険なナショナリズム
リアリストは、国家や個人が自由に行動できる範囲をきわめて狭いものだとみなします。こうしたリアリストの分析では、ウクライナの国家としての主体性は捨象されてしまいます。これには多くの人が嫌悪感を覚えるでしょう。私たちは誰でも、自分の運命は自分次第で決められると思いたい。それが、この戦争の言説にも無意識に強く反映されるのです。ゼレンスキー大統領が卓越した政治手腕を発揮し、ウクライナ軍が高い士気をもって、巧みな戦術で反転攻勢を試みれば、ロシアに勝利できるだろうというストーリーは、政治家やメディア関係者、市民にとって受け入れやすいのです。

リアリストは、こうしたハリウッド映画のような希望に満ちた願望に冷や水を浴びせます。戦争の行方は、ロシアとウクライナの物質的パワー・バランスで概ね決まるのだと。だからリアリストは不可避的に嫌われる運命にあります。私はリアリストとして、この戦争を分析した記事をアゴラ言論プラットホームに発表し続けています。そして、それをまとめて書籍として刊行しようと思い、出版社に企画を持ち込んだのですが、ことごとく断られました。これには私の知名度の低さなどの要因も影響しているのでしょうが、そもそも出版社は、ロシア・ウクライナ戦争のリアリスト分析など、露骨すぎて情味もなければ、おもしろみに欠けるのみならず、そもそも営業上、割に合わないと判断するのでしょう。

「ウクライナ戦争は、われわれに命を賭けても守るべきものがあることを教えてくれた」といった感情を動かすようなソフトな主張は、リアリストの冷厳な実証分析より、政治家、政府関係者、メディア、市民、学生などに、広くアピールします。こうした情緒的ナショナリズムは、私からすれば、非常に危険なものであるように思われます。なぜなら、こうした耳ざわりのいいレトリックは好戦的なタカ派の「空気」をつくる結果、多様な言論を阻害するのみならず、政治や政策を硬直化させるからです。

くわえて、人間の心理的バイアスは、ひとたび形成された「空気」をますます濃密にしていきます。ノーベル経済学賞受賞者のダニエル・カーネマン氏は、批判的思考の重要性を認知科学の側面から以下のように指摘しています。

「自分の信念を肯定する証拠を意図的に探すことを確証方略と呼(ぶ)…『仮説は反証により検証せよ』と科学哲学者が教えているのにもかかわらず、多くの人は、自分の信念と一致しそうなデータばかり探す…判断に必要な情報が欠けていても、それに気づかない例があとを絶たない…(だから)意図的に『反対のことを考える戦略』は、バイアスのかかった思考を排除することにつながる」(『ファスト&スロー(上)』早川書房、2014年、148, 160, 226頁)。

要するに、ロシア・ウクライナ戦争の正確な分析には、西側メディアが流すウクライナ軍の戦果や強化とは相いれない情報を評価することが必要なのです。私は、真の言論人であった永井陽之助先生の謦咳に接することができた幸運な研究者です。永井先生は、かつて左派の進歩的知識人や平和主義者が論壇で大きな勢力となっている最中、自分を「異端者」にすることを覚悟して政治的リアリストになりました。リアリズムの「論文をあえて書くことが、不利であることくらいは十分よく知っていた」のです。永井先生が1966年に発表した有名な「日本外交の拘束と選択」は、構造的リアリズムのロジックに依拠したものです。「日本は、敗戦後、選択によってではなく、運命によって、米ソ対立の二極構造のなかに、編みこまれたのである」との分析は、非武装中立という「全能の幻想」を抱く学者や知識人への挑戦状でした。そのうえで、永井先生は「『正義』より『平和』を上位の価値にすえざるをえない深刻な苦悩を味わっていない平和主義者は…真に二十世紀を生きる人間ではない」と断じたのです(『平和の代償』中央公論社、1967年、80, 135, 223頁)。

この言葉は21世紀を生きる人間にも通用します。ロシア・ウクライナ戦争が核戦争や第三次世界大戦へとエスカレートすることを防ぐ「平和」より、プーチンを処罰することやウクライナの完全勝利という「正義」を擁護する人たちにも、そっくり当てはまるではありませんか。私は永井先生の足元にも及ばない学者ですが、リアリストに課せられた社会的使命を共有しています。それは嫌われようとも必要ならば空気に水を差すということです。そして、リアリストの視点を言論マーケットに供給することは、永井先生の学恩に報いることでもあると、私は信じています。

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ウクライナ軍の「反転攻勢」は、どのくらい成功する見込みがあるのか

2023年05月31日 | 研究活動
我が国では、「専門家」と言われる人たちが、メディアを通して、ウクライナ軍のロシア軍に対する「反転攻勢」について、さまざまな解説を行っているようです。私は、そのごく一部しかフォローしていませんので、確かなことは必ずしも言えませんが、日本と海外の専門家の見立てが、かなり違うように思えます。そこで、この記事では、来るウクライナ軍の反攻を分析した海外の識者による「楽観論」と「悲観論」を紹介したうえで、それらの説得力を検討してみることにします。

戦争と予測
戦争研究の泰斗であるカール・フォン・クラウゼヴィッツが強調するように、戦争はかなりの偶然性に支配されています。そのため戦争の行方を正確に予測することは極めて困難であり、研究者は、予測というリスクのある推論にはかかわらないのが賢明なのでしょう。その一方で、市民の皆さんが、ロシア・ウクライナ戦争の今後に注目していることを考えれば、専門家は自分の研究分野の重要な出来事の予測を避けるべきではないかもしれません。人間の予測力を科学的に研究した心理学者のフィリップ・テトロックとジャーナリストのダン・ガードナーは、予測について、こんな興味深い発言をしています。

「(人間の)予測可能性に限界があることを認めることは、あらゆる予測を無益な営みとして切り捨てることとはまったく違う…超予測力は柔軟で、慎重で、好奇心に富み、そして何より自己批判的な思考が欠かせない」(『超予測力』早川書房、2018年、24、38頁)。

そして彼らは、超予測者になるための10の心得を読者に伝授しています。その1つが「どんな問題でも自らと対立する見解を考えよ」(同書、380頁)です。これは分析や予想の精度を向上させるためには必須の作業でしょう。

楽観論
ウクライナの反転攻勢は成功するだろうとの楽観論を述べているのが、ロブ・リー氏です。彼は、シンクタンク「対外政策研究所」の上席研究員であり、ロシアの防衛政策を専門にする元海兵隊の士官です。以下のように主張しています。

「ロシアとウクライナの双方が常に全資源を前線に投入し、戦争は直線的なものだと思い込んでいる人がいると思うが、そういうわけではない。ウクライナはこの夏、ロシアが冬の間に得たものより、はるかに大きな前進を成し遂げるチャンスがある。弾薬の入手可能性や他の変数について重要な長期的問題が依然としてあるが、ロシアの冬期攻勢が失敗し、NATO加盟国からより高性能な武器が提供されることが最近発表されたため、私はウクライナの可能性についてより楽観的になっている。ロシアの装備問題は深刻化しており、戦闘・戦線維持のために囚人に頼ることが多くなっている。私は、ロシアがかなりの前進を実現するのに十分な攻撃力を回復できるのかどうか、懐疑的だ。問題は、現在支配している領土を守れるかどうかである」。

リー氏の楽観論の根拠は、①ウクライナは米国などの北大西洋条約機構(NATO)加盟国から、武器や弾薬などの供与等の支援を受けることにより、ロシア軍に深刻な打撃を与えられる攻撃力を得ることができる、②ロシア軍は兵士の質も装備も劣化している、ということです。①については、後ほど、詳しく分析することにします。②については、ロシア軍の実情を示す確かな情報が入手しにくいために、不確定要因として取り扱います。

悲観論
ウクライナの反転攻勢は失敗に終わるだろうと断言しているのが、ダニエル・デーヴィス氏です。彼は、「ディフェンス・プライオリティ」のメンバーであり、元米陸軍士官です。デーヴィス氏は、安全保障関係の記事を主に掲載するプラットフォームである1945に寄稿した論考「悲しい現実―ウクライナ戦争は今やロシアに流れが傾いている―」において、その理由を以下のように説明しています。

「ウクライナは(バフムートなどの)この4都市の戦いで、文字通り数万人の死傷者と膨大な量の装備・弾薬を失った。ロシア側の10対1の火力優勢を前提とすれば、ウクライナはロシア側よりかなり多くの死傷者を出したのは間違いないだろう。しかし、仮に犠牲者が同じであったとしても、ロシアにはより多くの戦闘員を集めることができる数百万人の男性がおり、必要な弾薬をすべて生産するための主要な国内産業能力もある。

簡単に言えば、ウクライナにはロシアと比較して、失った人員や装備を補う人材も産業能力もないのだ。しかも、ロシアは戦術的な失敗から学び、戦術的に改善すると同時に、産業能力を拡大していることを示す証拠がある。しかし、ウクライナにとって弾薬や装備の不足以上に大きいのは、訓練を受けた経験豊富な人材の数である。熟練した兵士や指導者の多くをわずか数ヶ月の間で補充することはできない」。

デーヴィス氏の悲観論の根拠は、①ウクライナ軍はロシア軍より兵士の損耗が激しい、②ロシア軍は戦術を改善しているので、昨年のような敗北を喫しにくい、などのようです。

楽観論と悲観論の比較考量
予測の裏づけるデータは、その妥当性を判断する有力な材料です。ただし、分析者は、エビデンスに対する過小反応と波状反応を避けなければ、予測の正確さを上げることができません(『超予測力』379—380頁)。ビッグデータの時代において、専門家は、自説を支持するエビデンスやデータを比較的容易に入手することができてしまいます。その結果、間違った推論を正しいと信じ続けたり、正しい主張を誤りだと判断したりする危険があります。したがって、エビデンスの解釈や適用は慎重に行う必要があります。私が入手できるデータには限りがありますので、それで楽観論と悲観論の勝敗を明確につけることはできません。これから分析することは、入手可能な証拠による両方の予測の相対的な妥当性の評価であることをご理解ください。

現時点では、残念ながら、ウクライナ軍の「反転攻勢」は劇的な戦果を上げられないとする、悲観論を支持するデータの方が優勢であるようです。

第1に、NATOがウクライナに供与するレオパルト戦車やF-16戦闘機などは、ロシア・ウクライナ戦争の趨勢を劇的に変える要因にはなりにくいということです。このことについて、マーク・ミリー米統合参謀本部議長は、婉曲な言い回しながら「戦争に魔法の武器はない。F-16はそうではないし、他のものもそうだ」と、高まるウクライナ軍の反転攻勢への期待にくぎを刺しています。フランク・ケンドール米空軍長官も「F-16は劇的なゲームチェンジャーにはならないだろう」と、冷静な判断を周囲に促しています。ランド研究所のブリン・ターンヒル氏も「F-16が戦場のバランスをすぐに変える可能性は極めて低いと思われる。ウクライナ上空の空域は引き続き争奪戦となり、ウクライナの地上軍は、ドローンを含むウクライナの既存の航空プラットフォームによる航空支援に頼る必要があるだろう」と指摘しています。彼らの言い分が正しいとするならば、我々は特定の武器や兵器がウクライナ情勢を一変させるだろうと期待しないほうがよいということです。

第2に、伝えられるところによれば、ロシア軍は火力でウクライナ軍を圧倒しています。マリア・R・サフキージョ氏は、3月1日時点で「ウクライナ戦争は大砲を中心とした激しい戦闘となり…ロシアは、キーウが自由に使える重砲1門に対して10門という数的優位性を持っている。さらに、ウクライナは弾薬が不足しており、緊急に砲弾を供給する必要があると、ゼンレンスキー政権は警告している」と報じています。この記事の内容が正しければ、ウクライナ軍は「消耗戦」の行方を大きく左右する重砲に代表される火力で、ロシア軍に大きく劣っているということです。

第3に、ウクライナ軍はNATOの訓練を受けて戦闘能力を向上しようとしているようですが、上手くいっていないことが報告されています。ウクライナ軍を訓練した元米兵によれば、これからロシアに対する攻撃を行う同軍は、分散型の作戦を行うミッション・コマンドや兵士の効率的な訓練の欠如しており、緒兵科連合の作戦を行うのが難しいようです。また、ウクライナ軍は、場当たり的な兵站(補給)やメインテナンスといった問題も抱えているとのことです。こうしたことはウクライナ軍の課題を以下のように浮き彫りにします。

「ウクライナは、大都市での大規模な攻撃作戦や大規模な河川横断をまだ実施していない。これらの作戦はいずれも非常に複雑で、資源と人手を要するため、成功させるためには歩兵、装甲、砲兵、兵站、医療など、すべての資産を緊密に同期させる必要がある。ウクライナ軍は…諸兵科連合作戦に関する訓練と作戦に再度焦点を当てるとともに、夜間作戦に熟達させる必要がある」。

戦術レベルの軍事的パフォーマンスは、このことを分析したカイトリン・タルマージ氏によれば、野戦指揮官のイニシアティヴと指揮官同士のコミュニケーションにより、砲兵、航空支援、機甲部隊、機械化歩兵、揚陸部隊、工兵等が強固で調整された行動をとれるかによります。残念ながら、現在のウクライナ軍は、こうした統合任務を遂行するのは難しいでしょう。つまり、ウクライナ軍が陸軍部隊の諸兵科連合作戦を行うことに四苦八苦しているのであれば、これに航空支援を組み込むことなど、そう簡単にはできないということです。

他方、ロシア軍は緒戦の失敗から学習して戦術を改善しているようです。ロシア軍の戦闘を詳細に分析した、英国王立防衛安全保障研究所の研究員であるジャック・ウォルトリング氏とニック・レイモンズ氏は、調査報告書「ミートグラインダー―ウクライナ侵攻2年目におけるロシアの戦術 ―」において、「ロシア軍には学習能力がある。ロシアの最初の傲慢さは、ウクライナの腕前に対する健全な尊敬に取って代わられた…兵力運用の欠点を特定し、緩和策を展開するための集中的なプロセス(がロシア軍にあると)の証拠はある」と結論づけています。

第4に、ウクライナ軍はロシア軍より兵士不足に悩まされるだろうということです。ロシア軍とウクライナ軍の戦死者については、確かな数字を入手するのは困難ですが、スイスのジュネーブ国際・開発研究大学院のプログラムである「小型武器サーベイ」推計によれば、ウクライナ軍の死者は、開戦から1年間で約64000人に上ります。これが仮に正しいとして、バフムートでの死闘による多くの戦死者を積み上げれば、戦前のウクライナ正規兵の約3分の1以上は失われたことになります。スイスのような中立国からの情報には、ロシアの偽情報が紛れ込んでいることがあり、その扱いには慎重になるべきですが、世界的に評価の高い研究機関のデータは無視できないでしょう。

もちろん、この戦争ではロシア軍も相当な死者をだしています。さらに、リー氏が指摘するように、ロシア軍の兵員や装備は、我々が想像する以上に劣化しているのかもしれません。これらの不確定要因が強くウクライナ有利に働けば、上記の悲観論を覆すかもしれません。しかしながら、ウクライナとロシアで兵士供給の潜在力を単純に比較すれば、後者が優位性を持つことは否定できません。ロシアには何百万人もの成人男性がいる一方で、ウクライナは、東部前線で経験豊富な兵士が激減していると伝えられているのです。

これらの証拠は、ウクライナ軍がロシア軍に大打撃を与えられる予測を弱めています。戦争に対する劇的な外生的衝撃がない限り、入手できるデータは「悲観論」を支持しているようです。

間接戦術は有効か
戦争の帰結は、物質的な軍事バランスだけでは決まりません。軍事組織が導入する戦術は、戦局を大きく左右します。このことについて戦略論の大家であるリデル・ハートは次のように指摘しました。

「あらゆる時代を通じて戦争に効果的な戦果を収めることは、敵の不用意に乗じて敵を衝くことを確実ならしめるように間接アプローチを行わない限り、ほとんど不可能である…間接アプローチの戦略はこの『敵の後方に向かう機動』をも包含し、それよりも広い意味を有する」(『戦略論』原書房、1986年〔原著1967年〕、4-5頁)。

つまり、ウクライナ軍が機動力を最大限に発揮して、間接接近によりロシア軍の不意を衝けば、大きな戦果を得られるということです。これについて専門家は、どのような見立てているのでしょうか。米国の海軍大学のジェームズ・ホームズ氏は、やや悲観的です。かれはこう分析しています。

「リデル・ハートの戦術が成功すれば、守備側の努力を狂わせ、戦場での決定的な勝利の道を開くことができる。しかし、ここでも奔流を構成するのは、大砲や航空戦力の支援を受けた大量の歩兵と機動兵である。ウクライナの指揮官は、このような作戦を実行するのに十分な人力や火力支援があるのか疑問に思うかもしれない。そして、それは正しいかもしれない」。



もちろん、ウクライナ軍がロシア軍の防御を突き崩すことは不可能ではないでしょう。ただし、ドイツ機動戦学派のスティーヴン・ビドル氏でさえ、「攻撃側な突破は適切な条件下ではまだ可能だが、十分な補給と作戦予備を背景に、準備された縦深防御に対して達成するのは非常に困難である」と指摘していました。ロシア軍の縦深防御はどの程度のものなのか、確かな情報が乏しいので確実には分かりませんが、この地図に示されたロシア軍の「要塞」の配置を見る限り、ウクライナ軍が突破と浸透を首尾よくできる条件には乏しいように現時点では思えてしまいます。くわえて、ロシア軍もウクライナ軍もドローンを戦場に大量に投入することにより、相手の行動を把握しやすくなっています。ドローンが戦争の霧を薄くしているのです。このためウクライナ軍がロシア軍の不意を衝いて機動戦を展開するのが難しくなっています。昨年のハルキウ反攻におけるウクライナ軍の「勝利」の再来を期待する声もありますが、これはシンプルにロシア軍に対して5倍近い兵力を集中できたからかもしれません。

要するに、ウクライナ軍は依然として厳しい道を進まなければならないだろうということです。今後、懸念されることの1つは、ウクライナ軍が大規模な「反転攻勢」を仕掛けた結果、損耗が激しくなり、ロシアの反撃に持ちこたえられなくない最悪の結果です。このことについて、前出のデーヴィス氏は「ウクライナは今、世界的なジレンマに直面している。最後の攻撃力を振り絞って、占領地で防衛するロシア軍に致命傷を与えるか、それともロシアが夏の攻勢を仕掛けてきたときに備えて力を温存するか。いずれの行動にも重大なリスクがある。私は、ウクライナが軍事的に勝利する可能性は今のところないと評価している。そのような希望を持って戦い続けることは、逆に領土をさらに失うことになりかねない」と心配しています。

国政術の要諦がより少ない悪を選択することであるとするならば、ウクライナにとってロシアに国土の一部を占領されているのは耐え難いでしょうが、キーウおよびその支援国は今以上のコストを支払う結果を避ける方策も視野に入れざるを得ないかもしれません。デーヴィス氏の言葉を借りれば、「西側諸国の多くがどれほど動揺しようとも、戦争の趨勢はモスクワに傾いている。これが観察可能な現実である。ワシントンがすべきことは、負け戦を支援する『倍賭け』の誘惑を避け、この紛争を速やかに終結させるために必要なことは何でもしなければならない」ということです。

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