母の部屋に入ったら、りんごの甘酸っぱい香りがふっと漂ってきた。仏壇に供えてある小さなりんご。柔らかな赤色で「千秋」という名前でスーパーで売られていた。小粒だけど、
さわやかな酸っぱさがあって「紅玉」りんごに似たようなシンプルな味わいだ。りんごの産地に育ったので、りんごの名前は10種類は言える。まあもう、店頭に並ばないものも多い
が。子どもの頃はりんごを一日中食べていた記憶がある。食後、おやつ、夜食代わりに。大人になっても、外国の個展の時は、りんごを探し歩く。外国のりんごは小粒なので丸かじ
りして、元気を取り戻す。
毎年のように、故郷の信州から、熟して蜜の入ったふじりんごが送られてくる。何年か前、小学校時代からの親友から送られてきたりんごのおいしさに、しあわせ一杯で大きな実を
二つ割りにした。そのとたん、中の果肉の中央に透明な黄金色の鳥が現れた。わあ、きれい。蜜が飛翔している鳥の形になっていた。切り口に突然現れた鳥、皮を剥くのをやめにし
て、クロッキー帳に何枚もスケッチした。香りが漂ってきて、早く食べたい。でもこらえて、スケッチを続けた。このころ、神戸での個展の準備をしている時期だったので、なんと
か、このりんごの感動を作品にしたいと思った。でも、私の求めている世界は抽象表現。りんごをりんごのまま、描いたら自分の絵ではなくなる。りんごの輪郭を描かずに、りんご
の存在と、その背景の故郷の友人のこころを描きたかった。個展に、めずらしく、モチーフがある作品を並べた。とにかく、自分の心情だけは曲げたくなくて、出来上がりは、他の
絵とかなり違っていた。個展に来てくれた歌人、画家でもある方に、この絵、先日夢に見た世界よ! と驚かれた。けっこうエキセントリックな夢であったらしい。りんごへの思いを
描いたのですが、とは全く言えずに、こちらも負けずに驚いた。その後、何人かの方たちに、好きですよ、この絵、と言ってもらったような気がする。どちらにしても、冒険作だっ
たと思う。個展の中に、交響曲のように、強い部分や、少し弱くて、見る人が思いを補ってくれるようなところ(作品)をつくった方がいいね、とアドバイスをもらったことがある
実行に移せているか分からないが、冒険作を交える勇気は持ち続けたいと思っている。
フォト 2015