1日1日感動したことを書きたい

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人生の黄昏時だから、なおそう思います。

「哲学者とオオカミ―愛・死・幸福についてのレッスン」(マーク・ローランズ)

2010-08-10 19:32:55 | 
 「哲学者とオオカミ―愛・死・幸福についてのレッスン」(マーク・ローランズ)を読みました。著者のマーク・ローランズは、マイアミ大学で哲学を教える「気鋭の哲学者」です。この本は、ふとしたことで赤ん坊のオオカミと出会った著者が、ともにくらし、ともに旅をし、死を看取っていくまでの、10年間にわたる共同生活の記録です。著者は、オオカミをひとり家に残すことができなくて、大学の授業にも、ラグビーチームの練習や遠征試合にも連れて行きます。朝のジョギングから就寝まで、10年間、著者の傍らにはつねにブレニン(オオカミの名前)が寄り添っていました。この本を読みながら、11年間いっしょにくらした「そら」のことを思い出して、しんみりした気持ちになりました。

 筆者は、ブレニンとの共同生活と死を通して、人間とは何か、死とは何か、愛とは、幸福とは、人生の意味とは何かについて、考察を深めていきます。ニーチェ、サルトル、フッサール、ハイデガーなどの思想も随所に紹介されています。
 オオカミは瞬間の動物であり、人間は時間の動物であるとしながら、人生の意味を考察していく後半の三章は、どのような結論になるのかと思いながら、どきどきしながら読みました。以下は、心に残った文章の抜粋です。

 「オオカミは時間の動物であるだけでなく、瞬間の動物である。人間はオオカミとくらべて、より時間の動物であり、オオカミほどには瞬間の動物ではない。わたしたちはオオカミよりは瞬間を透かしえ見るのがうまく、オオカミはわたしたちよりも瞬間自体を見るのがうまいのだ。」

 「これ以上続けることが無益なとき、行為を続ける目的となる希望がないときに、わたしたちは最良の状態になる。希望というのは、わたしたちを時間的な動物にする欲望の一つの形だ。希望の矢が、未来の未発見の土地へと弧を描くのだ。だが、時には希望の出しゃばりをたしなめて、もとの薄っぺらい箱に戻すことも必要だ。こうしてわたしたちは何とか続ける。そして、こうすることで試練に耐える。こうした瞬間瞬間にわたしたちは(シーシュポスに刑罰を課した)オリンポスの神々にむかって『こんちくしょう』と叫ぶ。」

 「希望は人間存在の中古車販売員だ。とても親切で、とても納得がいく、それでも、彼を信頼してまかせることはできない。人生で一番大切なのは、希望が失われたあとに残る自分である。最終的には時間がわたしたちからすべてを奪ってしまうだろう。才能、勤勉さ、幸運によって得たあらゆるものは、奪われてしまうだろう。時間はわたしたちの力、欲望、目標、計画、未来、幸福、そして希望すらも奪う。わたしたちがもつことのできるものすべて、所有できるあらゆるものを時間はわたしたちから奪うだろう。けれども、時間が決してわたしたちから奪えないもの、それは、最高の瞬間にあったときの自分なのである。」