かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

蝶の季節がやってきて田淵行男さんを慕う

2024-03-15 21:15:01 | 日記

昨年4月、アルプスの山岳展望を求めて安曇野と白馬山麓を歩いた。

安曇野でレンタサイクルし、高山蝶などの生態研究でも知られた写真家の「田淵行男記念館」を訪ねた。小さな記念館だったが、田淵さんの作品や撮影道具、山の道具などがコンパクトながら要領よく展示され、田淵さんの業績や人となりを短時間ながら理解することができた。

作品の数々は、事前に図書館から借りれるだけの著作を借りてきて拝見していたので、脳裏にストックしておいたはずだったが、印象がまるで違ったのは、蝶の自筆絵画だった。想像以上に大き絵で、にもかかわらず蝶の鱗毛の本数まで本物の写実かと思うぐらい緻密な色彩画だった。

普通、蝶の翅は、広げた際に上から見える「表」が美しく、翅を閉じたときに見える「裏」は地味な色(敵に見つからない保護色か)なのだが、田淵さんの絵はほとんどが翅の「裏」をみせた蝶の側面をとらえた絵だった。が、それでも息をのむほど美しかった。

この春、あらためて図書館から田淵さんの著作「山の絵本 安曇野の蝶」(講談社・昭和58年刊)を借りてきて本を開き始めたが、その本の「自序」やエッセイ「写蝶幻想」を読むと、田淵さんは

① 見ごたえが格段に違うから、おおむね(チョウの実物大と)20倍前後にして描いたこと

② カラー写真が台頭してきたので、写実というよりも主観的に本質の特徴を強調して描いたこと

③ 蝶の翅の裏面の紋様により心を惹かれたので、多くが裏面の絵であること

を吐露している。

あんな・・・

あんなに緻密な絵が実は主観的に描いたとは・・・だから美しい絵に仕上がっているのかもしれないが、田淵さんの写真と同じように「作品」として鑑賞するに値する代物なのだろう。蝶たちのインパクトが強く、いつまでも心から離れないのはそのせいかもしれない。

 

     

著作権上問題なのかもしれないが、「山の絵本 安曇野の蝶」からヒメギフチョウの絵をスキャンしたものを本ブログに登載したので、その絵のすばらしさを鑑賞いただきたい。

この本で、田淵さんは、「安曇野の春の蝶暦は、ギフチョウとヒメギフチョウで幕が開く」、とこのチョウたちに格別の思いを持っていたことがわかり、別の著作に「ギフチョウ・ヒメギフチョウ」(1975年刊)という独立した本もあるようだが、残念ながら、わが居住地の図書館にはこの本は蔵していないようだ。

「ことしも田淵さんが見ていた安曇野からの山岳展望を兼ねて安曇野に赴き、あの記念館に寄って蝶絵や関連した著作をじっくり閲覧しようかな。」

と田淵さんを慕っているオイラがいる。

 

 

「今日は暖かいからカタクリさんたちが咲いて、蝶たちもやって来ているかな。」

と晴れた1日、青葉の森を歩く。だが、残念ながら「麗しいピンクの花弁」は視野に入らなかった。その代わりといっては失礼だが、キタテハの仲間が日差しがまぶしい草原を数頭確認された。

黒っぽく地味地味な翅の「裏」と体温を維持しようとお日様に翅を広げた「表」を写真で観察し、図鑑で確認すると、きょう飛んでいた仲間はタテハチョウ科の「シータテハ」だったのではないか。(♂♀不明)

キタテハとそっくりなのだが、翅裏の「白いCの文字」が大きく目立つこと、翅の外縁や後翅の尾状突起の長さなどから「キタテハ」ではなく「シータテハ」なのではないかと推量する。

それにしてもキミたち、まだカタクリは咲かないぜ。もう数日じっとしてろよ。

 

     

 

     

 

どんなに写真の精度があがっても、田淵さんの主観を透過した作品にはかなわないか。このシータテハさんの地味地味な翅裏も、田淵さんのメガネにかかっては、美しい翅に生まれ変わるのだろう。

 

ああ、あと2週間もすれば、当地でもヒメギフチョウさんに会える日が来る・・・と思うと胸が騒ぎます。

 

 

 

    

 

    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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