2012年12月16日(日) 曇り/晴れ(強風)
13:38 愛宕山三角点 13:55→月輪寺分岐 14:08→14:36 月輪寺 15:10→15:51 清滝 16:00→16:33 清滝バス停 16:46→京都駅 18:21
愛宕山の三角点で眺望を楽しんだ後は、月輪寺(つきのわでら)に向けて出発~☆ヽ(▽⌒*)
△→マークの分かれ道まで急登を下り、木漏れ日の中を月輪寺への分岐まで戻ります♪
分岐までの途中に山頂にある愛宕神社に向かうらしい裏道を発見♪
でもそこにはこんな看板が……
【山の中を 人間は通行するな どこまで図にのるつもりや!】
あら? んまぁ~
なんて乱暴な看板なんでしょ…(m'□'m)
確かに愛宕神社のある山頂は神域という意味でも、一般人は立ち入り禁止だと思うのですが…
なにもそんな乱暴な言葉にしなくても~(-ω-)
でもきっと、何も知らず!何にも考えていない人達が、戦前 栄えていた頃にあった《愛宕山ホテルや遊園地跡》を探しに登ったり、単なる好奇心で愛宕神社の神域を荒らしているんでしょうね~(--;)
そういえば…
一昨年、熊野にある那智の大瀧の《二の滝・三の滝めぐり》のツアーに参加した時は、那智大社で御祈祷して頂いてから神域にあるお滝めぐりをしました(*^^*)
確かにその時の宮司さんが『登山者が那智山のガイドブックを見て勝手に入山し、荒らされて困る(`´)』と嘆いておられましたっけ…。
どちらにしても…
なんだかちょっぴり悲しい気分(;o;)
日本に限らず殆どのお山は山岳信仰なので…
私達も気をつけねばいけませんね(^^;
そんな事を考えながら月輪寺の分岐へε=┏( ・_・)┛
京都市街の眺望
ここから月輪寺までは約50分♪
休憩せずに一気に下りますε=┏( ^O^)┛ヒャホ~♪
冬枯れの景色☆彡
約30分で月輪寺に到着~(^^)v
■月輪寺
月輪寺(つきのわでら)は、愛宕山の南東中腹標高570mに位置し、四囲の山々の雄大な景観がひろがります☆彡
北東の比叡山とともに、愛宕山(924m)は北西の裏鬼門として位置づけられており…
月輪寺は、号を鎌倉山といい、古くより黄泉に通じる裏鬼門の寺・戦勝祈願の寺としても知られていたそうです。
◆宗派:天台宗
◆御本尊:阿弥陀如来立像
◆浄土宗法然上人二十五霊場十八番札所
781年(天応1)慶俊僧都の開創と伝え、空也上人・法然上人も登山参禅、九条兼実は度々 閑居(世俗を逃れて心静かに暮らす事)していたそうです。
現在の月輪寺は、今年の局地豪雨で近くの山肌が崩れ、寺にある6棟のうち木造平屋建ての客殿と棟続きの権現堂が土砂で埋まってしまったそうですw(°O°)w
客殿が土砂を食い止めた形となり、重要文化財など宝物を収めた宝物殿は、土砂から約十メートルのところで被害を免れました!
(木造阿弥陀如来坐像など仏像8体が国の重要文化財に指定されています☆彡
)
今にも倒れそうな権現堂
現在、ボランテアの方々により応急措置がなされていますが…
月ノ輪寺は民有地で京都府や国からの援助が厳しいようです(m'□'m)
国の重要文化財の仏像が8体もあるのに…
どないかならないものなんでしょうかね~(-ω-)ヒドイ
被害のあった権現堂の傍らには、明智光秀手植えの石楠花の木があります☆彡
神仏信仰が厚かった明智光秀が度々 愛宕山に参拝したと言い伝えられており…
光秀は織田信長のいた本能寺を攻める前夜、愛宕山白雲寺の勝軍地蔵に勝利を祈願したが、殺生を悔やんでこの月輪寺に本石楠花を手植えしたそうです♪
境内には大きな石楠花の木が天然記念物として立派に成長し、四百数十年後の現在も毎年白い花を咲かせています☆彡
他にも、明智光秀は本能寺の変を起こす前に愛宕神社で戦勝祈願し、月輪寺でおみくじを引き、3度の凶の後、4度目で吉を引いて決断した!とか…
ご住職(女性)やボランティアの方に色々なお話を伺い、お寺を後にしました(*^^*)
清滝へつづく♪