きょうの新聞に、厚生労働省の調査で、昨年度の高齢者虐待12,600件 という記事がありました。大半が、家庭の中で起きています。認知症の人が娘や息子から暴力を受けるケースが多いのですが、わたしは、自分の介護の経験から、その気持ちがわかるのです。
最近の日本は家族の絆を強調し、家庭で介護されることが幸せの象徴のような発言があります。もちろん、余裕が(物心ともに)あって、それができる方はいいのですが、わたしは家族の限界もまたあると思っています。特に認知症は、目を離せない、同じ話をなんどもするなど、介護する側にとってしんどい時があります。
私の母が施設に移って1年半になりますが、きのうの誕生日に、母に「産んでくれてありがとう」 と言う事ができました(ちょっと恥ずかしかったのですが)。小さなブーケを持って。
本屋で立ち読みをした雑誌に、誕生日に親に感謝のことばをいったら、幸福になれる・・と書いてあったので実行してみようと思ったのです。
離れていることで、すなおに母に語ることができます。一緒にいたころの”いらいら”から開放されてこそ、見えるものもあると思ったりします。
介護を家庭に・・というばかりではなく、社会的にしていきたいと思うのですが、とくに認知症に関してはそう思っています。
弟からはだまして施設にいれろ、俺は知らないと言われ。認知症も進み、介護度も上がって。働かなければ生活できないし&施設には行きたくないと言う母。だまして施設に入れて恨みの塊になっている親の話を聞くと死にいく人にそんな思いを持たせて見送りたくないと娘の心。結局、男たちの言うようにできないことはできないのですが・・・・涙
もうなさっているかもしれませんが、ディサービスや、ショートスティを使って、お母様にまずは施設に慣れていただくのもいいかと思います。
私の母も、ショートスティに出す時の最初の反応はきびしかったのですが、「頼むから・・」と言って強引に出しました。それからはお互いにだんだんに慣れていきましたが・・。幸いにもショートで入っていた、同じところに今おります。
どうぞ、共倒れにならないようにご自愛くださいね。
本人も家族も、安心できる施設がもっとほしいし、例えば、以前の鷹巣町がやっていたような、24時間訪問介護サービスの充実などで、できるだけ、家族の負担も軽くなるようなシステムがほしいものです。
認知症はグループホームが一番いいような気がしています。地域に開放されたグループホームがあちこちにできたらいいなあ・・。