生涯を完結させるまでに歌いたい歌、最近始めたヴァイオリンとフルートはどこまで演奏できるようになるか、と時々ワンコ

死は人生の終末ではない。 生涯の完成である。(ルターの言葉)
声楽とヴァイオリン、クラシック音楽、時々ワンコの話。

南邦和作詞 川口晃作曲 混声合唱とピアノのための組曲「盆地」

2015-08-09 23:48:55 | その他
 サブタイトルに-都城をうたう-とあります。全四曲、I.雲、II.霧、III.町、IV.終曲 山。高校時代の合唱部のメンバーで合唱を楽しむために集まった2回目が今日でした。まさに35年ぶりでしょうか、今日歌ったのはIII.の町だけですが和声的には難しい部分もあるものの、スタイルとしてはオーソドックスなもので、それよりも高校時代にはそれなりの完成度で歌っていたことがあるので、殆ど忘れていたメンバーも何度か合わせる度に、大昔の感覚が蘇ってか、まずまず人に聞かせても良いぐらいには仕上がったように思います。都城、すなわち九州は宮崎県の市井の人々の日常を歌った素朴な抒情歌ですが、アルトによる子供、バスによる爺、ソプラノによる母の、都城方言による一言のセリフが入ります。今まで私にそのセリフを言う役が回ってきたことはなかったのですが、今日は何故かやれと言われ、なるべくサラッと言ってしまおうとおもって言ったのが、結構好評でした。

 その他、モーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」、合唱組曲「旅」は佐藤眞作曲でしたっけ、「なぎさ歩めば」と「行こうふたたび」、高田三郎「水のいのち」から「海よ」、最後はお決まりの「大地讃頌」と「河口」。1回目の集まりではおっかなびっくりで歌っていたのが、第二回目の今日は前回よりもはるかに仕上がっていく速度が早くなったと思います。

 さて、その後の懇親会でアルコールの力も借りた話題ですが、私を含め合唱団に入ったものの、辞めたり移ったりする人間が多い様です。その理由は結局は人間関係ということになってしまいますが、音楽が与えてくれる感動・喜びの高みに自ら近づこうと努力する人間は実は少なくて、自らは努力せずに高みに近づこうと努力する人間の足を引っ張って自らが居る低いレベルにむしろ貶めようとする人間が多い、と言うことで意見の一致を見ました。音楽が与えてくれる感動がかけがえのないものであることを体験したものにとっては、その感動を再び味わうためには自分で出来ることはどんな些細なことでも、あるいは面倒なことでもやろうと言う思いがあります。ところが自分にはできないと言う限界を先に決めてしまってやらない理由を探す人たちも間違いなくいます。邪魔さえしないでくれればそれでも良いのですが、高みに昇ろうとする推進力に対してブレーキになります。音楽が与えてくれる感動を体験したことがない人たちなんだろうなと可哀想な気はしますし、それなりの年齢の人に対して一緒に高みを目指すように働きかけるのも面倒だし、自分が身を引いてさっさと関わらないのが一番と思いますし、結果としてそうして来ている自分が此処に居るようです。

1 コメント

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Unknown (連絡係)
2020-12-12 20:41:02
投稿ありがとうございます ^_^

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