オールドヨットマンの残日録・ZANJITSUROKU

相模湾に育てられて60余年、ヨットレースや仲間との思い出を大切に、これからの日々を健康で明るく楽しく、絵日記に綴ろう。

40年前の食料リスト

2020-08-15 22:05:19 | 日記
 先日、7月23日(海の日)、海の仲間でありプロのヨットマン「サトちゃん」の散骨が油壷で行われたのは小欄でご紹介しましたが・・・。
 その折、S悟空のオーナーO河原さん(以下、大ちゃん)から古い古いメモを手渡しされました。
 1980年・第5回「沖縄~東京ヨットレース」の食料買い出しメモです。
 当時、大ちゃんはまだ医学部の学生で、サトちゃんの紹介で一緒に乗船することになったのですが、レース食料の買い出しを彼に依頼した時のメモを40年間も大切に持っていて、私に返してくれたのです。
 見れば確かに私の書いたものでした。

 内容は、レースを6日間として、一日一回は米のメシを炊いて食べる、おかずはカレー・シチュー・豚汁など、その他はパン・缶詰スープ、うどんなど、インスタント食品は時化たときだけとして、あとはビスケット・クラッカー・ハムベーコン・ソーセージなどなどエネルギーになるものが中心、というもので「日産マリーナ東海」のレターヘッド8枚に書いてあります。 うんうん、少しは思い出したような気もするなぁ・・・。



 その1980年・第5回「沖縄~東京ヨットレース」で私たちは総合優勝しました。
 このことは彼のヨットライフに大きなインパクトになったようです。(もちろん私にも、オーナー・クルー全員にも)
 その後、彼とは一緒に乗ることもなく、やがて彼は医者になり大病院の副院長になり、現在は東京・日本橋に自身の病院を構えていて、彼なりのヨットライフを続けていたようです。 その彼も60歳を過ぎましたが、サトちゃんがまた二人を引き会わせてくれたのです。



 このことは私にとって感動を通り越して、何と表現したらいいのかわかりません。
 40年前のこと、その後のお互いのヨットライフのこと、「サトちゃん」のこと、たくさんの話をしましたね。
 彼が持ってきてくれた当時のスポーツ雑誌にレースの特集が掲載されていました。
  下の写真、左がデザイナーのK原さん、真ん中がサトちゃん、右が私、レース中の食事の支度をしているようです。



 私はいつも寝ながらラジオを聴いているのですが、ある朝の健康番組で「今週のドクターは日本橋〇〇医院のO河原D先生です」と言ったので思わず飛び起きてしまいました。 聞くところによるとその道の名医で通っているとのことでした。 あの時も驚いたなぁ。

 あの時のレースのことは忘れませんね、全艇の南にいて、朝日が水平線から登る中、風が120°まで振れて大ちゃんと二人でタック。南からの風を誰よりもはやくつかんで北上して優勝、勝負を決めたタックでした。

 思えば遠くへ来たもんだ・・・・・。


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1 コメント

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Unknown (そんごくう ダイジ)
2020-08-17 19:11:20
中学生から佐藤さんと付き合いレースに呼んでもらい20歳の小僧っ子にとって沖縄レースは夢の舞台でした。翌年の小笠原レースで青海波で優勝した時も一番に喜んでくれたのも佐藤さんでした。ヨットの事、学業の事、仕事の事、プレイべートの事何時も佐藤さん
に相談していました。そんな佐藤さんが居なくなり寂しいばかりです。是非またお会いして思い出話を。沖縄も如何ですか、いらしてください。
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