克ちゃんのスロースローライフ

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「キノコのお出ましです」   追記~ペリリュ―島の手記

2015-08-27 23:05:50 | 特定しない

処暑(しょしょ)「8月23日~8月24日)を過ぎやっと朝夕はしのぎ易くなった

感がします。処暑の意味は、暑さが終わり、涼風が吹くころとあります。

先日の新聞に、外国から松茸が入荷したとの報道もあり残暑が厳しい中、気分的に秋を

感じさせてくれます。

自宅の近くを散歩中に、かわいいキノコを見つけました。早速、報告いたします。又

不思議なキノコも見つけたので合わせてお知らせします。

 

 暑さを避けているようです。

 家族全員「ベレー帽」をかぶりおしゃれな一家です。

 

 一歩山に入ると真っ赤なキノコが~毒キノコでしょうか

雨上がり後の不思議なキノコ

 

  戦後70年、今年、天皇皇后両陛下が激戦の地パラオ共和国の「ペリリュー島」を訪問されました。

 以前にもブログに書きましたが、私の友人のお父さんもこの戦いで戦死されました。

 今回は、我が河内長野市に居住されていた故西川隆雄さんが昭和19年9月に同守備隊を増援すべく

 舟艇部隊として戦闘に参加中に垣間見た状況を絵と手記にまとめておられます。。この手記は病気で入院中に

 当時を思い出しながら書かれたそうですが、残念ながら3年前に他界されました。西川さんの体験された状況は

 2010年10月号 「歴史群像」に詳しく紹介されています。機会があれば図書館等でご高覧下さい。

              (広報 かわちながの8月号 から引用)内容の一部紹介

   パラオ本島からペリリュ―島に出発する場面を描いた絵には西川さんは手記に「船の進む波は夜光虫の

   光でピカピカ光る。米軍に見つかればいっぺんにやられる」とあり決死の任務であった様子が覗われます。

    戦死者 日本 10,695人    米国  1,794人  日本の生存者  34人

          戦死者のご冥福を心からお祈りいたします。

  

 

 

 

 



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