行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

『支那新人と黎明運動』(清水安三著)⑤妥協同化は禁物である(完)

2015-12-18 11:53:25 | 日記
孫文の三民主義が儒教の教えを支えとしていることは前回述べた。国難にあって強固な地下層が顏をのぞかせたのである。三民主義をより一層儒教思想によって解釈したのが日本留学組の戴季陶である。著書『孫文主義の哲学的基礎』の中で、「昨今、一般の国民は、孔子を崇拝する者はみな反革命的で、中国の国民文化が堕落した原因も孔子崇拝にあると考える傾向にある」と嘆いている。戴季陶にとっては儒教思想によって国民党による排他的な支配を強化することが最大の関心事だったが、1980年代、共産党政権による独裁を批判し、民主化を求める動きの中でも反孔子が唱えられた。

胡耀邦、趙紫陽と開明的な指導者は、が続いた80年代五・四文化革命にならって「民主と科学」が再提起され、1986年末には各地で民主化要求の学生デモが拡大した。1988年、テレビドキュメンタリー『河殤』は、「儒教文化は数千年来、民族の進取の精神、国家の法治秩序、文化的変革のメカニズムのどれ一つとして生み出すことはできなかった」と封建思想を批判し、民主化要求を後押しした。

反孔子運動が起きる時代はまた様々な思潮があふれる。『支那新人と黎明運動』も「現支那と孔子の時代はあらゆる点において、あたかも彷彿たるところがある」として、当時を諸子百家の時代と並べ、康有為の大同主義から「支那の大杉栄」と呼ばれた劉思復の無政府主義、孫文の民生主義(=社会主義)、陳独秀、李大のマルクス主義、さらには愛国の思潮に超然としている周作人(魯迅の弟)の世界主義を挙げている。清水安三氏は『支那当代新人物』の中で、中国に思想取締りの法律があるとしながらも、「かく言えば読者諸君は何という不自由な国だろうと思召すでしょうが、それでいて支那は全く自由なのである」と書いたのも、上記の混沌とした思潮があるからだ。同書では続けてこうある。

「胡適は言った。--支那の自由はどこから来た。圧迫するだけの力ある政府がないから、自由なのではあるまいか、自由でなくて放置されているのであるーー。何でもいい。自由なのが何よりのことである。自由であればそれでいい。支那は本当に自由である。日本の人たちが想像もつかぬほどに」

大国ゆえの緩さが放置された空間を生むとの見解には同感である。いまだに当てはまる。法やルールでがちがちに縛られた社会を、中国の人々は好まない。ルールがなければ不安を感じ、無理にでも作り出してしまう日本人とは異なる文化を持っている。チャイナウォッチャーとしての安三氏は、次のような中国観を語る。

「人が従来の人であり地が従来の地である以上、ただその名称が変わっただけであるのか、大清帝国が中華民国と変わっただけでありますまいか。名は実に先立つ。名あれば自ら実加わる。名実相伴うまでには若干の時日を要する。支那は広大なるだけにその時日が五年や十年では間に合わぬ。然らば革命はいまだその途上にあると言うべきか。その陣痛と胎の裂くる悩みはようやく通り越した。なお後産が残っている。今一息というところである。生みの苦しみはまだ全く済んでおらぬ」

宣教師としての心構えが最後に記されている。中国の風土に迎合して、銭湯のように男女の座席を分けた教会や、大理石の病院を建てることを「かえってキリスト教者の精神はこの一角から壊される」と批判する。これは伝道の功を急ぐあまりの妥協である。「支那人を導く立場でありながら、同化するとは何たる不見識であろう。功を急がず自重してかかる方が健全なる態度を保ち得ると思う」。日本人には厳しい。「日本人は金の方を先に集める。金さえあれば何でもできると考える。けれども金だけでは何もできない。(中略)人柱なくして支那伝道は成功するものではない」

読後感想もここまでとする。安三氏の宣教師としての「結論」をもって締めくくりとしたい。「支那」との呼称は当時、広く用いられていた用語で、本来は蔑視の意味が含まれていなかったことを記しておく。

「私たちは国家を超越して支那のために支那伝道をせんことを望む。それはもちろん祖国を念頭より駆逐することはできないまいけれども、何れの国にあっても、十人や百人ぐらい、自国のことを忘れてしもうて、外国のために身をささげるものがあってよいと思う。その点になると、支那から日本に行った高僧の方がよっぽど偉いと思う。そういう風な超国的な人間が、他国のために働いているということが、民族と民族とを親善ならしむるものだと、横合いからいうのであるならば、それはそうであってよい訳である。その人たちにはそうでなくってもよいであろうが」

(完)

『支那新人と黎明運動』(清水安三著)④孔子への愛憎に揺れる中国

2015-12-18 09:27:00 | 日記
『支那新人と黎明運動』の読後感想も最後のテーマに至る。康有為の「尊孔」と陳独秀の「反孔」、つまり忠孝を教える中国の伝統思想・儒教の擁護か排斥かをめぐる論争である。儒教は孔子を祖とするところから孔教とも称される。孔子論争を読み返すにつけ、現在の習近平総書記がしばしば孔子など儒教思想を引用し、伝統文化としての再評価を訴えていることを連想せすにはおられない。

習近平氏は2013年11月、孔子ゆかりの山東省曲阜を訪れ、「一つの国家、民族の隆盛は文化の興隆が支えとなっており、中華民族の偉大な復興も中華文化の発展と繁栄が条件だ」として、自らが掲げるスローガン「中国の夢」にとって儒教が柱となることを明言した。立ち寄った現地の孔子学院で『孔子家語通解』と『論語注解』を手にし、「この2冊はじっくり読みたい」とパフォーマンスまでして見せた。文化大革命期に批判された孔子を、ここまで持ち上げた歴代指導者はいない。

今の政治、社会思想を考えるうえでも、同書が注目した孔子論争を振り返ることは意義深い。

清水安三氏は辛亥革命で王朝体制が崩壊した後の1920代の中国思想界を、「急進思想と反動思想の二潮流に、渦巻き騒いでいる」と評した。後者の代表は康有為である。西洋思想の導入に熱心だったが、やがて保守化し、中華民国憲法に儒教を国教化するよう提案した。かれのいう儒教とは、『礼記』礼運編からとった「大同」を中心とする。みなが平等に、お互いを敬いながら暮らす理想社会を描いたもので、安三氏は「まあ世界主義、社会主義、共産主義、国際主義、人道主義、天国主義、なんでもかんでも、包容満足せしむる理想の時代を大同の世となしている、と見れば当たらずとしても遠からず」と評した。

一方、これに攻撃を加えた急先鋒は雑誌『新青年』で思想改革を訴えていた陳独秀である。個人の独立を主張する彼にとって、家族や男女の厳格な身分秩序を規定する儒教は時代遅れの封建思想にほかならない。こう言っている。

「孔教は封建時代の道徳であって現代生活に合致せぬ。家族制度の道徳であるから、個人独立主義なる近代人の生活に、ぴったりせぬ。男尊女卑の道徳であるから童女同権の近代思想に共鳴せない。すでに中国は共和民主の時代であるから、忠孝の倫理は通用せぬ。通用せぬどころか、腹辟(ふくへき=王朝体制の復活)を爆発するおそれのあるところの、実に危険思想である」

陳独秀の主張が、魯迅や胡適らと主導した新文化運動の背景にあることは言うまでもない。彼らにとっては儒教こそ、個人の自立をはばむ憎むべき伝統なのである。
儒教を宗教とみなし、その強要は宗教の自由を侵すものだとも主張した。キリスト教宣教師である安三氏は「半ば(陳独秀に)共鳴せざるをえない」と記しているように、心情的に反儒教の立場であるのがうかがえる。例えば、「一葬式出せば財産は傾く」と言われる中国の過剰な葬儀を「見ただけでも馬鹿馬鹿しい」と退けている。

だが慧眼を備え、もう一歩踏み込んで観察しているのを見逃してはならない。いわく「陳独秀の攻撃する孔教と、康有為の支持する孔教とは、互いにその内容を異にしている」。言葉の定義が異なるまま議論をすれば、実は言っていることがそう大した違いがないということがしばしばある。当時、中国の孔子論争に参戦した日本人の多くは擁護派だったが、安三氏は第三者の目を失っていない。

民国憲法は結局、「国民教育は孔子の道をもって修身の大本とする」とあった原案を改め、「中華民国人民は、孔子を尊崇し及び宗教を信仰する自由を有し、法律によらなければ制限を受けない」との表現で落ち着いた。

安三氏の総括は秀逸である。現在、中国で進む儒教復興の動きにも通底する。

「よくも憲法とあろうものに、かかる一句を挿入せねばならないものか。それはかかる一句を挿入せねばならぬほどに、中華民国人民には尊孔思想が無くなっていることを裏書きする以外に、それは何物をも意味しおらぬ」

私はそれに付言したいと思う。国家の危機に際し、よりどころとなるものもまた孔子である、と。意識するかしないかにかかわらず、表向きの姿とは別に、強固な地下層を形成しているのが儒教思想である、と。

孫文も然り。中国人がまとまりのない「一握りのバラバラな砂」であると危機感を抱いた孫文は、「中国には非常に強固な家族と宗族団体がある」(三民主義)と語りかけ、宗族の団結を民族の団結に拡大するべきことを訴えた。宗族とは儒教の家父長制に支えられた血縁による集団である。これが孫文の民族主義の中核にある。これを民権主義について当てはめれば、「(自由を)もし個人に使うならば、ひとにぎりのバラバラな砂となってしまう。いかなることがあっても、もはや個人のうえに使ってはならぬ。国家が自由に行動できるようになれば、中国は強大な国家となれるのだ」(同)とした。国家や民族の利益が個人の権利に優先するとの立場だ。国難時の制約を受けた思想である。(続く)