行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

【日中独創メディア・北京発】北京人OLが書いた12月1日スモッグの日記

2015-12-05 14:42:01 | 日記
海外留学から戻り、北京の外資系企業に勤める20代の女性が日中独創メディアに寄稿した2015年12月1日の日記。史上最悪とまで言われたスモッグに覆われた1日だった。率直な若者の気持ちが描かれていて興味深い。以下、翻訳して紹介する。

国に戻って2年、すでにある程度はここの天気に慣れた。もちろんスモッグも。

先週末は天気がすこぶるよかった。雪が降って、喜び勇んで従妹と一緒に故宮の雪景色を見に出かけた。赤い土壁、黄金の瑠璃瓦、謎めいた歴史が白い雪に覆われているかのようで、わくわくした。ミニブログの微博(ウェイボー)ではたくさんの画像が流れ、北京の素晴らしい景色だと絶賛されていた。

大雪のあと、すぐに空気が大きく変わった。私はこれまでと同様、ただ黙って受け入れ、自分の生活と仕事に気持ちを向けた。天気を恨んで、悩んだところで、何も変わらないのだから。

そして12月1日がやってきた。午後、オフィスに座って外を見ていると、一面に黄ばんだ灰色が広がり、夕暮れのようでもあり、夜のようでもあった。

微信(ウィーチャット)の書き込みは大騒ぎで、みんなが写真を送っていた。スモッグに包まれ、マスク姿を自撮りしているものもあった。高校の同級生が送ってきた二枚組写真の対比が印象的だった。一枚は、高校の時の先生が学校の屋上から周囲を遠望した光景だった。青空に白雲が浮き、緑が絨毯のように広がり、足下には住宅が、遠くには住宅と高層ビルがはっきり見えた。遠近感と立体感が感じられる写真だった。もう一枚は前日、同じ場所から撮ったもので、画面の四分の一は失われ、足下の建物しか見えず、遠方はすべてスモッグに中に消えていた。見えるのは灰色の靄だけだった。

こうした学校で学ぶ子どもたちもまた、こうした空気を吸っているかと思うと、心中は穏やかでなかった。

ネットで調べてみると、微博や微信のニュースには、見出しだけでも驚くものだった。「連続5日の重汚染 レッド警報はどうして出ないのか?」「面倒なのを恐れている 帝都はまだ大気汚染のレッド警報を出したくない」「史上まれな北京のスモッグ 濃度は1952年のロンドン・スモッグ事件に近い」。レッド警報は学校閉鎖や車両規制をしなくてはならない。

元CCTVキャスターの崔永元は微博で、「スモッグは、専門家たちが自家用車や小型車の排気ガス、街頭でのバーベキュー、庶民の料理・・・が原因だと言うが、私は本当に彼らに聞いてみたい。こうした媚びを売り、事なかれ主義の馬鹿げたデマは、庶民の気持ちを逆なでするだけでなく、政府の政策判断を誤らせ、時間を無駄にし、本当に天下国家に災禍をもたらす」。では原因は何なのか?彼もこの点は説明していない。ネットを見れば見るほど気分が悪くなって、最後は見るのをやめてしまった。

午後になって体の調子が悪くなった。少しめまいがし、力が入らず、呼吸が乱れた。こんな感覚は本当なのか、それとも悪いニュースを見過ぎて心理作用が起きたからなのかはわからない。家族や同僚に微信で、「どんな感じか?具合は悪くないか?この感じは心理的なものなのか?」と尋ねると、家族は問題がなく、私に「ゆっくり休みなさい」と言ったが、同僚の女性は「夕べから頭痛がし、今はのどが痛い。スモッグと関係があるのかはわかならいが」ということだった。

仕事帰りはマスクをして家に帰った。多くの人も同じだった。途中で1人の同僚や宅配の若者、あと何人かマスクをしていない人もいた。同僚の男性は「マスクをすyると目が曇るし、つけても役に立たない」とのことだった。この1日はすごく疲れて、力が出なかった。自分で料理をする気にならなかったので、弁当を買って帰った。

最後に微信を見ると、みんながお互いに励ましあっていた。「風はもう(河北省の)張家口まで来ている!」。ハハハ。


2日目、風が吹いて、スモッグは散らされてなくなった。気分はすっかりよくなった。すぐに以前から行きたかったスペイン料理のレストランに予約し、夜の約束をした。メディアも報道をやめ、微信も画像を流さなくなり、友達たちの不満や議論もなくなった。こうして、何事もなかったようになった。