行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

【日中独創メディア・中南海ウオッチ】2015~16年の隠れたキーワードは「大同」

2015-12-27 22:55:32 | 日記
年末になると決まって今年の流行語が話題になるが、みんながすでに知っている言葉を繰り返しても回顧にしかならない。そこで隠れたキーワードを探してみた。隠れているから流行語ではない。来年以降にも引き継がれるから「2015~16」とした。宣伝しないからこそ、真実が表れているということもある。それは「大同」である。

2015年9月28日、習近平国家主席がニューヨークの国連本部で一般討論演説を行った。第70回国連総会の節目ではあったが、米中首脳会談の後でもありほとんど注目されなかった。強いて言えば、日本では、中国が「戦勝国」の立場を強調し、日本を歴史認識問題でけん制したという紋切り型の報道が目立った。国連は「United Nations」なので中国語では連合国とそのまま訳される。文字通り第二次世界大戦の戦勝国の集まりだ。

その目立たない演説の中で、習近平が引用したのが儒書『礼記』礼運の「大道之行也、天下為公(大道の行われる世は、天下は万人のものとされる)」だ。習近平はこの言葉に続け、「平和、発展、公平、正義、民主、自由は人類共通の価値であり、国連の崇高な目標でもある。目標はまだ達成できていないが、我々は努力をしなければならない」と述べた。実は「大道之行也、天下為公」は、彼が国家主席就任後、しばしば口にしている言葉だ。『礼記』礼運ではその世を「大同」と呼ぶ。習近平の儒教重視は歴代指導者の中で際立っており、その象徴として「大同」を挙げた。外遊先でも「天下大同」を連発している。

大同の世とは、人々が親や子の区別なく和睦し、弱者をいたわり、それぞれが分に応じたことをなし、財貨を等しく分配されるユートピア社会だ。「謀略が張り巡らされることのない」社会であり、政敵による政権転覆や暗殺計画にさらされた習近平には、救いの教えでもあるだろう。近代に入り大同思想に息吹を吹き込んだのが日本亡命の経験もある清末の官僚、康有為である。

康有為の書『大同書』は列強の侵略を受けた国難にあって書かれた。西洋の文明が押し寄せる中、忠実な儒教官僚であった彼は、孔子への回帰から王朝体制の存続を図ろうとした。それにしては余りにも楽観的だ。彼の仏教に対する深い信仰があって初めて到達した境地である。同書には、国境をなくして万国統一の政府を打ち立て、奴隷階級をなくし、人種差別を根絶させ、男女を等しくし、家族制度をも消滅させるプランが描かれている。孫文も大同思想に共鳴し、「天下為公」は孫文が頻繁に引用する言葉となった。

共産主義にも通ずる思想は毛沢東にも受け継がれ、建国直前、毛沢東は「階級や国家権力や政党が極めて自然に死滅し、人類が大同の世界に入れるように、活動に励み、条件を作り出すということだ」と共産党の使命を総括した。もっとも封建官僚の康有為には批判的で、「康有為は『大同書』を書いたが、大同に達する道は見つけ出せなかったし、見つけ出せるはずもなかった」と切り捨てた。毛沢東にすれば、自分こそ大同社会の創造者であるとの自負があったのだろう。だがその後、中国が経験した悲惨をみれば、大同とは逆の方向に流れていった。

そこで毛沢東を崇拝する習近平が改めて、大同を持ち出しているというわけだ。ユートピア思想が生まれるのは、洋の東西を問わず国や社会が閉塞状態にある時、危機的事態を迎えている時だ。腐敗、格差、環境汚染、信仰の不在と解決困難な課題が山積している。わらをもすがる気持ちで探し出したのが伝統文化を代表する孔子、そして大同だったということになる。ユートピア思想の裏には、悲壮な現状認識がある。

康有為によると、大同に至る前には「小康」社会がある。小康社会は「ゆとりある社会」と訳され、2020年にGDPと1人当たりの収入を2010年の倍に増やし、全面的な小康社会を建設するのが「中国の夢」だ。投資が鈍って経済が減速し、一方、不均衡な成長がもたらした環境破壊が深刻化する中、極めて厳しい経済運営を強いられる。大同は小康社会が実現した先の話だ。道のりは長い。

一方、大同には個や私を飲み込み、異質な存在を排除する怖さも持っている。中国の指導者には伝統的に多かれ少なかれ道徳を備えた人格者像が求められる。その上に立った大同思想である。だが実際はみながそうなれるわけではない。むしろ大半は実行できない。建前が独り歩きをすると、しわ寄せは権力に振り回される弱者に及ぶ。それは毛沢東の時代に多くの代償を払って学んだ。2016年は文化大革命50周年である。やはり「大同」が隠れたキーワードにふさわしい。