行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

【日中独創メディア・北京発】煙突の煤ではない、スモッグまみれのサンタクロース

2015-12-25 13:43:56 | 日記


北京のサンタクロースは昨晩、スモッグで真っ黒になった。サンタクロースは言った。もう北京には二度と来るもんか・・・

こんなジョークとともに天安門広場で真っ黒になったサンタクロースの写真が出回っている。どんな時にもめげないユーモアには感心するが、もう「苦笑」では済まされないだろう。

海外に中国を紹介しようと努めた作家の林語堂は(1895~1976年)は世界的ベストセラー『My country and My people』(1935年)の中で、争いを好まず、豊富な人生経験を持ち、運命を素直に受け入れ、ユーモアによって人生を楽しむすべを知っている中国人を、「生活の芸術」の達人とした。彼はこう言っている。

「中国人は遊んでいるときのほうが、真面目なことをしているときよりも遥かに愛すべき人間であるように感じる。中国人は政治上はでたらめであり、社会上では幼稚である。しかし余暇の時間には非常に聡明で、理知的である。そして中国人はたっぷりある暇とその暇を潰す楽しみを持っている」(鋤柄次郎訳)

楽天的で、苦しみに耐え、運命を受け入れるのには長けている。私もそうした中国人のおおらかさに何度も救われ、励まされてきた。逆に仕事人間の多い日本人はすぐ悲観的になり、一人で抱え込み、自殺も多い。どちらがよいとも言えないが、目前にある問題をすぐ処理するのには、後先のことを考えない楽観的な発想が求められるが、長期的な課題を根治するのには悲観的な思考の方が適しているように思える。

林語堂は次のようにも言っている。

「日本人は毎日慌ただしく動き回っており、電車や汽車の中でさえ新聞を放さず、食い入るように見入っている。頑なな表情、決意を固めたかのように力を込めて真一文字に結んだ口元、眉の上には民族の災難が間もなく到来することを予告するかの如き暗雲がかかっている。(中略)一方、中国人は長袍(チャンパオ)を着、大褂(ダーグァ)を羽織り、落ち着いた穏やかな表情で、悠然として逍遥しているのである。この世界には彼の夢を醒ますいかなる出来事もないかのように屈託がない」(同)

中国が民族的なまとまりを欠き、列強の侵略にさらされていた時代のことだ。林は続けて、

「中国人はよく中国人自身を『盤の中の砂』に譬えるが、この一粒一粒の砂は決して一人一人の個人を指すものではなく、一つ一つの家族単位を指している。他方、日本人は一枚の花崗岩のように一つに団結した民族である。これはあるいは喜ぶべきことかもしれない。次の世界大戦が勃発すれば、打ち砕かれるのはこの花崗岩であろう。砂は砂であり、せいぜい吹き飛ばすくらいが関の山である」(同)

と予告した。これは見事に的中した。では次の言葉を聞いたら、習近平総書記はどう思うだろうか。

「過去2000年間、陳腐な道徳論議を繰り返しながら、国家の道徳的発展を見ず、賢明で廉潔な政府の出現も見なかった事実を、中国人は直視すべきである。もし道徳的感化がいくらかでも役に立っていたならば、中国はすでに聖人の楽園になっていたはずであることを、中国人はまたはっきりと認識すべきであろう」(同)

ネット用語が好きな習大大のことだから、きっと「賛(いいね)!」とコメントするに違いない。