8月10日の『人民日報』理論面に「"人が去れば茶は冷める"の対処を論考する」とのコラムが掲載された。この時期にどうしてこのコラムが掲載されたのか。興味が湧いたので分析してみたい。http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2015-08/10/nw.D110000renmrb_20150810_3-07.htm
中国では政治家が引退しても、在任中の人脈や影響力を行使して政治に口出しをし、一派の利益を守ったり、さらに勢力を拡大させようとする事例がしばしばある。お客を招いている間は熱い茶を用意するが、客人が帰ったら自然に茶は冷めていく。つまり、引退したら後任の仕事に干渉せず、静かに隠居生活を送るべきだとするのが人の本来あるべき道だ。同コラムはこう言っている。まともな見解である。
ではなぜ今の時期に?
今年の夏は、恒例の河北省・北戴河における党指導部と長老の会議が見送られた。従来、重要事項は避暑地で行われるこの公式・非公式会議で協議されてきたが、すでに夏休みに入る前、正規の党中央政治局会議を相次ぎ二回開いて懸案事項を決定したため、不要となったのだ。『文藝春秋』8月号で指摘したが、昨年の北戴河会議では江沢民元総書記が習近平政権の反腐敗政策に支持を表明したことが党内の幹部会議で報告され、習氏の江氏ら党長老に対する権力の優位が確立された。習氏はもう年寄りに気遣って政治をする必要はなくなったということなのではないか。
"人が去れば茶は冷める"はもともと、花街における男女の感情をたとえたものだという。会っているときは情を交し合っても、帰ってしまえば他人になる。そんな悲しい人の性が込められているのだが、老人については逆に、そうした淡白な身の処し方こそ望ましいと言っているのである。長幼の序は、儒教の影響を受け家族の人間関係を重んじる中国の伝統的価値観に支えられたものだ。それを変えるのは容易でない。高齢化社会を迎えようとしている中国で、老人ホーム拡充のネックとなっているのは、老人の世話を放棄し、他人に任せることへの抵抗感、罪悪感である。
とは言っても、中国は改革・開放後、制度上は幹部の若返りを進めており、70歳を過ぎた老人が現役でいることはほとんどない。実権のない老人クラブが集まり、政策を決定することは起こりえない。むしろ日本の方が、組織における高齢化が際立っている。80歳を過ぎても権限のあるポストに残り、実際に実務を行っているケースは珍しくない。豊富な経験が組織運営に生かされればいいが、東芝事件が物語るように、悪弊も大きい。年齢が災いして唯我独尊となり、人の声が耳に入らず、時代の流れに疎くなるためだ。
日本ではこれを「老害」と呼ぶが、実は中国でもこの漢字が逆輸入されてきている。どうもアニメの影響らしいのだが、私はアニメ自体に詳しくないので若者に聞かないとわからない。もっとも中国ではまだ、年寄りを指して「老害」と言えるほど、伝統文化はの力は弱くない。当面は"茶が冷める"と比喩的な言い方をしているが、もしかするといずれは明確に「老害だ!」と批判の声が上がるかも知れない。これもまた習権力の強弱を図るバロメーターになるのだろうか。
中国では政治家が引退しても、在任中の人脈や影響力を行使して政治に口出しをし、一派の利益を守ったり、さらに勢力を拡大させようとする事例がしばしばある。お客を招いている間は熱い茶を用意するが、客人が帰ったら自然に茶は冷めていく。つまり、引退したら後任の仕事に干渉せず、静かに隠居生活を送るべきだとするのが人の本来あるべき道だ。同コラムはこう言っている。まともな見解である。
ではなぜ今の時期に?
今年の夏は、恒例の河北省・北戴河における党指導部と長老の会議が見送られた。従来、重要事項は避暑地で行われるこの公式・非公式会議で協議されてきたが、すでに夏休みに入る前、正規の党中央政治局会議を相次ぎ二回開いて懸案事項を決定したため、不要となったのだ。『文藝春秋』8月号で指摘したが、昨年の北戴河会議では江沢民元総書記が習近平政権の反腐敗政策に支持を表明したことが党内の幹部会議で報告され、習氏の江氏ら党長老に対する権力の優位が確立された。習氏はもう年寄りに気遣って政治をする必要はなくなったということなのではないか。
"人が去れば茶は冷める"はもともと、花街における男女の感情をたとえたものだという。会っているときは情を交し合っても、帰ってしまえば他人になる。そんな悲しい人の性が込められているのだが、老人については逆に、そうした淡白な身の処し方こそ望ましいと言っているのである。長幼の序は、儒教の影響を受け家族の人間関係を重んじる中国の伝統的価値観に支えられたものだ。それを変えるのは容易でない。高齢化社会を迎えようとしている中国で、老人ホーム拡充のネックとなっているのは、老人の世話を放棄し、他人に任せることへの抵抗感、罪悪感である。
とは言っても、中国は改革・開放後、制度上は幹部の若返りを進めており、70歳を過ぎた老人が現役でいることはほとんどない。実権のない老人クラブが集まり、政策を決定することは起こりえない。むしろ日本の方が、組織における高齢化が際立っている。80歳を過ぎても権限のあるポストに残り、実際に実務を行っているケースは珍しくない。豊富な経験が組織運営に生かされればいいが、東芝事件が物語るように、悪弊も大きい。年齢が災いして唯我独尊となり、人の声が耳に入らず、時代の流れに疎くなるためだ。
日本ではこれを「老害」と呼ぶが、実は中国でもこの漢字が逆輸入されてきている。どうもアニメの影響らしいのだが、私はアニメ自体に詳しくないので若者に聞かないとわからない。もっとも中国ではまだ、年寄りを指して「老害」と言えるほど、伝統文化はの力は弱くない。当面は"茶が冷める"と比喩的な言い方をしているが、もしかするといずれは明確に「老害だ!」と批判の声が上がるかも知れない。これもまた習権力の強弱を図るバロメーターになるのだろうか。