行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

(お詫びと訂正)早く届きすぎた原稿・・・それは吉兆か?異変か?

2015-08-23 11:39:39 | 日記
(お詫びと訂正)
昨日、紹介した『炎黄春秋』の記事「万里的政治担当」は私の誤解で、まだ発売されていない9月号掲載予定のものだった。右下に小さく「2015年第9期」と書かれていた。本日、8月号が自宅に届き、掲載されていなかったので不思議に思い、間違いに気が付いた。同記事は携帯のウイーチャットで送られてきたものだ。万里の葬儀から間もなく、ちょうどよいタイミングだと思ったのですっかり発行されたものと思い込んでしまった。情報化社会の落とし穴にすっぽりはまってしまった。記者の原点である、現物にあたって確認する作業を怠ったことは大いに反省したい。深くお詫びし、訂正させて頂きたい。書いたことはそのまま歴史なので、昨日分の文章はあえて修正しない。

8月号に記事が見つからなかった際、ふとボツ原稿をあえてネットで流したのではないか、との疑念も頭をよぎったが杞憂であった。8月号の巻頭記事も、江平・元中国政法大学学長らが憲政について座談会を開いた内容で、知識人の良心が健在である。次号も予定通り万里追悼記事が出るよう願っている。発行前に記事が流れたことは、管理の甘さというよりは、事前広告だと受け止めたい。規制当局に対する事前のけん制との見方もできなくはないが、それは『炎黄春秋』の作風に合わないので、排除すべきだ。

8月号で注目されるのは小平が1980年8月18日、党中央政治局拡大会議で行った「党と国家の指導制度改革」と題する講演を再録し、同誌編集顧問の李鋭氏(元党中央組織部副部長)の解説を掲載したことだ。李氏は98歳で、毛沢東の秘書をしていたことで知られる。原籍も同郷の湖南省だ。同誌を支える長老顧問3人のうちの1人である。

小平の同講演は、ちょうどポーランドの労組「連帯」が大規模ストライキを決行した1か月後に行われている。今年は35年の節目を迎える。権力の集中や党と政務の一体化、長老支配など党が抱える封建体質の弊害を指摘し、「経済で資本主義国に追いつくためには、政治上も資本主義国の民主よりより高度で、より実際的な民主を創造しなければならない」と述べた。文革を清算して民心を掌握し、当時、党主席・首相・中央軍事委主席を兼任していた政敵の華国鋒を追い落とす政治闘争の目的もあった。

李氏は「政府の権力を制約し公民の広範な参画を主な内容とする政治の民主は、封建専制を克服し一掃する最も有力な武器だ」と主張し、この35年間、小平が提示した任務が重視されず、社会の腐敗など封建主義の残影は「どれ一つをとっても克服されたとは言えない」と厳しい。

同講演は当時、人民日報に全文が掲載されただけでなく、1987年7月1日の同紙にも一面トップで再録された。同年1月、当時の胡耀邦総書記が学生の民主化運動を容認したため保守派の攻撃を受けて失脚。反資本主義の潮流が経済改革に影響を与えることを懸念した趙紫陽総書記が、小平の了解を得て再録したのだ。

同記事には触れていないが、党の歴史において「民主」や「法治」は常に為政者の統治手段として持ち出されているため、別の状況が生じれば、いとも簡単に引っ込められる運命にある、というのが私の考えである。当然、中国の知識人もみなそれはわかっているが、突き詰めれば一党独裁の否定につながり、革命論の提起にもつながりかねない。13億人はそれを望んでいない。彼らはあくまで「改良主義者」の看板を明確にしなければならないのだ。