行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

深読みすべきではない天皇陛下の戦争関連発言

2015-08-16 12:38:37 | 日記
天皇陛下を間近に見た元皇室担当記者として、どうしても言っておかなければならないことがある。陛下の発言を自分たちの都合のいいよう勝手に解釈し、ひいてはそれを政治目的に利用することは厳に慎むべきである。軍部によって天皇が政治利用された歴史を決して忘れてはならない。

日本国、日本国民統合の象徴である天皇は憲法によって規定され、憲法を厳守すべき存在であり、国政に関する機能を有しないことは言うまでもない。天皇が行う国事行為も内閣の助言と承認を要し、この点は陛下も繰り返し強調されている。

皇室の警護をする皇宮警察OBから、終戦直後、皇太子だった陛下が1人皇居内で立ちすくみ、父親の昭和天皇が語った玉音放送の言葉を繰り返されていた、との話を聞いたことがある。戦争の重み、新しい天皇のあり方をだれよりも心を砕いて考えてこられたのが陛下御自身である。新憲法で「象徴」となったが、果たして今、どれだけの日本人がその中身を説明できるだろうか。改憲論議は盛んだが、この第一条に関する突っ込んだ議論は聞いたことがない。

「象徴とは何か?」。憲法制定に関する国会審議の中で、当時の担当大臣が「あこがれの的」と解釈を示した。何度も質疑があり、そのたびに同じ答えをしたことから、「あこがれ大臣」の異名まで取った。簡単に言えば、精神的な支柱ということだ。だが戦後70年を経た現在、この解釈を聞いて納得のいく国民はいないだろう。「あこがれ」の対象は運動選手や歌手、映画スターなど多種多様なのだ。小泉内閣時代、女性天皇の即位を可能にする皇室典範改正論議が起きたが、「象徴」をめぐる根本的な議論はなされないまま、技術論だけが先行した。

憲法をいくら読んでも、象徴の地位は「国民の総意に基づく」とあるだけで、それ以上の説明がない。天皇の国事行為は形式的、儀礼的な10項目に限定されているが、もしこれを繰り返していただけでは、現在ある国民の皇室への高い支持は得られていない。福祉に力を注ぐ皇室のイメージは、天皇陛下と民間から初めて嫁いだ美智子皇后の両陛下が皇太子時代以来、天皇の長い歴史を踏まえつつ、「国民の総意」を探りながら二人三脚で築かれてきた。だれかに言われてやって来れられたわけではない。

私が皇室担当をしていた1999年、天皇陛下は即位10年の記念記者会見で「障害者や高齢者、災害を受けた人々、あるいは社会や人々のために尽くしている人々に心を寄せていくこと」を「大切な務め」と話された。質問した記者は「活動」という言葉を使ったが、陛下はあえて「務め」と言い換えられた。一方、皇后さまは「皇室は祈り」という言葉を頻繁に使われる。「困難な状況にある人々に心を寄せること」が皇室の務めだというのだ。両陛下の考え方は完全に一致している。

即位20年の記者会見で、記者会が最初の質問として「平成の象徴像」を尋ねたが、以上の経緯を踏まえれば、これは明らかに愚問である。陛下が憲法と天皇の歴史を強調し、「質問にあるような平成の象徴像というものを特に考えたことはありません」と回答されたのはもっともなことである。

即位10年では、陛下の発言をまとめた『道-天皇陛下御即位十年記念記録集』(日本放送出版協会)が出版された。役人の作る原案をそのまま読んでいては一冊の本にならない。陛下は公式なスピーチにも自分の言葉を挿入される。憲法の精神の中で、できるだけ「象徴」としての気持ちを込めたいと願われた末のことだ。積み重ねてきた実践の中で、「国民の総意」を肌で感じてこられた土台がある。象徴天皇としての自信と確信が芽生えてきたと言ってもよい。「象徴」だから物議を醸すリスクは避けるという事なかれ主義、官僚主義ではない、責任を進んで背負っていこうとする姿勢が感じられる。

2001年9月11日、米国での同時多発テロで日本人24人を含む3000人以上の死者,行方不明者が生じると、天皇陛下は侍従長を通じ、ベーカー米駐日大使に「心からの哀悼と同情の意を表したい」と伝えた。大使は感謝し、「大統領に伝えます」と応じた。上記の記者会見では、「自然災害以外での弔意伝達は異例」として真意を問う質問があった。陛下は以下のように答えられた。

「この同時多発テロは,極めて多くの無辜むこの人々の命を失う極めて異例な事件でした。その中には,救助に駆けつけた350人以上の消防士や警察官も含まれていました。弔意伝達は,異例とのことですが,このような事件は過去にもなく,その事件そのものが異例であったと思います。皇室が前例を重んじることは大切なことと思いますが,各時代に前例のないことが加わっていることも考えに入れなければなりません」

当時、私は渡辺允侍従長から「陛下の自然な気持ちを述べたもの」と聞かされ、至極納得した記憶がある。私はこれを「国民の総意」と受け取った。政治テロに対する弔意に、記者仲間でも一部で違和感を持つ声はあったが、国民の大多数、いや世界の大多数は、天皇の弔意を素直に受け入れた。

つい先日、安倍首相は戦後70年談話を発表した際、記者会見で「できるだけ多くの国民と共有できるような談話を心がけた」と語ったが、その内実は、多方面、特に周辺の一部勢力に気遣い、結局、自分の言葉がない不明確なメッセージになった。国民の総意を肌で感じ、自分の言葉を語るか、総意を各論とみなして人気取りのためにそれらに縛られ、八方美人に終わるか。自信の有無、信念の有無、その違いではないかと思う。

70回目の終戦記念を迎えた昨日8月15日、陛下は全国戦没者追悼式のあいさつで、「先の大戦に対する深い反省」を初めて言及された。新年の一般参賀では「満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び」と初めて満洲事変以後と区切って戦争を語られた。こうした言葉を安倍政権へのけん制だとか、危機感の表れだとか、根拠もなく勝手な解釈をすることはご本人の本意ではないだろう。陛下は何も踏み込んだ発言をしているわけではない。国民の総意、閣議の決定内容を踏また内容を越えてはいない。

ただ、なぜこれまでになかった表現が今になって出てきたのか、という疑問は残る。政治的メッセージを読み取る人々もこの点に注目する。だが、陛下は皇室が伝統を重んじつつ、時代に応じ前例にはとらわれない姿勢も示している。国民の総意も時代によって変わる。陛下には変わらない憲法と変化する総意という二つのベクトルが念頭にあるのだと思われる。強いて言えば、国民の総意の中には「第125代天皇」としての歴史的視点も加わっている。

視座を入れ替えれば、天皇発言を色眼鏡で見る側の座標軸がずれているのではないかという反省も必要である。そのずれがどこから来ているのか。安倍政権の横暴なのか、メディアの堕落なのか、世論の弱体化なのか。たぶんそのいずれもが当たっているのだろう。天皇発言がこうした反省を促す効果を持つのであれば意味があるように思うが、それでもなお、陛下にはそこまでの意図はないのではないかとも感じる。私こそ深読みし過ぎなのかも知れない。