行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

人命は泰山より重いか、鴻毛より軽いか・・・天津爆破事故で感じたこと

2015-08-17 11:29:48 | 日記
中国の李克強首相が16日、とうとう天津の爆発現場を視察した。これまで判明した死者112人(うち24人が身元判明)、行方不明が95人。うち消防隊員85人の消息が途絶えている。李首相は「消防の英傑たちよ、永久に!」と書かれた遺影の並ぶ祭壇に向かい、哀悼をささげた。遺影の表情は若い。正式な消防兵士だけでなく、企業が雇った民間の消防士も多い。首相は遺影を前に遺族を慰めた。

「彼らは英雄だ。社会全体が敬意を払うに値する。(官兵も企業消防士も)一視同仁に栄誉を与え、家族補償を行い、英雄に編隊外ということはない」

十分な訓練を受けず、必要な知識も経験も欠いた彼らは、この国が抱える不十分な都市安全管理、つまりソフトパワーの弱点の犠牲者だ。だが首相がそれを認めるわけにはゆかない。超法規的なお上からの「仁愛」は、当座の不満を和らげるために不可欠な選択なのだ。彼はなお奮闘する消防隊員にこう言うしかない。

「人民群衆の生命が危険にさらされている時、あなたたちが自分の危険を恐れず、一歩も退かない勇気と犠牲を払っていることに、党と政府は感謝している。みんな救援の際は、自信の安全保護に注意するように」

李克強首相は3月5日、全国人民代表大会の開幕式で、前年度を回顧し「我々は自然災害と突発的事件に適切に対処し、社会の矛盾を秩序正しく解消するとともに、メカニズムの構築と健全化をはかり、根源からの防止対策を強め、人民の生命の安全を保障し、良好な社会秩序を守った」と絶賛した。

年末、上海・外灘(バンド)のカウントダウンで、36人の若者が群衆の波にのまれて死亡した事件には言及がなく、私が開幕式後、政府の公式ブリーフィングでこの点を尋ねると、担当者は「中国には13億の人口があり、一定の確率で事件は起きる」と言ってのけた。このことは拙著『上海36人圧死事件はなぜ起きたのか』(文藝春秋)で指摘した。天津事件も人口大国のやむを得ぬ事件として、何の教訓も残さず処理されていくのだろうか。「人の命は何よりも尊い」と何度言ったところで、説得力を欠く。

「人の生命は地球よりも重い」。これは戦後間もない1948年、日本の最高裁が死刑合憲判断を下した際に述べた言葉だ。戦前、戦中は「お国のために死ぬ」ことは愛国的英雄とされた。戦争は1人の命よりも重いものを自由自在に作りだした。命の等しい重さこそ、我々が戦争から学んだ最も尊い核心の価値である。

武士の時代はいわば日々が戦時体制にあった。新渡戸稲造『武士道』でも、林子平や水戸光圀が「死ぬべき時に死ぬ」ことを説いたとして、時宜を逸した死は「犬死」と蔑まされる武士道の神髄を語った。『葉隠』の書に「武士道というは死ぬことと見つけたり」とあるのがまさにそうだ。いかに死ぬかによって、重い命と軽い命があったのである。

中国にはもっと古くから同様の思想がある。前漢の歴史家、司馬遷は獄中につながれ死刑を待つ友人、任安への手紙『任少卿に報ずる書』で、こう語っている。この手紙は「九牛の一毛」で知られる有名な文章である(『漢書』司馬遷伝)。

「人はもとより必ず死ぬものだが、その死はある場合は泰山よりも重く、ある場合は鴻毛より軽い。どのように死ぬかによって異なるのだ」

少数の軍馬を率いて匈奴に乗り込み、挙句の果てに投降した李陵を弁護して、宮刑(去勢の刑罰)を受けた司馬遷。人間として最もひどい辱めを受けながら、史書を編纂する大事業に命を捧げることこそ天命だと悟った彼が、まさに血を吐きながら語った言葉だ。

毛沢東はこの司馬遷の言を戦時下の思想工作に利用した。1944年9月8日、炭焼き作業中、窯が崩れて命を落とした戦友、張恩徳を追悼する講演『人民に奉仕する』で司馬遷の言葉を引用したうえで、「人民の利益のために死ぬのは泰山より重い。ファシストのために働き、人民を搾取し抑圧する者のために死ぬのは鴻毛よりも軽い」と述べた。そして強調したのは次の点である。

「今後、我々の部隊では、誰が死のうと、それが炊事係だろうと兵士だろうと、少しでも有益な仕事をした者であればみな、彼らを弔い、追悼会を開かなければならない。これは一つの制度にすべきだ。この方法は一般庶民の中にも広めていく。村人が死ねば追悼会を開く。こうすることで我々の哀悼の気持ちを伝え、全人民を団結させるのである」

戦争と革命の時代は去ったとはいえ、毛沢東思想の強い信奉者であり、推進者である習近平政権のもと、時流に媚びた学術界の権威たちが「階級闘争の継続」を主張する時代風潮が生まれている。価値観が多様化する時代に合って、敵味方を二分し、彼らの考える異端を抹殺する発想は、世界秩序の維持に貢献すべき大国の責任からは遠ざかる。

今は戦時でなく平時である。追悼が団結を固めるための政治ショーであってはならない。戦後70年の節目に起きた天津の爆発事故は、政権の分岐点を占う、紛れもない歴史的事件である。一人一人の生命が尊重されない社会風土の中で、個々人の活力、創造力が積み上げる国の「軟実力(ソフトパワー)」は育たない。ソフトパワーを欠いた軍事力の「硬実力(ハードパワー)」だけでは、消防士1人も救えないことが証明された。どんな最新兵器をもってしても庶民の生活を豊かに、幸福にすることはできないのだ。これはどの国でも同じことである。