行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

「爆買い」の裏に隠されたお茶文化の逆輸出

2015-08-06 12:00:58 | 日記
日本観光に訪れる中国人の「爆買い」は今やすっかり有名になった。銀座を歩いていて、みなが同じスーツケースを引いているので聞いてみると、銀座では買い物専用のものが4000円で売っているのだそうだ。「爆買い」の裏に隠れて、日本ではほとんど報じられていないが、中国には日本の地方自治体トップが頻繁に中国を訪れ、必死に観光PRをしている。地盤沈下する地方の地場産業や観光振興にとって、中国人観光客の誘致が死活問題になっているのだ。中国から日本の地方空港への格安航空券は、地元自治体が財政補助をしているためでもある。

先日、茶器を扱う新宿「益田屋」の邵陽氏から興味深い話を聞いた。日本僑報社から出版している日中発信力シリーズの第三弾として文化編の編集作業を進めており、執筆陣として参加をお願いしに行ったのだ。邵氏は上海人で、1992年に来日。熊本で5年間留学をしていたが、縁があって益田屋で働くようになり、日本の茶道と出会った。その後、同店の息女と結ばれ、上海に支店まで開いた。

新宿の本店では、中国人観光客向けの茶道見学ツアーも行っているが、もちろん茶道具を販売するのが目的である。言うまでもなく、喫茶の生活文化は中国で生まれ、茶(チャー)の中国語音と共に世界に広まった。日本では、禅の精神が加わることによって精神を修養する礼法に発展し、茶の湯、茶道が生まれた。家元制度によって厳格に作法が伝えられ、今日に至っている。茶道は日本独特のものだ。

一方、中国で客人を接遇するいわゆる「茶芸」は改革開放後、主として商業目的のために広まったというのが邵氏の解説だった。茶芸を広める職業学校も生まれ、雇用創出の役割も担った。中国では庶民の間で喫茶の習慣が広まったが、芸術としては発展していない。むしろ高価な茶が投機の対象になるなど、茶はビジネスの道具として見られている。茶芸の歴史的も数十年に過ぎない。

多くの日本人は錯覚してしまう。お茶は中国から伝わったのだから、日本茶道の「侘び、寂び」や「和敬静寂」も中国人に言えばすぐ伝わると。だが「侘び」も「寂び」も、うまく言葉で表現することは困難だ。荒れた自然を見たり、茶器を眺めたりするときに、ふと直観するような感覚だ。似て非なる文化を持った者同士は容易に誤解してしまうが、実はこの感覚を伝えるのは至難である。20年近く日本の茶道を中国に広める仕事をしていて、邵氏が体感したことである。

だがもう一つ、彼が気付いた重要なことがある。中国人に理屈で茶道を教えようとしても無理だ。そもそも育った文化的な背景が違うのだから。だが、茶器の美しさ、価値は理解できる。最初は、贈り物として派手で華美で高価なものが重宝される。金をあしらった蒔絵がもてはやされる。関心は見た目の鮮やかさと、値段に向かう。ちょうど中国人がよく日本料理店に行って、「一番高い日本酒をください」と注文するようなものだ。

ところがだんだん目が慣れ、肥えてくると、自分の好みが生まれる。派手さよりも味わい、個性を求めるようになる。ちょうど海外旅行を経験し、一定の文化水準を持った30代から40代の富裕層だ。日本観光のリピーターが、大都市を離れ、秘湯の旅を楽しむような趣向の変化を想像すればよい。彼らは、信楽焼や備前焼など土の香りがするものを好むようになる。中国語で言えば、美しいを意味する「好看(ハオカン)」「漂亮」(ピャオリャン)」から、味わいを形容する「味道(ヨウウエイダオ)」へと価値観が変わっていくのだ。

邵氏はこれを「モノから入る茶道」と呼ぶ。個性の重視がさらに、窯元に行って実際にモノづくりの現場を見て、自分の好みのものを注文する方向に発展していくことを、彼は期待している。いずれは多くの日本人が定年後の楽しみに通う陶芸教室のようなものまで広まっていくかも知れない。

土の味わいに戻っていくのは、人間が本来あるべき自然に返ることにほかならない。そこには、自然を愛した陶淵明らの田園詩人や無為自然を説く道家思想を生んだ中国人のDNAがあるのではないか。いつの日か荒れた草葺きの庵で、侘び寂びを理解する時がくるのではないか。そんな議論をしながら、抹茶をごちそうになった。きっといい原稿が書けるに違いない。