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三位一体という名前のクラブ14

2018-11-23 00:38:58 | サッカー(Jリーグ(J1・J2)・国内)

 リスペクトコラムです
 大分さん、J1自動昇格おめでとうございます。大分さんといえば、当ブログでもその地方クラブとしてのドラマチックな展開に、ずっと注目してまいりました。栄光と転落の溝畑時代、その後苦労した青野時代、そしてJ3から一気にJ1まで上り詰めた今の時代と、その破天荒なクラブの生き様を見せつけられました。今回のJ1昇格劇について、ネットから情報を拾ってみました。
   
【大分が6季ぶりJ1復帰!経営再建途中も高み目指す】
「大分は09年、深刻な経営難からクラブ消滅危機に陥ったが、Jリーグの6億円緊急融資を受けて回避。しかし、J1復帰は融資完済が条件だったため、徹底した赤字体質改善のあおりで日本代表GK西川周作(32)、DF森重真人(31)、MF清武弘嗣(29)ら主力が大量流出。チームも弱体化した経緯がある。
 そんな逆境下、12年10月に県民の寄付や地元政財界の支援でJリーグに未返済だった残り3億円を返済、奇跡のJ1昇格を果たした。一方、最大約11億円にのぼった債務超過は14年5月に解消。だが、いまだ債務超過解消へ出資を受けた企業再生ファンド株の買い取りを進めているところだ。経営再建途中の影響で来季は予算約11億円の予定。リーグ最低クラスの選手年俸で戦うことになるが、どん底に落ちた屈辱を糧に高みを目指す。」
引用:日刊スポーツ

 とにかく大分さんは実は経営的に厳しく、いろいろな制約の中で経営再建を続けながら、強くなってこられた市民クラブ。Jリーグの緊急融資ですから。その完済は市民からの多額な募金(億単位だからすごい)という、どこも真似できないレベル。予算が11億って、地元岡山よりも1~2割少ない金額なのに、方やJ2の15位、大分さんは2位という違い。まぁこれはクラブの歴史と付加価値の違いでしょう。大きいのは監督の差もあると思います。そんな片野坂監督の情報です。
   
【片野坂知宏という人物。大分の危機を救い、従来の概念を覆す革新的な戦術でJ1昇格】 
〔『地方の星』大分復権の道のり〕
「かつてはJ1でJリーグナビスコカップ(現JリーグYBCルヴァンカップ)優勝まで成し遂げ『地方の星』と呼ばれた大分が、まさかのJ3にまで転落したのは2015年。降格の責任を取って青野浩志社長が辞任し、シーズン途中から監督を務めた柳田伸明強化部長もクラブを去った。

 9年に深刻な経営危機が明るみに出た後、リーグや地元企業や行政からさまざまな支援を受けながら立て直してきたなかでの不覚。1年でJ2復帰しなくてはクラブの存続も危ういとささやかれる中で、新たな指揮官に就任したのが片野坂監督だった。現役時代に大分でプレーし、引退後もクラブに残って強化やアカデミー指導に携わると、指導者S級ライセンスも大分で取得。『その恩を返すときが来ました」と、古巣の危機を救うために駆けつけた。』そのスピード感もまばゆいが、何よりも指揮官の有能さを物語るのは、大分トリニータというブランドの堅実な再構築ぶりだ。」
〔独自の戦術構築、“片野坂流”とは〕
「就任当初はいきなり自身の理想を注入することを避けた。前年までの4-4-2システムを継続しつつ、後方からビルドアップする攻撃的サッカーを徐々に意識づけし始める。1年でのJ2復帰というノルマに向けて夏以降は現実路線へとシフトしたが、その公約を果たすと翌シーズンは『いざ、片野坂大分元年』とばかりに、サンフレッチェ広島でミハイロ・ペトロヴィッチ監督がベースを築いた3-4-2-1を基本とする可変システムを導入。独自の戦術構築へと着手した。
 ビルドアップ時にはボランチの1枚が落ちて4-1-4-1になるなど広島のスタイルを踏襲してスタートしたが、試合を重ねながら課題を修正する中で、対症療法的にアレンジが施された。ペトロヴィッチから森保一が受け継いだ“ミシャ式”に、ガンバ大阪時代に西野朗、長谷川健太らの下で学んだエッセンスを織り交ぜながら、“片野坂流”が培われていく。」
「今季を終えてみれば、ゴール数はリーグ最多の76得点。そのほとんどが流れからの得点で、4名の二桁得点者(馬場賢治12、藤本憲明12、三平和司10、後藤優介10)を中心にフィニッシュには多彩な選手が絡んでいることからも、組織的要素の強い傾向が見て取れる。」
「多額の強化費を望めない地方の小さなクラブでは、絶対的存在となれるストライカーを獲得することは難しい。だが、それを逆手に取ったように、GKを起点に相手を崩すスタイルが、この特徴的なデータを生んだ。」
「片野坂体制以後は、指揮官と同じタイミングで強化部長に就任した西山哲平の手堅い手腕もあって、一貫した戦術の継続性が保たれている。シャムスカ時代の『カメナチオ』に象徴されるように、長年、堅守速攻スタイルを踏襲してきた大分が、まったく新しいスタイルへと舵を切ることができたのも、それがあってのことだ。“弱者のサッカー”という従来の概念を覆すエポックメイキングのひとつとも言える。」
引用:GOAL

 青野社長はJ3降格時に辞任されたのですね。J3の時に就任し、J1まで引き上げたのが片野坂監督。元々は選手として大分さんに所属していたようですが、実はJ1柏のレジェンドでもあり、少し馴染みがあります。今季は最多得点。カウンターでした得点できないところとは違って、大分さんはほとんどが流れからの得点。2ケタ得点が4人って多くないですか? ちなみに地元岡山はゼロで、最多は仲間浅春8点。少ない強化費という条件の中で、点取り屋を作らず、選手みんなで得点していくスタイルでもこの成績。
 経営危機もあってJ3に落ちた時は、当分ダメかと思いましたが、大分さんは見事に蘇生し、J1に復帰されました。それもクラブだけで成し遂げたのでなく、地域の力も加わってだと思います。前にも紹介したとおり、後援会組織(地域と職域と多彩)が充実しており、チーム名のとおり、三位一体で勝っていったと思います。ここ最近、観客動員も順位も低迷していて、どうしてうまくいかないのか悩んでいるところがあれば、大分さんを見習ってはいかがでしょうか。後援会組織が無かったら、地域と相談して早く後援会組織を作り、三位一体の支援体制を構築すべきです。大分さん、J1で暴れまわり、ぜひもう一度ルヴァンなどタイトルを獲ってください。

 あと、話題になったのが浅田飴の存在。試合のたび大声で指示して声をからす監督ののどを案じたサポーターが、ツイッターで浅田飴に「SOS」を出したのがきっかけ。同社が監督にのど飴を贈り、監督がそれを手に試合に臨む姿が報じられ、スポンサー契約を結んだとか。サポーターたちの間でも、同社の飴でのどをケアしながらチームに声援を送る動きが広がったとか。「社長も「直接お礼したい」と大分を訪れ、片野坂監督らに謝意を伝え、追加ののど飴90缶を渡し、ホーム戦で、サポーター先着3千人に社長らがのど飴を配布したとか。
J2大分関連⑫:https://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20180206
 〃    ⑪:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20180129
 〃    ⑩:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20161123
 〃    ⑨:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20151212
 〃    ⑧:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20140324
 〃    ⑦:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20130628
 〃    ⑥:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20121126
 〃    ⑤:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20091216
 〃    ④:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20090706
 〃    ③:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20090102
 〃    ②:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20081104
 〃    ①:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20081103

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