J OKAYAMA ~岡山スポーツの桃源郷へ

岡山トップスポーツファミリー(ファジアーノ等)、スポーツ文化情報リスペクトブログ(共同運営)。

クラブ経営について77

2018-03-04 00:01:19 | ファジアーノ岡山

 リスペクトコラムです。
ビックリしたニュースでした。新たにJ2岡山の運営会社に新たに取締役が2人増えたという21日のニュースの後に、木村社長の退任報道です。一連の報道も観たし、記者会見も観ました。確かにクラブとしてはダメージかもしれませんが、もう決まった事。前を向くしかなく、新しい経営価値観のもと、きっと結果オーライになると信じて支援していきましょう。まずは28日の山陽新聞のニュースを抜粋。
   
【木村代表 J専務理事に】
 Jリーグは27日、理事会でJ2岡山の木村代表が空席だった専務理事に就任する事を承認。任期は3月27日の社員総会で正式決定されてから2年間。代表後任には鈴木GM、新設の社長には北川ホームタウン推進部長を充て、現場と経営面責任者を分けた体制。
 №3であるJリーグ専務理事は常勤役員でJクラブの代表を兼務できないため、木村氏はJ2岡山の代表を3月26日で退く。Jリーグでは事業面を担当し、海外での放映権管理やグッズ販路の拡大、Jクラブへの運営アドバイスを行う。

【ファジは大丈夫 退任の木村代表ら会見】
-クラブを離れる今の気持ちは。
木:「2月上旬に専務理事の話をいただいた時は当惑が大きく、本音は1年待っていただきたかった。複雑な思い。ただ、クラブの成長を考えた時、自分が経営者でいるのが正しいのかどうか。7年目くらいから自問自答するようになった」
-クラブの新代表や新設ポストの社長の役割分担は。
木:「人、モノ、金の一番重要な最終意思決定権者は鈴木になる。GMでもあり、統括するチームを離れるんは時間的に難しい。よってステークホルダーや地域の方々を回るのは社内的にナンバー2の北川が担う。(経営面の)チェックを担当するのが森、吉田になる」
「今年は集大成の年と位置付けていた。クラブから離れなければならないため気持ちの整理がつかなった」という中で熟考し、専務理事が空席で「チェアマンの苦悩も感じていた」と決断理由を説明。
 数年で交代するケースが大半というJクラブの代表。既に一番の古株だった木村代表が、いずれ退任することは避けられないことだった。木村体制でも成し遂げられなかったJ1昇格、そしてさらなる発展へ、バトンを受け継ぐ新経営陣の手腕はもちろん、問われるのは県民の姿勢。 

【ファジ代表退任の経緯 率直に語る 木村正明氏が記者会見】
 「専務理事就任については、2月中旬ごろ、Jリーグの村井満チェアマンから直球で打診があったと語り、「チェアマンに迫力があった。『NO』を言えないのは分かっていたが、あまりにも唐突だった。就任すればクラブを離れないといけないため、短い時間で自分の中で整理がつけられなかった」と明かしました。7年前から代表とは違う立場でチームに関わることも考え始めていたとも話し、「今年を集大成の年にするつもりだった。そのため動揺、当惑が大きかった」と心情を吐露しました。
 今回の人事は「1年前から準備ができていたわけではないので、シーズン後改めて考えてもらいたい」と話しました。鈴木徳彦ゼネラルマネジャー(GM)が後任の代表に就くことは、「選手らの信任が厚い鈴木GMが、チームの動揺を防ぐベストな人事」と説明しました。」
「不安を感じるサポーターに向けては「クラブはこのあとも大丈夫。できれば、今まで以上の声援・支援をお願いしたい。必ず岡山に戻ってきます。そのときはJ1の舞台、満員のスタジアムで盛り上がる岡山に帰りたい」と呼び掛け、「(専務理事として得た)人脈や経験は岡山に還元できる。1回(チームを)出ることは、ファジにプラスになる」と語りました。」
引用:山陽新聞
   
 こんな感じでした。7年目くらいから社長に留まるべきか悩んでいたのですね。それならば、何年か後にクラブに帰って来られても、もうナンバー1には就かれないかもしれません。代表後任の鈴木GMですが、当ブログでは選手等による貢献面で評価が高い方、個人的に期待しています。同じく当ブログで評価が高い村井チェアマンも、今回の話の打診でNOを言えない迫力という事で、改めて、リーグ側との力のバランスを再認識しました。組織として上部団体の望ましい姿なのかもしれません。
 以前に、Vリーグの長すぎる監督というテーマで記事を書いた時に、「ん?そう言えばJクラブ社長は?」と思いましたが、市民クラブの社長として長く務めている人が何人が浮かんで、そこで前に進まなかった経緯があります。任期が短いJクラブ社長は、親会社からの「天下り」という傾向もあると思っていましたが、まさか木村社長が最長とは。
 また、筆頭株主から降りるとありましたが、いいんじゃないでしょうか。以前の記事で公式HPで株主名簿掲載の有無を紹介していますが、公開しているJ1主要クラブを見てみると、個人オーナーが筆頭株主という事例は見られず。経営面でも幅広い支援を受けるという点では、J1にふさわしいクラブになるために必要な道であると個人的に認識しております。
 少し前に常務理事が空席となった事もあり、村井チェアマンが苦悩されていたのを気遣っていた木村社長も優しいですね。Jリーグ専務理事について、ちょっと調べてみました。

【Jリーグ歴代専務理事】※間違っていたらご指摘下さい。
・木之本興三氏  在任期間(5年):1998年(49歳)~2003年 / 2004年から㈱エス・シー・エス社長、フクダ電子アリーナ名誉会長に就任
・鬼武健二氏    在任期間(2年):2004年(64歳)~2006年 / 2006年からチェアマン就任
・犬飼基昭氏    在任期間(2年):2006年(63歳)~2008年 / 2008年から日本サッカー協会会長就任
・中野幸夫氏    在任期間(8年):2009年(53歳)~2016年 / 2017年1月から再びアルビレックス新潟社長に就任

 蒼々たる顔ぶれですね。うち、中野社長は当ブログで尊敬するJクラブ社長の1人です。これを見ると、専務理事退任後は、更にサッカー関係の要職に進むパターンと、地元に帰るパターンがあった様子。就任年齢を見ると、要職に進まれた鬼武さん、犬飼さんは60代。地元に帰られた木之本さん、中野さんは木村社長と年齢が近いという事か。今回はたぶん1期(2年)でという事にはならず、何期か務められるのではないかと思います。
 また、中野さんの場合は、新潟さんがJ2降格などクラブとして停滞期に入った事も、クラブ社長に再び就かれた事に影響があったのかなとも。個人的には、例えば将来的にJ2岡山のナンバー1に戻るとしたら、それはクラブの危機の時かと思ってみたり。会見で何か違う形でクラブへ貢献する事を考えていた、J1に上がっておいて欲しいと言われていましたが、何か違う形での支援が本望なのかもしれません。
 あと、岡山バカうんぬんがありましたが、究極の「岡山」的な支援は、知事や市長なのかもしれません。専スタ構想もあり、ひょっとしたら行政側からの支援もいいかもと思ってみたり。フットボールチャンネルでは、村井チェアマンのヘッドハントという論調になっています。また、クラブから記者会見の全文が掲載されました。これはいいですね。リスペクトできました。今までの記事に無かった情報を引用して紹介します。

【J2岡山の敏腕社長がJ専務理事に。仰天人事から見える村井チェアマンの青写真】
「いわばヘッドハンティングと言っていい木村氏のJリーグ専務理事就任は、村井チェアマンの強い希望に導かれて実現した。先月30日にチェアマンとしての続投が決まり、3期目へ向けた執行部のメンバーの人選に着手したなかで、真っ先に木村氏へ連絡を入れた。2月に入ってからのことだった。
 『ぜひとも彼に来てほしいという思いがあったので、私が「お願いします」と言ったら、最初は「エッ」とかなり驚かれたような感じでした。それでも、すぐに『少し時間をください。明日のお昼まで』と言ったんですね。普通ならば1、2週間後とするところを、集中的に考えてくれました。
ただ、どうしても丁寧に対応しなければいけない顧客がいる、ということで数日間動かれていましたが、私自身も木村さんが首を縦に振るまでは動かない、というほどの強い気持ちでしたので。そこを感じていただき、想像するに非常に早い意思決定をしていただいたと感謝しています』」
「リクルートの執行役員を務めていた2008年に、Jリーグの理事に就任した村井氏。そのときから、JFLを戦っていたファジアーノ、そして運営会社の代表取締役として陣頭指揮を執る木村氏が気になる存在だったのだろう。第5代チェアマンに就任した2014年1月に、木村氏もJリーグ理事に就任している。」
 「『中野さんが専務理事を退任された後は、いわゆるクラブを経営した手腕や豊富な経験をもつ方が、Jリーグのボードのなかに常勤ではいなかったので』  加えて、複数の女性職員に対してパワーハラスメント及びセクシャルハラスメントを繰り返していたとして、常務理事だった中西大介氏が辞任した昨年6月以降は、マーケティングや事業という領域に対して見識をもつ人材も欠いていた。顧客を対象とした『B to C』だけでなく、企業間取引である『B to B』のノウハウにも長けた理想の人材が木村氏だったと村井チェアマンは言葉に力を込めた。」
引用:フットボールチャンネル

【クラブでの記者会見(ピックアップ)】
・私も村井チェアマンが着任されてから4年間クラブ理事を務めさせていただいており、専務理事が1年間空白であること、常務理事が半年間空白であることに心配はしていた。
・3年でJリーグ入り、7年で活動拠点、10年で平均入場者数1万人、15年でサッカー専用スタジアム、20年ですべてのスポーツのスクール、30年ですべてのスポーツスクールの無料化。
・今回自分が12年引き受けて思ったのは、まずJリーグ54クラブのクラブ代表で8割の方が2年で退任される。9割5分に近い方が3年で退任され、気が付けば12年も務めている私は一番長くなっていた。
・どこかのタイミングで経営者からは一旦引くことを考えていた。経営は後継者に任せ、長期的にコミットが必要な部分、スタジアムかもしれないし、より強い財務基盤の確立のために将来クラブにスポンサーできる ような会社を設立することかもしれないし、理念遂行のための幼児教育かもしれないし、違う立場で自分が関わっていくことをずっと考えていた。タイミング的には代表取締役から会長、またはオーナーに退くタイミングというのは、今年の末くらいで一旦は考えていたが、自分が代表を降りてすぐの体制に関しては相当前から考えていて、
・(岡山に帰ってくるビジョンは?)経営は現場の皆さんがしっかりやってくれると思うしやらないといけないので、その時点でファジアーノが最も弱いところをサポートしたい。それは財務基盤なのか、フットボールスタジアムなのか、育成なのか、その時にならないとわからないが、いずれにせよクラブは1人の力では何もできず力が合わさって強く育っていくので、自分が戻ってくるタイミングで判断してサポートしたい。

 新しい経営体制になるにあたり、個人的には1/1の記事に書いてある事を実現して欲しいです。ここ数年は1月1日に個人的な思いを綴っています。今まで木村体制でできなかった事を、鈴木新代表を中心とする新体制でぜひ進めて欲しいです。更にどういう形は別として、将来的に木村社長が帰ってこられるならば、Jリーグへ行かれて、ぜひ更に「Jリーグ百年構想」を学んできて欲しいです。サッカーだけでなく、異競技との交流・連携をどうしたらいいのか、「(特定の地域での)地域密着」ではなく、県民クラブとして更に広く地域に根を張るためにはどうしたらいいのかなど。また、くれぐれも前常務理事さんのようにアメリカに目を向けるのではなく、ヨーロッパを見て欲しいなぁ。生意気な論調になりましたが、あくまで個人的な妄想、空想なので気にしないで下さい。
 ふと、木村社長と初めて会った時の事を思い出しました。2005年か2006年の初め。一木会関係だったかの会合で名刺をいただき、東京に行った時に連絡を入れさせていただき、ちょっとご飯を食べた覚えがあります。あの時と比べたらすっかり変わられたかな。さて、明日ホーム開幕戦です。今季からの新しい「選手のイベント参加」ですが、早くも鈴木GMのカラーが出てきたのかなと勝手に思っております。
クラブ公式HP該当ページ:http://www.fagiano-okayama.com/news/p1473053671.html
Jリーグ公式HP該当ページ:https://www.jleague.jp/release/post-52692/

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする