かしょうの絵と雑記

ときどき描いている水彩スケッチや素人仲間の「絵の会」で描いている油絵などを中心に雑記を載せます。

60年前の5・19-岸首相と安保闘争

2020年05月19日 | 雑記ー自分のこと、世の中のこと

  昨日の18日の朝日新聞の「天声人語」に60年前の5月19日の深夜のことが「日米安保条約改定法案をめぐり、警官数百人が議場を固める中、岸信介首相率いる自民が採決を強行する。」と書かれていた。安倍首相の祖父である岸は階層年齢にかかわりなく多くの国民に広がった安保反対の声ではなく「声なき声に耳を傾けたい」と述べ、それに反発、さらに高まった非難の声に退陣させられた。「天声人語」は岸を「堂々たる愚直さ」を持っていたとし、安倍は「ウイルス禍のさなか、検察庁を手なずけるかのような法案を通そうとする姑息さ」を持つと書いている。岸はA級戦犯容疑者であり、憲法改正を政治信条としたナショナリストであるが、人柄はまだ安倍よりましだと言っていると理解した。岸が自分は安保反対の声を聞こうとせず「声なき声」に支持されていると言ったと同様に、安倍も検察庁法改正に反対するツイッターなどの声に耳をふさごうとしたが、時期が悪いと採択を延期した。しかし、断念はしないと明言している。60年前には安保条約改定は許したが、さらに憲法改正を狙う岸を退陣させた。が、祖父の夢=憲法改正を狙っている安倍は退陣させられないのであろうか。

 たまたま新型コロナ騒ぎのなか古い写真や資料の整理を続けており、60年前に学生として参加した60年安保闘争のことは記憶にあるので、「現在」を考えるために少し振り返ってみたいと思った。

 日米安保条約の改定交渉が1958年秋に始まり、翌59年、国民会議は10次にわたる統一行動に取り組んだが、それは総評参加の労組の春闘などに合わせたものだった。しかし、学者・文化人あるいは婦人や市民の参加は回ごとに増えていき、地方の共闘組織と統一行動も広がった。勤評、警職法に学生自治会とともに取り組んでいた各大学生協は安保闘争においても全学連とともに国民会議の統一行動に参加しており、大学生協連の常務理事だった私も統一行動にはほぼ毎回参加した。

11月27日の第8次統一行動の国会請願デモで、先頭部隊の学生とそれに続く労働者が警官のバリケードの隙間を破り構内に入った。予想外の事態にデモの指揮者は構内からの撤退を呼びかけ、私をふくめ生協関係者や労組員はまもなく撤退したが、全学連指導部は構内での抗議行動をやめようしなかった。翌60年1月、全学連は独自に岸訪米阻止の羽田闘争を決行、警官隊との衝突を繰り返した。社会党・総評の国民会議と全学連の関係は悪化し、共産党も全学連批判を強めた。以降、大学生協連は国民会議の統一行動を発展させる立場を確認、文化人・市民団体と行動を共にすることとにした。

 60年1月19日、日米政府は新安保条約を調印、国会ではそれを批准する審議が始まった。4月の春闘時には数次の統一行動が組まれ、時限ストを含め安保反対の行動には150万人が参加(15日)、国会請願デモは8万人(26日)の規模となった。5月の統一行動には商業者の商店ストも加わるなどさらに幅広い運動となった。そのような状況の中で5月19日、自民党は新安保の強行採決を狙い、警官4000人の派出を要請、院内に500人の警官を入れ、抵抗して座り込む社会党議員などを排除し、深夜(20日0時過ぎ)に強行採決、新条約を承認した。

 のちに「1960年5月19日」(岩波新書)を書いた日高六郎は、この5月19日という日は太平洋戦争開戦の12月8日と並んで「国民にとって永久に忘れることのできない日であろう」、それは真珠湾攻撃の奇襲と同じ、岸首相による「国民と民主主義にたいする政治的奇襲攻撃」の日だったと述べている。岸はアメリカのアイゼンハワー大統領を国賓として招いており、その訪日予定日が6月19日であり、衆議院で採択されれば1ヶ月後の6月19日には参議院で新安保条約は自然成立するからであった。

 この日の国会で警官が座り込む野党議員をごぼう抜きする映像を見て、国民は日高同様に「国民と民主主義に対する攻撃」と受け止めた。警察官の出動要請のまえに国会周辺警備のために自衛隊の出動を要請したが、これは自衛隊の方から「国民の信頼を失いたくない」と断られたという事実も知らされ、国民の思いは安保の是非から民主主義を守れに移り、その怒りはさらに広がった。国会請願デモは10万人(20日)から17万5000人(26日)となり、終日、国会周辺や銀座などでデモ行進が続いた。

 このような緊迫した状況の中で6月3,4日、日本生協連総会が市ヶ谷の自治労会館で開催され、その総会には大学生協連などの代議員から出された国会請願に行こうとの動議が可決され、多くの総会参加者が国会に向かってのデモ行進に参加した。そして6・19を迎えるが、その経過と私の認識は次回に述べたい。(写真は「大学生協の歩み」大学生協連創立25周年記念誌から)

 

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