あけましておめでとう。
この絵は今年の年賀はがきに使ったものです。
昨年、世の中は面白くないことばかり。新年も”百年に一度”と言われる経済危機の中で迎えることになり、心底からは喜べない。
そのなかで故郷・佐渡で久しぶりに朱鷺が空に舞ったのが、うれしい。
佐渡の朱鷺が多くの人の熱心な保護活動にもかかわらず死滅し、中国の協力を得てその復活を試みてから”朱鷺が大空を飛ぶ”ことは佐渡の人々だけでなく多くの皆さんの夢だった。
佐渡育ちの私には当然のこと。
3年前にはちょっとだけだが朱鷺の自然放鳥のためのビオトープ作りなどしているNPO樹恩ネットワーク(大学生協の関係者が中心)の活動に参加した。
この絵は10年まえ、99年の暑中見舞いのはがきに使ったもの。
”朱鷺の飛ぶ夢”とあるとおり、10年前は”夢”だった。
この絵は3年前に描いた加茂湖のスケッチに朱鷺の姿を入れ、今回描いたもの。
しかし、はがきに印刷すると面白くなく、サインペンと淡彩で描き直し、年賀状にした。
これはA4判だが、前の2枚ははがきの倍くらいの用紙に描いている。
放鳥された10羽の朱鷺は寒い佐渡でどうしているか(1羽は新潟、1羽は行方不明だが)と、時々佐渡朱鷺センターなどの情報をネットで探している。
そこからは朱鷺だけでなく、朱鷺を愛するボランティアの皆さんの姿も見える。
この絵は今年の年賀はがきに使ったものです。
昨年、世の中は面白くないことばかり。新年も”百年に一度”と言われる経済危機の中で迎えることになり、心底からは喜べない。
そのなかで故郷・佐渡で久しぶりに朱鷺が空に舞ったのが、うれしい。
佐渡の朱鷺が多くの人の熱心な保護活動にもかかわらず死滅し、中国の協力を得てその復活を試みてから”朱鷺が大空を飛ぶ”ことは佐渡の人々だけでなく多くの皆さんの夢だった。
佐渡育ちの私には当然のこと。
3年前にはちょっとだけだが朱鷺の自然放鳥のためのビオトープ作りなどしているNPO樹恩ネットワーク(大学生協の関係者が中心)の活動に参加した。
この絵は10年まえ、99年の暑中見舞いのはがきに使ったもの。
”朱鷺の飛ぶ夢”とあるとおり、10年前は”夢”だった。
この絵は3年前に描いた加茂湖のスケッチに朱鷺の姿を入れ、今回描いたもの。
しかし、はがきに印刷すると面白くなく、サインペンと淡彩で描き直し、年賀状にした。
これはA4判だが、前の2枚ははがきの倍くらいの用紙に描いている。
放鳥された10羽の朱鷺は寒い佐渡でどうしているか(1羽は新潟、1羽は行方不明だが)と、時々佐渡朱鷺センターなどの情報をネットで探している。
そこからは朱鷺だけでなく、朱鷺を愛するボランティアの皆さんの姿も見える。