樫田での瞬き
HPの方は、画像が転送できないので開店休業。だから、少しばかりこちらに転載しておくことにした。
月は闇のため、闇は月のためにある。
青い月の光を浴びながら、しばし踊ってみよう。
山の木々のざわめきが聞こえる。
夜明け。 季節のうつろいの中で村が深呼吸している。
撮るより見とれていたいのだけれど。 靄が好き。
囲炉裏に転がり込んできた日。2009年初夏 倉庫を荷物用に借りた。
囲炉裏茶屋の陶芸教室和里庵から臨む。 雪の季節と雨の季節と。 時は巡る。
ここに客として出入りするようになって3年。ここでは、客が店員をすることがある。
私も買出し部隊や洗い場のおばちゃん・ウェートレス・ホステスになる。
私はここをこれからも自分の居場所と感じ続けるだろう。
工事用鉄筋で作ったバラのアーチ。春に白い花が咲く。
雪の中で魚釣り。 こいつは雪の中でも酒を買いに行く気だ。
真冬でも露天風呂に入る。 杉木立をライトアップして入る夜の露天風呂は最高だ。
ここで私は本を読み、食事をし、コーヒーを飲む。頭の上から檜の香りが降ってくる。
“幻の日本狼” 烏に食われて口が裂け始めた。
温泉風情の雪だるま。
吹雪が好きだ。 “不自由”と“不便”の豊かさ。 夜明け前のマイナス2度が嬉しい。
雪の上に手形をつける。裸足になって雪の上を歩いてみた。 背筋が凛としてくる。
筍や山菜をなどをゆがく時に使う大きな鍋。私は“ナチス帽”と呼んでいる。
トイレの石臼の水が凍った。手を洗えなくなった。 この石臼の中にはめだかがいる。小宇宙。
コッコちゃん達の井戸端会議。
ゴミ捨て場から拾ってきた庭用の陶器椅子。割れているが上部が使えるので、根元を土に差し込んでテーブルにしている。ここでコーヒーを飲んでいると、2時間ぐらいあっという間にたってしまう。
手前の石は解体現場からいただいてきた。椅子にしている。
樫田に生まれ育った人には当たり前の光景。 獣の足跡や霜の華を発見するたび立ち止まる私。
風土が人間に与える影響について、時々考える。
北海道人の性格と沖縄県人の性格はまるで違う印象がある。
北海道人は、めりはりがきいている。
沖縄県人は、鷹揚に見えるが・・・さて?
そして、新潟県人の忍耐強さは尋常ではない。
雪に閉ざされた世界で、断念しなければならなかったことは多かったはずだ。
情念の奥底に決して動かせないものを潜ませていると感じるのは私だけか。
静かな粘着性のある強さには驚嘆する。
いずれも歴史と風土に培われてきたものだろう。
石垣にも雪が描いた絵 比較的若い竹の群落
雪の上でもけっこう燃えるんだ。 足跡をつけて眺めてみた。
何でもない光景だけど見とれてしまう。 いいぞ!! ふふふふふ。
雪の絵画に私も足跡で飛び入り参加してみたい。 工房しげのすぐそばにある経塚横の墓地。
下から上がってきた子ども達が作った雪だるま。
下に降りると、私の車は場違いな存在になる。下と上では5度気温が違う。
明神ヶ岳への道(明神沼) 元旦のポンポン山頂上
二料で。緑とピンクの競演。まさかこの後に大雪が降るなんて誰が想像できたろう。
八重桜に積もった雪。
亀岡市東別院町鎌倉神社前 大工の橋本さんが造作した花壇。
芽吹きの頃はいつも希望が湧いてくる。 わいわいがやがや花たちの声が聞こえる。
一昨年に閉園した菖蒲園。菖蒲はもう根こそぎないが、水芭蕉は残っていた。
誰も来ない廃園にひっそりと九輪草も咲く。
太田順一さんの“化外の花”を思い出した。
菖蒲園がまだ運営されていた頃。 蒸し暑い暗闇で蛍の姿を追った。
中畑のすみれ群落。
霜をかぶったすみれがきらきら輝く。
5月の連休頃まで霜が降りる。
工房しげの裏の林道から萩谷へ向かう。
新緑が目にしみる。
近くにこんなにいい山があるなんて。
遠くに高槻市街を見下ろす。
鶯の声を聞きながらおにぎりをほおばる。
下から子ども達が農業体験学習に上ってくる。
逆さの世界にしばしたたずむ。
中畑:上棟の日
鏡面のようになることがある。 何匹成長できるかモリアオガエル
雨が降ると一気に増水する。芥川の最上流の最初の一滴から1kmもしない菖蒲園内でも洪水が起きた。