10年分タダ読みにトライしたものの・・・
老眼に堪える。
ドライアイもあって目がちらちらするし、シャイだから短時間しかパソコンに向かえない。
パソコンに照れているのではない。斜位だ(左右の目が上下焦点を上手く結べない、斜視とも違う)。
で、石山修武氏の世田谷村日記は、まだ2002年5月までしか読めてない。
だが、いいねえ!! 感激しっぱなし。
2002年4月13日世田谷村日記のリンク記事「オープンテックハウス」なんて、
いいねえ!! うなりっぱなし。
「家を安価に自分で造る。家族・仲間と作る」
「最大のマイノリティ勢力である子ども」
「マイノリティとは、非生産的立場にいる人間と規定する」etc,
「私は家造りを便利でこぎれいな器作りとは考えない」
なんてくだりは拍手大喝采。
いいよ、ほんとにいい。嬉しくなってくる。
どうして、私はこんな考えを持ってる建築家と出会わずに今日まで来てしまったのか!
自分の世界の狭さがうらめしい。
(実はアトリエNOAの本庄さんも石山修武氏ほどの“立て板に水”じゃないけれど、通じるものがあるんだなあ、これが。)
石山氏の言う“開放系技術”は、現在の主流になっている住宅市場へのアンチテーゼでもあるが、それがとても分かりやすく展開されている。
これじゃ、この人儲かってないというのもうなずけるなぁ。
「建築」を「建築家」だけの専門領域にしておけば儲かるんだけど、その気ないね、この人。
大して長くない文章なので、このブログ読者にも一読されることをお勧めしたい。
目からうろこの人もいるだろう。
世田谷村は、一般的に言う“カッコイイ家”なんかじゃないけれど(どう見てもありゃ工事現場だ。韓国の換気扇だか空調設備だかがあるけれど、それなんて畑の上に突如モスクがニョキッて感じ。奇妙な光景。)氏の実験精神とか言ってることの具体的実践ってのがいい。
住居のあり方は思想そのもの。生き方の現れだ。
それにしても「子どもが不良にならないような家」を所望した渡辺夫妻もたいしたもんだ。
ちゃんとしたポリシーを持ってる。石山氏はいいクライアントと出会えてるなあ。クライアントに頭に来ながら、あるいはがっかりしながら仕事やってる建築家も多いはずだろうから、この人は幸せだ。仕事してて随分楽しかっただろう。
それにしても、速読術でも身に付けてるのかしらと思うほど毎日毎日たくさんの本読んでるね、この人。知の塊だね。
で、ちっとも堅苦しくなく、ウィットがある。
「カメをカメに入れてカメにカマれて悶絶死」のくだりは、短いことがらをあそこまでいちびって膨らませられることに感心したり、笑い転げたり。
へたなお笑い番組見るよりもよっぽどか面白いね、人の生活10年分のタダ読みは。
もしも電車の中でニタニタ思い出し笑いしてる不気味なおばちゃんを東海道線内で見かけたらそれは私かもしれない。
「あなたが怪人二重面相おばちゃん?」
尋ねられても、ま、あたしゃ逃げて行くだろうけどさ。