水仙ロード計画②
家だけが家だとは思っていない。
周辺の環境も家の一部と考えてきた。
兄ちゃんや中ちゃんたちから「まだ窓枠の防腐剤も塗らんのに、庭ばっかりいじって」と呆れられながらも、暇を見つけては庭の整備をしてきた。
草花や花木たちは植える時期を逸すると、翌年のシーズンを棒に振ることになる。つまり、家が出来ても周辺は雑草まみれの状態でそのままもう一年を待たなくてはならないのだ。合計二年だ、二年!なんとも荒んだ状況だ。こいつはいただけない。で、工事の傍ら、時には家よりも庭にエネルギーを注いできた。
敷地の雑草ひきは、当初、あえて草刈機を使わないで人力で行っていた。
一巡目は通算48時間かかった(土日に6時間ずつ草を抜き続けて1ヶ月かかった)。根っこごと抜いていくので他の家の敷き地よりも雑草の再生に時間がかかった。やっぱり機械よりも人力はいいもんだと感心していたが、それでも一巡目が終わった頃にはすでに最初に抜いたところに草が生えていた。賽の河原。
だが、二巡目にはそれほど時間はかからなかった。どの雑草も根が浅くなっていたからである。お~、人力は素晴らしい!! が、梅雨から夏にかけての雑草たちのエネルギーは凄まじく、草抜きだけでそれ以降の休日は全て終わってしまいそうな勢いだった。やはり面倒になってきた。そこへ、基礎屋から「工事に入るまでに草を刈って下さい」と前々日あたりにと言われ、人力ではとても間に合わなくなり、とうとう草刈機を購入することになった。
面白いほどに草が刈られて倒れていくので、痛快だった。だが、根っこが残ってしまって、次に根絶やしにするのが大変な作業になるのが気がかりだった。
あらら、「水仙ロード計画」について描くはずだったのが、「雑草との戦い」になってしまった。
閑話休題。
丘の持ち主をそそのかして(?)水仙ロード計画の実施にこぎつけたことは以前にも書いたが、あれからどんどん球根を植え続け、水仙だけで100球以上は植えたのではないかと思う。彼岸花や百合やムスカリも移植したが、満開になると見事だろう。
その水仙が蕾をつけた。
おそらく2月頭には咲き始めるに違いない。
地主のTさんも楽しみにしている。
地域の皆が楽しんでくれたら嬉しい。と言っても、この道を通る人間はわずか数人だけだ。樫田校前のバス停で下りたハイカー達が萩谷へ向かう時にはここを通るので、彼らには楽しんでもらえるだろうけれど。
いずれにせよ、ノアの箱家は2月から10月まで北側擁壁以外の三方が常に何らかの花が咲くことになる。
増えろ、増えろ。
球根よ、増えろ。
花たちよ、種を落とせ。
今日も丘の上の畑で枯れていたひまわりの種を揉みとって、そこいらじゅうに撒きたらした花咲かKOKKOおばさんであった。
水仙ロード
里道一帯は冬は丸一日陽があたるので、寒咲き水仙や彼岸花にとっては絶好の場所である。
昨年春の長雨で土砂崩れし、コンクリートの擁壁が設けられ、里道もアスファルト整備された。水仙たちは、右側丘ののり面一杯に植えた。勿論、擁壁の上の斜面にもいくつか植え始めているが、里道上にある二料地区に通じる道のところまで、びっしり水仙が増えるには何年もかかることだろう。
伸び始めた蕾
でも、工事もちゃんとしたよ、この二日間。
KOKKOは一人で土方やったよ。一輪車を使って敷地にたくさんあった木や廃材や岩を綺麗に整理したし、土を運びまくりもした。
それに、浄化槽の石組みをモルタルで固定してオーバーフロー用の穴や溝も完成させたし。
そして、女の柔肌、もといおばちゃんの鮫肌で、そして乙女の細腕、もとい赤銅色の逞しい腕で、重さ80キロの枕木を一人で四段積みにした!!
二段までなら根性出せば何とか積める。三段目からがちっとやそっとじゃ持ち上げられない。
うんうん唸ってて、はたと思い出したのがカナディアンファームの「廃材王国」。ハセヤンが書いていた「てこの原理を活用せよ!」だった。
ためしにやってみたら、すんなり持ち上がったじゃん!!
昔教科書で習ったことは、単なる知識で終わらせてたらダメなのよね。こういうところでこそ役に立てなきゃいけなかったのです。
学校のお勉強は生きていくためにあるというお話でした。
四段積みの枕木。