「ある些細な出来事、
おそらく恐怖とはまったく無関係の何かが、
いわば焦点のような働きをすることによって、
意識下にあった恐怖が
意識されるようになったのかもしれない」
アガサ・クリスティー『葬儀を終えて』
(「ミステリの女王」が亡くなったのは1976年1月12日)
「ある些細な出来事、
おそらく恐怖とはまったく無関係の何かが、
いわば焦点のような働きをすることによって、
意識下にあった恐怖が
意識されるようになったのかもしれない」
アガサ・クリスティー『葬儀を終えて』
(「ミステリの女王」が亡くなったのは1976年1月12日)
正月ドラマの静かな秀作
「人生最高の贈りもの」
正月からいいドラマを見た。4日に放送された「人生最高の贈りもの」(テレビ東京系)だ。
信州に嫁いでいる田渕ゆり子(石原さとみ)が突然、東京の実家にやってくる。翻訳家で一人暮しの父、笹井亮介(寺尾聰)は驚く。帰省の理由を訊ねるが、「何でもない」と娘。
実は、ゆり子はがんで余命わずかという状態だったのだ。そう聞いた途端、「なんだ、よくある難病物か」と言う人も、「お涙頂戴は結構」とそっぽを向く人も少なくないと思う。
しかし、このドラマはそういう作品ではなかった。ヒロインの辛い闘病生活も、家族の献身的な看病も、ましてや悲しい最期を見せたりしない。
また特別な出来事も起きない。あるのは父と娘の静かな、そして束の間の「日常生活」ばかりだ。父はいつも通りに仕事をし、妻を亡くしてから習った料理の腕をふるい、2人で向い合って食べる。ここでは料理や食事が「日常の象徴」として描かれていく。
途中、不安になった亮介は、ゆり子の夫で教え子でもある高校教師、田渕繁行(向井理)を訪ねる。
そこで娘の病気について聞いた。ゆり子は繁行に「残った時間の半分を下さい。お父さんに思い出をプレゼントしたい」と訴えたというのだ。亮介は自分が知ったことをゆり子には伝えないと約束して帰京する。
娘は父が自分の病気と余命を知ったことに気づくが、何も言わない。父もまた娘の病状に触れたりしない。
その代わり2人は並んで台所に立ち、父は娘に翻訳の手伝いをさせる。時間を共有すること。一緒に何かをすること。そして互いを思い合うこと。それこそが「最高の贈りもの」なのだろう。石原と寺尾の抑えた演技が随所で光った。
思えば、人生は「当り前の日常」の積み重ねだ。昨年からのコロナ禍で、私たちはそれがいかに大切なものかを知った。終盤、信州に帰るゆり子に亮介が言う。「大丈夫だ、ゆり子なら出来るさ」と。その言葉は見ている私たちへの励ましにも聞こえた。
脚本は「ちゅらさん」や「ひよっこ」などの岡田恵和。ゆったりした時間の流れを生かした丁寧な演出は大ベテランの石橋冠だ。見終わった後に余韻の残る、滋味あふれる人間ドラマだった。
(しんぶん赤旗「波動」2021.01.11)