碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

「わた定」は、働き方と生き方を問う社会派ドラマ!?

2019年06月18日 | 「毎日新聞」連載中のテレビ評

 

 

「わたし、定時で帰ります。」

働く現場描く堂々の社会派 

吉高由里子主演「わたし、定時で帰ります。」(TBS系)から目が離せない。開始前、よくある「お仕事ドラマ」かと思っていたが、実は堂々の「社会派ドラマ」であることがわかってきた。

32歳の東山結衣(吉高)は企業のウェブサイトやアプリを制作する会社の10年選手だ。所属部署にはクセ者の部長・福永清次(ユースケ・サンタマリア)、優秀なエンジニアで元婚約者の種田晃太郎(向井理)、そして短期の出産休暇で職場復帰した賤ヶ岳八重(内田有紀)などがいる。

結衣は仕事のできる中堅社員だが、決して残業をせず、定時に会社を出る。かつて恋人だった種田が過労で倒れた時の恐怖が忘れられないのだ。もちろん社内には批判の声もある。たとえば福永部長は結衣の「働き方」についてネチネチ言い続けている。

しかも部下の性格やタイプは無視して、「もっと向上心!」とか、「高い志、持ってやれよ!」などと自分の価値観を押し付ける。

さらにトラブルが発生すれば、「穏便にね」と得意の責任逃れだ。結衣は、こういう上司に正面からぶつかるのではなく、自分たちにできること、できないことを明確にし、責任がもてる打開策と着地点を探そうとするのだ。

また第4~5話では、クライアントのスポーツ関連会社が登場した。「根性さえあれば、身体はついてくる!」と主張する男(大澄賢也)が現場を仕切っており、「パワハラ上等!」的な働き方をしている。

結衣のセクションに派遣で来ていたデザイナー、桜宮彩奈(清水くるみ)に対しても、立場を利用してのセクハラ三昧だ。ただし桜宮に「デザインより人付き合いで仕事をとる」傾向があったのも事実で、こうした「働く現場」の重層的な描き方が、このドラマのリアリティーを支えている。

結衣は相手がクライアントであっても、してはならない行為に対しては抗議し、仲間であっても間違っていればやんわりと正していく。だが、彼女は決してスーパーウーマンではない。あくまでも普通の働く女性であり、「人としての常識」が武器だ。

近年、政府が主導する「働き方改革」に背中を押され、企業は主に「制度」をいじってきた。しかし、人が変わらなければ、働き方など変わらない。このドラマは、その辺りを描いて出色と言える。

当初は“たったひとりの反乱”に見えた結衣だが、徐々に周囲を変えつつある。 会社、仕事、そして「働き方」が、自分の「生き方」とどう関わるのかを、明るさとユーモアを交えて問いかける「わた定」も、来週ついに最終回だ。

 (毎日新聞「週刊テレビ評」2019.06.15夕刊)