碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
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産経新聞で、容疑者作品「自粛」について解説

2019年06月02日 | メディアでのコメント・論評

 

【日本の議論】

容疑者作品「自粛」の是非 

肥留間正明氏、碓井広義氏

 

芸能人が関与する事件が相次いでいる。その出演作品は「公開を自粛するべきだ」として放送や販売、配信停止になるものがある一方で、「作品に罪はない」と公開されたケースも。容疑者となった芸能人と作品の関係について、どのように考えるべきなのか。芸能文化評論家の肥留間正明氏と、上智大教授の碓井広義氏に聞いた。

 □芸能文化評論家・肥留間正明氏

 ■一定期間やむを得ない

 --容疑者が出演する作品の扱いについて、この機に考えようという動きがある

「現在放送されているもの、事件発覚後に放送、公開されるものは自粛せざるを得ない。当該芸能人の活躍の場がテレビなのか舞台なのか、立場は主役なのか脇役なのかによっても対応は異なるが、特にテレビ番組はコマーシャル(CM)と放送法で成り立っている世界。CMスポンサー企業に対する配慮は欠かせない」

 --自粛は過剰反応との声も

「芸能人の収入は近年、CM収入の占める割合が大きくなっている。このギャランティー(出演料)の仕組みが変わらない限り自粛はやむを得ず、こうした対応は続くだろう。30年ほど前、ギャラにおけるCM収入はそれほど重要ではなかった。それぞれのフィールドで、芝居や歌といった芸を磨いて収入を得ていた。娯楽の変化によって活動の中心がテレビに移り、俳優でも歌手でも、タレントと大差ない活動をするようになった結果、CM収入が占める割合が大きくなった」

 --企業は、不祥事を起こした芸能人を起用し続けた場合の批判を気にしている

「広告塔になっている芸能人のイメージやモラルが重視されるのは当然のこと。国を挙げて根絶に乗り出している犯罪である違法薬物が、真っ当なルートで手に入るはずもなく、反社会勢力と交際している可能性もある。ギャラが反社会勢力に流れる可能性があるというだけでも企業の信用に関わる。一方で、芸能人たちは世間の見方が近年厳しくなっていることに気付けていない。法律を甘く見ているふしがあり、いつまでたっても芸能界から薬物が排除されない」

--被害者のいる性犯罪などと、薬物事犯は対応を変えるべきだとする意見もある

「薬物事犯に被害者がいないと考えるのは愚かだ。チケットを購入して作品を見る、またCDを聴いて応援しようとしたファンの思いが収入につながっているわけで、その金で違法薬物を手に入れるのはファンの心情を踏みにじる行為ではないか」

 --罪を償って活動を再開させている芸能人もいる

「そうした事実が、最初から自粛は必要ないという論調につながっているのだろうが、何をして仕事を失ったのか反省しなければ過ちを繰り返す。ただし、どんな作品も、世に出るまでさまざまな人が携わっている。存在しなかったものにしてしまっては、その人たちが報われない。時間をおいて、視聴者が作品を味わえるようにすることは必要だ」(石井那納子)

【プロフィル】肥留間正明氏 ひるま・まさあき 昭和24年、埼玉県生まれ。芸能文化評論家、作家、ジャーナリスト。日本大学法学部卒業後、週刊誌記者を経て「FLASH」(光文社)創刊などに携わる。著書に「龍馬と海」(音羽出版)など。

 □上智大教授・碓井広義氏

 ■安易な決定は思考停止

 --芸能人が事件を起こすと、出演作品の配信停止や出荷停止などが慣例化している

「不祥事の発覚後に出演や活動を控えるのは当然だと思う。しかし、過去の出演作品までさかのぼって安易に自粛するのは思考停止に他ならず、反対だ。また、NHKなどは過去の出演作品の配信を停止した際、『総合的に判断した結果』とするだけで、具体的に理由を説明することはなかった。経過を見ると議論が尽くされていなかったように感じる」

 --NHKは「番組は受信料で作られており、反社会的行為を容認できない」としている

「これから受信料を使って撮影するものならともかく、過去の作品はすでに受信料で作られたもので、視聴者全員の共有財産でもある。過去作品の配信停止はむしろ、視聴者にとっての損害ではないか」

 --過去作品の配信停止にはどんなデメリットがあるか

「映像も音楽も、作品は非常に多くの人の手がかかって完成するもの。たくさんのファンが支持した作品を封印するのは、事件を起こした俳優一人の問題ではない。関わった全ての作り手やファンも不利益を被るということだ。また、作品を封印して存在自体を抹消するのは、文化に対する冒涜(ぼうとく)だろう」

 --かつては事件後も自粛せず、社会的に何となく許された俳優がいた

「芸能人が世間の一般常識とは少し違う世界で生きていると思われていた時代には、世論もさほど自粛を求めることがなかった。しかしその後、企業などのコンプライアンス(法令順守)意識が向上し、世間の目も厳しくなった。企業はインターネット上で批判される『炎上』を恐れるようになり、臭いものに蓋をするように、保身のために自粛の判断をするケースも増えた」

 --麻薬取締法違反の罪で起訴されたピエール瀧被告の事件では、出演映画が公開され、一部の生中継サイトも所属バンドの楽曲を配信した

「いずれも作品をどうしたら救えるのか、という検討の結果だ。批判覚悟で公開に踏み切るという姿勢は判断の一つ。思考停止しておらず、評価できる。また生中継サイトの行動は挑発的ではあるが、問題に対する若者の社会的関心を高める意味でも有効であり、面白いやり方だったと思う」

 --今後の自粛のあり方は

「『文化を生かす』という観点から、作品に関わった度合いや時期、罪の軽重や情状酌量の余地によって、もっと個別具体的な判断が求められていくだろう」(三宅令)

【プロフィル】碓井広義氏 うすい・ひろよし 昭和30年、長野県生まれ。慶応大学法学部卒。56年に番組制作会社「テレビマンユニオン」に参加、プロデューサーとして活躍。上智大学教授(メディア文化論)。

 ■記者の目 自粛判断、見えない議論

会員制交流サイト(SNS)などで手軽に意見を表明できるような環境が整ったことで、不祥事を起こした芸能人の作品の放送・公開に関する議論は、以前よりも熱を帯びている。

そもそも、日本の映画業界には、出演俳優が不祥事を起こした映画の公開中止や延期を決定するような「ガイドライン」は存在しない。だからこそ、それぞれの事案の軽重に合わせて判断を柔軟に議論できるはずだ。しかし、実態は一律に自粛するだけという対応が多く、十分な議論が尽くされたのか、外部からはほとんど見えない。

こんな対応が繰り返される中で、芸能人の薬物事件は一向になくならない。芸能界は、以前よりはるかに社会的責任が問われる存在となっていることを自覚し、むしろ率先して薬物汚染に立ち向かう姿勢を示すべきだ。(石井那納子)

(産経新聞 2019.6.1)