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碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
見たり、読んだり、書いたり、時々考えてみたり・・・

中日新聞で、「直虎」についてコメント

2017年04月12日 | メディアでのコメント・論評



中日新聞で、「おんな城主 直虎」についてコメントしました。

高橋一生さんが演じる政次の人気について・・・

上智大の碓井広義教授(メディア文化論)は「自分を抑え、相手の幸せのためなら何でもするという生き方は、特に女性視聴者にとってたまらないはず」と分析する。直虎と直親、政次の幼なじみ三人を三角関係として捉える「〝恋愛大河〟ともいうべき楽しみ方で支持されている」という。

碓井教授は高橋さんの人気の要因に、1~3月ににドラマ「カルテット」(TBS)にも出演したことを挙げる。作中では「危うさがあるからひかれるタイプ」の人物を演じ「そのイメージとどこか重ねながら、大河の高橋さんは見られているのでは」と推測する。


SNSと大河ドラマについて・・・

SNSでテレビ談義が盛り上がる背景には、番組のインターネット配信の普及がある。

碓井教授によると、若者を中心に、SNSで友人が話題にした番組はテレビ放送が終了していてもネットで視聴し、自分も感想を投稿するようになっている。

「リアルタイムの視聴率だけでは視聴行動を正確に把握できない。SNSとリンクした『ソーシャル視聴』は若者たちの間でより普通のことになっている」(中略)


「おんな城主直虎」の舞台である浜松は、SNSで作品の魅力に乗っかることができるのだろうか。

「観光誘致と結び付けようとすると、すぐに見抜かれ反発が起きる。発信するならあくまでも草の根的に、ファンとしての『直虎愛』を前面に押し出していくべきです」と碓井教授。(以下略)

(中日新聞 2017.04.02)

読売オンラインで、「テレビドラマ」について解説しました

2017年04月12日 | メディアでのコメント・論評



メディアの多様化は
テレビドラマ本来の姿を取り戻すチャンス


●目をつぶってきた視聴率の矛盾

フジテレビの看板の一つである月曜夜9時のドラマ枠、いわゆる「月9」が、いまや消滅論すらささやかれるようになっています。最近の視聴率の低迷ぶりを見れば、不思議ではないのですが。

ただもちろん、ドラマの良し悪しや価値は、視聴率だけで測れるものではありません。そもそも視聴率は番組の中身の質を表すものではないからです。ある番組が放送された時間帯に、それを受像機でリアルタイムに観ていた世帯の割合を示すものです。

しかし現在は、録画視聴やネット配信の利用など、「タイムシフト視聴」は当たり前。とりわけ、各放送局独自でネット配信も増えてきているドラマの分野においては、それを様々なスタイルで観た人の総数と、発表される視聴率との開きは、かなり大きいものになっていると考えられます。

このような事態は、実は80年代から録画機器の普及とともに徐々に進んでいました。しかし、視聴者に無料で番組を届けて企業から広告収入を得るという、民放開局以来のビジネスモデルの中で、多くの人が現にその広告を目にしていることを示す視聴率は、新聞や雑誌広告に対するテレビCMの優位性を示す根拠でした。約2兆円にのぼる巨大ビジネスを支えてきたこの数字を、業界はおいそれと手放すことができなかったともいえます。

しかし、ネット社会の実現と、ソーシャル・メディアの急速な普及に伴い、若い世代を中心に、メディア全体の中におけるテレビの優先順位は確実に下がっています。そのことを番組制作者もスポンサー企業も、直視せざるをえなくなってきたというのが現状でしょう。

●主演俳優に合うマンガを探せばドラマができる?

とはいえ、「月9」の視聴率の低迷は、視聴スタイルの変化だけで説明できるものではありません。そこには、作り手の“驕り”と“勘違い”による作品の質の低下があり、それが視聴者に見透かされてしまっているのです。

ドラマの良し悪しを決める最大の要素は、何といっても脚本です。まず物語があって、それを表現するのにふさわしい役者をキャスティングする、これが本来のドラマ作りであることは言うまでもありません。

「月9」ドラマも、高視聴率を誇って一世を風靡し始めたころは、たしかに面白い物語をトレンディ俳優と呼ばれる人たちが演じていました。ところが、その成功体験の中で、いつしか発想と手順が逆転してしまった。売れている俳優をキャスティングできれば、ストーリーが多少陳腐でもヒットする。

だからプロデューサーは、まず主演俳優のスケジュールを、ときには1年後、2年後までおさえ、彼・彼女に合う物語を考えればいい。そして多くの場合、それはオリジナルを生み出すのではなく原作探し、しかも主流は小説からマンガへと移っていったのです。

こうした現象は現在、各局のドラマづくりで見られます。その意味では、テレビ界全体として、ドラマ制作における企画力・創作力が落ちているのかもしれません。

一方で、視聴者の目は肥えてきている。一視聴者のSNSへの書き込みがきっかけで、作品の評判が地に堕ちることもあり得る状況になってきました。

反対に、面白い作品に対しては、ネット上の書き込みも高評価で盛り上がる。これは、視聴率だけをにらんでいた時代には得られなかった手応えとやりがいを、作り手に与えてくれることでもあります。

●登場人物の履歴書が生み出すドラマの奥行きとリアリティ

作家の小林信彦さんは、「テレビの黄金時代」は60年代だとおっしゃっていますが、ことテレビドラマについては、その黄金時代は70年代から80年代前半にかけてだったと、私は思います。

それはまさに脚本家の時代でした。倉本聰、山田太一、向田邦子、鎌田敏夫といった人たちが、油の乗り切った状態で、次々と優れた作品を書いていた。映画とは異なる面白さをもつ、テレビドラマという新たなエンターテインメントを彼等が確立したといってもいいでしょう。

私は倉本さんと仕事をご一緒させていただいたことがあるのですが、倉本さんがまずやるのは、登場人物の履歴書づくりでした。どこで生まれ、どのように育ち、どんな学校でだれと出会ったといった、必ずしもドラマの中で活かされるとはかぎらない詳細な「過去」を考えていくのです。

倉本さんは、この作業が一番楽しいし、履歴書が完成したときには、そこにこれから展開されるドラマのすべてが含まれているのだと話していました。本当にその通りだと思います。

こうして練り上げられた人物の奥行きとリアリティがあるからこそ、たとえば倉本さんの代表作『北の国から』を見て、私たちは心から泣き、笑い、感動できた。そして、連ドラ終了後も単発の特別編を通して、約20年にわたり架空の人物たちと一緒に生きることができたのです。

そうした作品を今は作れないのかというと、そんなことはありません。最近でいえばTBSで放送された『カルテット』は、松たか子らが演じた登場人物たちの履歴がしっかり作り込まれていたからこそ、次第に明かされていく過去を含め、視聴者は興味津々で彼らと向き合うことができました。視聴率は9%前後でしたが、タイムシフトではもっと観られていたでしょうし、ネット上での視聴者の評価は高かったのです。

メディアの状況が大きく変化している今だからこそ、制作者は、あらためてドラマ作りの原点に立ち還る必要があります。その上で現出するドラマの未来には大いに期待したいし、期待できると考えています。これからも、もっとドラマを楽しみたいですから。


読売オンライン「ニュースを紐解く」
http://www.yomiuri.co.jp/adv/sophia/?from=ytop_os2&seq=09&pr=true


NEWS ポストセブンで、「告白バラエティー番組」について解説

2017年04月12日 | メディアでのコメント・論評



曙VS相原勇など告白番組が増加 
芸人のトーク番組失速も影響

 芸能人の知られざる過去が次々に明らかにされる告白バラエティー番組。3月下旬に放送された『今夜解禁!ザ・因縁』(TBS系)では、曙と相原優が破局騒動以来、20年ぶりに対面したことが注目を集めた。レギュラー番組では、『爆報!THEフライデー』、『結婚したら人生劇変!◯◯の妻たち』(ともにTBS系)、『解決!ナイナイアンサー』(日本テレビ系)、『しくじり先生 俺みたいになるな!!』(テレビ朝日系)など、このジャンルの番組はどこの局でも人気が高い。もともと特別企画として始まった『ダウンタウンなう』(フジテレビ系)の「本音でハシゴ酒」も、一コーナーではなく番組そのものとなっている。

いったいなぜ、これほどまで告白バラエティーが増えているのか。元テレビプロデューサーで上智大学教授(メディア文化論)の碓井広義さんに訊いた。

 * * * * * *

 芸能人やスポーツ選手、経営者などの有名人は、一般人よりも幸せに暮らしていると思われがちです。しかし現実にはそうではない部分もあり、人それぞれ苦労を重ねています。華やかな舞台に立つ有名人は、普段そういったことを秘密にしていますが、告白バラエティー番組はそれを明らかにすることにより、視聴者の「そうだったのか」「もっと知りたい」といった好奇心を刺激しています。

 昔から「他人の不幸は蜜の味」というように、自分よりも幸せそうな人の幸せでない部分を知る痛快さもあるでしょう。順風満帆で幸せな人生を送っている人から幸せな出来事だけを告白されても見ているほうは「ふーん」で終わってしまいます。かといって、まだいい思いをしていない無名の芸能人の苦労話を聞かされても全くおもしろくない。やはり人間の浮き沈みあるストーリーが求められていて、幸せと不幸せの落差が大きい人の話ほど視聴者のウケもよくなります。

 また告白バラエティー番組には、有名人に対する羨望や嫉妬、ひがみのような感情を解消してくれる側面もあります。今の自分の現状に不満を抱えている人が有名人の苦労話や失敗談を聞いて、「この人もうまくいかないことがあるんだな」と留飲を下げることもあれば、優越感や親近感を得ることもあるでしょう。逆に何の不満もなく充実した毎日を送っている人からすれば、この手の番組はほとんど刺激がないと思います。

◆芸人のトーク番組に取って代わったのが告白バラエティー

 近年、このような番組が増えてきたことは、少し前まで隆盛を誇っていた芸人同士のトーク番組の勢いが失速していることと無関係ではないかもしれません。ひな壇芸人を集めての身内話に、視聴者もさすがに飽きてきた。今も人気番組は残っていますが、本当かどうかもよく分からない芸人同士の会話よりも、もっとリアリティーを求めるようになったのでしょう。告白バラエティーは、出演者がカメラの前ですべてを語っていないにしても、ある程度はさらけ出してくれているので、フィクションよりはノンフィクションに近いエンターテイメントといえます。

 制作サイドの事情でいえば、制作費がかからないという利点もあります。当事者をゲストとして呼ぶだけなので、大掛かりなセットも要らない。発言内容の責任についてもその人に負わせることができます。「最近テレビに出ていないけど有名なことは有名」というレベルの有名人をゲストに呼ぶことで、画面に映るスタジオ全体の風景を少しぜいたくにも見せられます。

◆ワイドショーに代わって一次情報が出せる

 かつてワイドショーが盛んだった頃は、テレビ局は自分たちで取材をして一次情報を発信していました。ところが制作費が削られていく中で、独自取材をするのも難しくなってきた。今では週刊誌や新聞などが報じた内容を焼き直して二次情報を伝える番組ばかりになってしまいましたが、これは話題になっていることをただ広めているに過ぎません。

 そんな中でも、初告白であることが前提の告白バラエティーなら、テレビ局が一次情報を発信することができます。テレビで有名人が告白をすると、それがすぐにネットメディアの記事になって番組の宣伝にもなる。今はテレビの作り手も「ネットで話題になってナンボ」というところがあるので、告白バラエティー以外のジャンルの番組でも有名人の告白シーンが増えてきました。

 告白バラエティー番組というのは昔からあるジャンルで、とりわけ「あの人は今?」のような企画は、テレビだけでなく雑誌等でも王道の企画として定着しています。これは世間でも多くの人が有名人に憧れを持っていることの裏返しでもあります。さすがに今は番組数も増えすぎているかもしれませんが、有名人への憧れがある限り、告白バラエティーは今後も形を変えながら続いていくと思います。

(NEWS ポストセブン 2017.04.08)

書評した本:小川仁志『〈よのなか〉を変える哲学の授業』ほか

2017年04月12日 | 書評した本たち



「週刊新潮」に、以下の書評を寄稿しました。

カジュアルに哲学に近づく一冊
小川仁志 『〈よのなか〉を変える哲学の授業』

イースト新書 930円

最近、書店で「哲学」関連の本が目立つ。店によっては平台にコーナーが設けられていたりする。タイトルに「哲学」と入った本が多数出ていること、また手に取る読者もかなりいるということだ。なぜなのか?

政治や経済、いや個人の仕事や家庭も先が見通せない不安定な時代だ。一方、情報だけは過剰なほど供給されている。何をどう判断しながら生きていけばいいのか、迷ってもおかしくない。そんな時、哲学が視野に入ってくる。時代や時流を超えた普遍的な価値や原理のようなものを踏まえ、自分の頭で考えるためだ。

小川仁志『〈よのなか〉を変える哲学の授業』の持ち味は、カジュアルな語り口で哲学との距離を縮めてくれること。著者の専門である「公共哲学」を足場に、自分自身と〈よのなか〉を変える方法を探っていく。それが社会活動、起業、文化、有名性、そして政治活動の5つである。

文化の章には宮崎駿が登場する。キーワードは希望。宮崎作品における「飛行」はその象徴だ。ドイツの哲学者エルンスト・ブロッホの『希望の原理』も紹介され、文化による希望の実現の意味が示される。また小説家の事例として挙げるのは村上春樹だ。「ありふれたものを違った視点から見る」手法が、『方法序説』のデカルトと重なるという。

日本思想の大きな流れを知りたければ、同じ著者の『日本哲学のチカラ』(朝日新書)がある。古事記から村上春樹までを概観するユニークなニッポン論だ。


荒川佳洋 
『「ジュニア」と「官能」の巨匠 富島健夫伝』

河出書房新社 3132円

ジュニア小説と官能小説の作家・富島健夫。かつてはどちらも蔑視と黙殺の対象だったと著者は言う。しかし富島にはジャンルもレッテルも意味がなく、ひたすら「小説」を書き続けたのだと。稀代の青春小説作家にして合理主義者。その素顔に触れる初の本格評伝だ。



吉野朔実 
『吉野朔実のシネマガイド シネコン111』

エクスナレッジ 1728円

著者は文学と映画を愛した漫画家。昨年4月に逝去した。このイラストエッセイ集に登場するのは、『人生は、時々晴れ』『殺人の追憶』など、ほとんどがミニシアター系の逸品ばかりだ。「美しくて苦くて強い映画だった」という率直な感想をまた聞いてみたい。


湯浅 博 『全体主義と闘った男 河合栄治郎』
産経新聞出版 2052円

『学生に与う』という書物もその著者も知らない世代が増えた。そんな今だからこそ再評価する意味がある。官僚時代は官僚国家主義と闘い、帝大教授の立場で軍部による政治介入を批判。扇谷正造が「思想のしたたかさ」と評した、自由主義知識人の不屈の生涯だ。

(週刊新潮 2017年4月6日号)



勝田 久 
『昭和声優列伝
 ~テレビ草創期を声でささえた名優たち』

駒草出版 2376円

著者はアニメ『鉄腕アトム』でお茶の水博士を演じたベテラン声優である。第一部は自身の回想録だ。そして第二部には32人もの声優が登場。神谷明、井上真樹夫、野沢雅子、野沢那智、大山のぶ代、小原乃梨子などの肖像が臨場感あふれる文章で描かれていく。


オフィス・ジロチョー:編 
『佐野洋子 あっちのヨーコ こっちの洋子』

平凡社 1728円

絵本『100万回生きたねこ』、エッセイ集『神も仏もありませぬ』などで知られる佐野洋子。没後7年、そのエッセンスを詰め込んだ本書には原画、文章、写真が並ぶ。「佐野洋子を一言で」のアンケートに、元夫の谷川俊太郎が「一言でなんか言いたくない」。

(週刊新潮 2017年3月30日号)