碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
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マッハ号で「シェーの時代」へGOGOGO!

2008年07月19日 | 映画・ビデオ・映像
私たちの世代だと、書名だけで思わず手を伸ばしてしまうのが、泉 麻人さんの新著『シェーの時代~「おそ松くん」と昭和こども社会』 (文春新書)だ。

『おそ松くん』は、いわずと知れた赤塚不二夫さんの漫画で、昭和37年の4月に「少年サンデー」でスタート。当時、私は小学校2年生だが、まだ「サンデー」を読んでいない。

毎週読み始めたのは、2年後の4年生くらいからだ。この頃から、毎朝、友人の福島直人君の家に寄り、一緒に登校するようになった。福島君は「サンデー」を毎週購入しており、私は、朝の準備にやや時間のかかる福島君を待ちながら、縁側に腰掛けて『おそ松くん』が載った「サンデー」を読んだ。

テレビアニメになったのは昭和41年のことだ。登場人物の一人であるイヤミが全身でやってみせる「シェー」は、アニメだと、当然、本人の「動き」を目にすることになる。

ただ、個人的な記憶でいうと、漫画の中のシェーのほうが、よりダイナミックというか、アナーキー(なんて言葉は当時知らなかったが)な印象があった。この年には、もう小学6年生だったから、漫画とは微妙に違うアニメの”ゆるさ”に気がついていたのかもしれない。

昭和40年の年末に公開された東宝映画『怪獣大戦争』で、ゴジラがシェーをしたのを、リアルタイムで見ている。当時、私の小学校では、映画は、学校が許可した作品以外は見ることが禁じられていた。

しかし、怪獣映画は、毎回「許可映画」となっており、このゴジラのシェーも、公開初日に見たはずだ。そして、ちょっとがっかり、かなりシラけた覚えがある。私たち子どもに、どこか媚びた演出というか、変に迎合しているというか、中途半端な現実(ここでは流行現象)を持ち込むことで、大好きな「ゴジラの世界」が壊されたような、そんな思いがあった。

ゴジラのシェーについては、泉さんも書いていて、「それを見て喜んだ印象はなく、むしろおどけ役に成り下がったゴジラに痛々しいものを感じた」とある。やはり、当時の少年たちの共通感覚だったのだ。

泉さんは、『おそ松くん』全巻を徹底的に読み込み、六つ子だけでなく、イヤミや、ちび太や、デカパンなど登場人物を、独自の視点から分析。また、連載が続けられた昭和30年代後半から40年代にかけて、「読者」だった子どもたちの暮らしや思いがどんなものだったのかについても語られている。いわば一つの「同時代史」となっているのだ。

シェーの時代―「おそ松くん」と昭和こども社会 (文春新書 642)
泉 麻人
文藝春秋

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『おそ松くん』の放送開始が昭和41年で、翌42年から始まったTVアニメが『マッハGOGOGO』だ。吉田竜夫さんとタツノコプロである。これは、マッハ号のカッコよさで忘れられない。このマッハ号と、『スーパージェッター』に登場した「流星号」は、当時だけでなく、今の私にとっても、カッコいいクルマ(流星号はタイムマシンだけど)である。

そんな『マッハGOGOGO』の”実写版”といわれる映画『スピードレーサー』を見てきた。監督が『マトリックス』シリーズのウォシャウスキー兄弟ときては、やはりチェックしておきたいじゃないの。

まあ、走ること、走ること。漫画やアニメのマッハ号が、目の前をぶんぶん駆けていく。レースシーンのスピード感、迫力、これは相当なものだし、全体が、まばゆいばかりの映像世界だ。

ただね、でもね、ハイレベルのCG技術であることは納得した上で、また、ウォシャウスキー兄弟ならではの映像マジックは十分に楽しんだ上で、ないものねだりかもしれないけど、やはり本当の”実写版”が見たくなったなあ。『ワイルド・スピード』みたいになっちゃうのかなあ。無理かなあ。

とはいえ、エンドロールと共に流れる、今風にアレンジされた『マッハGOGOGO』のテーマ曲。聴くのは約40年ぶりで、嬉しかった。

マッハGo Go Go 2
吉田 竜夫
ゴマブックス

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スピード・レーサー (扶桑社ミステリー ウ 30-1)
マイクル・アンソニー・スティール
扶桑社

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