ルビコン川の向こうに
賽は投げられた! あとは《ルビコン川を渡る》=《囲碁3点セットとの対面》のみである。それがすべての始まりであり、また終わりでもある。
その夜ーー。我が「カイサル(=シーザー)」は、「5,000 yen」なる「貨幣」と〝交換〟可能な〝商品の価値〟について、密かに〝経済(観念欠落)学〟的分析を試みていた。
言うまでもなく、ここでの「商品」とは「碁盤」一つに凝縮されるものであり、それがはたして「厚さ4寸(12㎝)以上の無垢の榧盤」であるか否かということに尽きる。そのため彼は、「ジモティー」に掲載された「碁盤」の「写真3様」について、以下の「3点」を中心に検証を重ねた。
①碁盤の「樹種」は「榧材」or「桂材」。またはそれ以外なのか。
②その碁盤は「無垢材」or「加工材」。
③その碁盤の「厚み」は「何寸(㎝)」なのか。
「写真」を縮小・拡大しながら、特に「盤面」の「木理(もくり=木目)」と「断面」を見極めようとした。結論として「樹種」の断定はできないまでも、明らかに「無垢材」であり、「厚み」も〝4寸2分ほど〟あることが判明した。その「数値」は、写真の「長径」と「厚み」の〝縮尺率〟から割り出したもの。カイサルは沈着冷静に、科学的合理性に富む対応を遺憾なく発揮したのだ。
その結果、この時点すなわち〝ルビコン川を渡る以前〟に彼は早くも確信した。少なくとも《負けはない ❢ 》=《一応、購入か否かの対象にはなる》=《門前払いではない》。
※なお「掲示板」を通した「X氏」との「Q&A」のメールによって、「碁笥」は「栗」、「碁石」は「ガラス」ということが判明。しかし「碁盤」の樹種については判断が付かないとのこと。
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そして翌12月29日土曜日午後2時ちょっと前、カイサルは、予定通りスーパー駐車場の「X氏」の車にあった「碁盤」と対面した。すなわち《ルビコン川を渡った》のだ。見事なシルバーヘアのX氏の推定年齢は、おそらくカエサルと同じ〝団塊の世代〟か年上の方だろうか。
「囲碁はなさらないのですか?」 と言うカイサルの問いに、X氏は答える。
「ええ。まったくしません」 そして〝ひと呼吸〟おいたX氏は、カエサルが「碁盤」の表面にそっと手を置いたのを確かめると、遠慮がちではあっても自信をもって〝さりげなく〟言った。
「10,000円はするようですね」 ※注:もちろん「碁盤」だけの価格を意味する
……カエサルは、その〝ひと言〟に小さく頷きながらも、「碁盤」と「碁笥」の〝商品価値〟を〝超高速回転の脳髄〟で検証した。……「碁盤」には木質の汚損や欠損はなく、使用された痕跡も感じられない。「碁盤」は「榧盤」ではなかったが「無垢」の「桂盤」。カエサルは、その厚みが間違いなく「4寸2分」あることを〝視覚〟と〝手触り〟で確認し、次に「碁笥」の独特な「栗」目模様も確認した。
……両確認タイムの合計=《only 10 seconds》……そして〝超々高速の最終決断〟を下す。言うまでもなく、あの
(われ) 来た! 見た! 買った!
……である……その瞬間、カエサルは自らの気持ちに区切りをつけるかのように、
「いただきましょう」……そう言うとブレザーの内ポケットから、事前に用意しておいた「封筒入り」の「5千円のピン札」をX氏に確認してもらうと、再びすみやかにそれを封筒に戻し、X氏に渡した。〝超々高速の手際よさ〟であり、〝円熟の境地〟に近づきつつある〝さりげなさ〟だった。
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その夜の「掲示板」のX氏のメッセージはーー、
『おかげで、とても良い取引ができました』(原文のまま)
であり、無論、我がカエサルも、長文のメッセージを「掲示板」に返した。
……とここで〝一部の読者氏〟は〝疑念〟を持たれたに相違ない。前回記事の「X氏」による「掲示板のメール」では―ー、
【……価格はあくまでも参考にしてます、希望価格の問い合わせをお待ちしてます】となっていたのでは? ……そうであれば当然そこに、
〝A:価格交渉の余地〟があったのでは?
そしてこの〝疑念:A〟により、また〝別の一部の読者氏〟は、次のような新たな〝疑念〟を抱かれたに相違ない。カイサルが「5千円のピン札」を〝わざわざ封筒に入れてブレザーの内ポケットに準備完了〟していたという事実に対し、
〝B:彼はルビコン川を渡る以前、すでに価格の〝引下げ交渉〟をする意志〟など毛頭なかったのでは?
結論を急ごう。……そうなのである。すなわちカエサルは、X氏の提示価格「5,000 yen」が、当初予算の「below 10 thousand yen」を大きく下回ったことにより、あえて「価格引き下げ交渉」をする必要を感じなかったのではなかろうか。
それに加えて、目の前の「碁盤」も「碁笥」も想像以上に品物がよく、しかもX氏はどうやら「目上の方」。さらに〝あと2日半〟で「新たなる年」を迎えようとしている〝時〟。……加えて、取引価格が「50,000 yen」というのであれば、多少の交渉の余地はあったかもしれない。……が、たかだか「5,000 yen」ではないか。
……そう。我が「ユーティリタリアン」カイサルは、彼なりの〝最大多数の最大幸福〟を自らに言い聞かせていたのかもしれない……。というより、生来の〝経済観念欠落性価格交渉不適応症状〟にすぎなかったのだろうか。ともあれ、これ以上詮索することは控えよう。
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硝子の碁石を洗う
かくして、年も押し詰まった2018年12月29日 pm5:00。「桂の碁盤」と「栗の碁笥」と「硝子の碁石」を手に入れたカイサルは、まず「桂盤」と「栗碁笥」をじっくりとタオルで〝空拭き〟した。次に「バスユニット」にて「硝子製の白黒の碁石」を洗面器に入れ、そこに洗剤と水を入れた。
それを終えたカエサルは、以下のような〝予定〟を〝瞬時に起案〟した。
①きっかり2時間経過後に「硝子の碁石」の「洗浄/拭上げ」を完了。
②上記①の完了後、直ちに「バスユニット」全体の「洗浄/洗出し/拭上げ」に着手及び完了。
③上記②の完了後、直ちに「部屋全体の本格的な整理整頓/清掃」に着手及び完了。
すなわち彼は、「硝子碁石」の〝洗浄〟を機に「年末恒例の大規模な片付けと大掃除」をやろうというのだ。
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結論を急ごうーー。カエサルは上記①について、手際よく確実に作業を進めた。素材が「硝子」ゆえ、限りなく慎重かつ丁寧に〝洗浄〟し、その「ひとつずつ」を愛情深く慈しむような優しさで〝拭き上げ〟た。
……だが……上記①の作業完了後、カエサルがその後②の作業を完了し、③の作業に着手したという形跡は一切見られない。カエサルは①の作業終了後、ロフトに「碁盤・碁笥・碁石」を持ち込み、32年と1か月ぶりに触れた「碁石」と「碁盤」の感触にいたく感激したようだ。そして「名局」と言われた名人戦や本因坊戦をはじめとする「ネット上の棋譜」をひたすら並べ、それ以降のほぼ1週間、読書すら中断するほど没頭しきっていた。(了)
先生が囲碁をされるとは初耳です。でも雰囲気的にはピッタリのような気がします。実は私も「田舎?段」です。レベル的には、先生の遥かにしたと思うのですが。決して謙遜ではありません。
20代終わりの頃、私も父親や叔父、それに近所のご隠居相手の筋悪の手を打っていました。先生のお気持ちが良くわかります。
しかし、四寸何がしの桂盤と栗の碁笥・硝子石を計5,000円とは大変よい買い物でしたね。私は3年ほど前、同じような中古でしたがその数倍かかりました。
メールアドレスを変えられたようですね。お差支えなければ……。
あの当時は「そんなことを語り合う時間も心の余裕」もなかったということに尽きますね。
とにかく一度はお手合わせをしたいものですね。といっても、僕は今年いっぱいは「基本の再履修期間」として、ひたすら「棋譜並べ」と「基本定石の再確認」それにやはり「詰碁」や「手筋」の学習というところでしょうか。
何事を学ぶにつけ、「そういうオーソドックスなガチガチの学習スタイル」が完璧に染み付いているようです。
またそれが「最も自分らしい」といえるのでしょう。それに《とことんこだわり》たいと思います。
なおPCメールは、以下のとおりです。
sunlight_moonriver@yahoo.co.jp