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六十四番 権中納言定頼

2014年07月19日 | 百人一首
朝ぼらけ 宇治の川霧 絶えだえに あらはれ渡る 瀬々の網代木

朝がほのぼのと明けるころ、宇治川の川面に立ちこめていた川霧がところどころ晴れていって、その合間から現れてきたあちこちの瀬に打ち込まれた網代木よ。

朝ぼらけ 夜が明けて、ほのぼのと明るくなる時分。暁(あかつき)→曙(あけぼの)・東雲(しののめ)→朝ぼらけの順で明るくなる。
宇治の川霧 「宇治」は、現在の京都府宇治市。瀬田川が、宇治川となり、木津川・桂川と合流して淀川となって、大阪湾に到る。
たえだえに 「川霧」を受けて、川霧が徐々に晴れていくさまを表す主述関係であるとともに、「あらはれわたる」に続いて網代木があちこちに見えるようになってきたさまを表す連用修飾関係となっている。
あらはれわたる瀬々の網代木  「わたる」は、網代木が現れる、即ち、見える状況が時間的・空間的に広がるさまを表す。「瀬々」は、あちこちの瀬、即ち、川の水深が浅い部分。「網代」は、網の代わりに木や竹を編んで作った漁具。それを立てる杭が網代木。

千載集の詞書によると、「宇治にまかりてはべりけるときよめる」とある。宇治川の上流、瀬田川が琵琶湖から発する地、瀬田の対岸は膳所(ぜぜ)であり、実際に宇治からは見えないが、川霧が晴れていく空間的な広がりを象徴する地名として意識したかもしれない。また、宇治と瀬田の中間点は石山であり、紫式部は、石山寺で源氏物語の構想を練ったとされ、その宇治十貼に登場する浮舟は宇治川で入水に失敗した後に尼になるという件がある。宇治川を見た定頼が、これらさまざまな背景をもとに、この歌を詠んだ可能性は高く、単純な叙景詩ではない趣を持った作品であると言える。

ごんちゅうなごんさだより (995~1045)
藤原定頼(ふじわらのさだより) 平安中期の歌人。中古三十六歌仙の一人。藤原公任の子。容姿端麗で社交的な反面、小式部内侍をからかった時に即興の歌で言い負かされてそそくさと逃げ帰るなど軽率なところがあった。


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