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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

うつ病九段

2018-08-12 17:47:41 | 読んだ本
先崎学 2018年7月 文藝春秋
サブタイトルは、「プロ棋士が将棋を失くした一年間」。
去年、先崎九段の突然の休場が発表されたとき、もちろん驚いたんだけど。
詳しい理由がわからないので想像するしかなかったわけだが、まあ、年齢もぼちぼち身体のどこか悪くなるトシだろうし、酒の影響で胃腸のどこか壊したんだろうかと心配した。
ところが、ことし春に復帰してしばらくたって、この本が出版されるちょっと前になって、うつ病だったって情報をポツポツ目にすることになった。
うつ病? こともあろうに、先チャンが!?
休場の報以上に驚いたんで、さっそく読んでみることにした。
そんな大変な病気患ったあとで、何を書いたんだろ、って不思議だし。
読んだら、なんか、スゴイなと思った。
こんなの書けるんだ、よくおぼえてられるし、ふりかえることができるな、精神力というかなんなのか人間が強いなと思わされた。
六月に変調を自覚して、どんどん悪くなって、七月から一カ月の入院。
退院したあとが、また大変、ちょっと読んだことない闘病記である。
最後のほうまでいって、また驚いたのは、三月いっぱいまでの休場で四月復帰を目標に回復を図ってるんだけど、この本を書き出したのが一月だという、治って書いたんぢゃなくて途上で書いてたの!?
リハビリの一環になるんぢゃないのなんて気楽なひとは言いそうだけど、ふつう出来ないだろうと思うよ、そんなこと。
読んでてもつらいことばかりだけど、やっぱ将棋の存在が大きいからね、このひとの場合、そこが救われる。
単なる職業ってのにとどまらない何かだよね、自分の全身全霊をかけてきた、かけられるもの。
でも、入院したときは、
>そのころの私はトーナメントプロに戻ろうという欲など微塵もなかった。そのこと自体考える能力もなかった。(p.41)
という状態だったんだけど。
回復してきたときに、いい後輩たちを呼んで、将棋を指すことをするんだが、そこで、
>うつ病はよくなっているかどうかの判断がしにくい病気である。(略)患者自身は本人だから当然のことながら回復の度合いが分かるが、それとて気持ちがすこし持ち上がったような気がするとか、意欲が出てきたような気がするとか、要は曖昧なものでしかないのだ。
>その点、将棋は絶対的なものだということに気がついた。(p.100-101)
ということに気づく、自分がどれだけ集中できているか自分ではっきりわかるんだと、これは大きい。
そういうときに盤を挟んで真っ向から対峙することをしてくれた後輩棋士たちはえらい。
もっとも、棋士という人種のエピソードで、おもしろかったのが別の意味でもあって、入院したばかりのとき、見舞客が来るのだが、
>正直にいえば現金がもっともありがたかった。先輩の棋士はだいたい現金を包んで来てくれて、さすがだなと思った。(p.40)
ってのがそれだが、そういうところが、いい世界なんである。
あと、先崎九段の場合は、実の兄が優秀な精神科医というのも助けられた環境のひとつではあったと思う。
もちろん、入院した病院の医師も、見込みをきかれたら、大丈夫です、治りますって、即答するようなとこはあるんだけど。
お兄さんは、闘病中もずっとアドバイスしてくれて、長々と説明なんかしないでも、毎回「必ず治る」みたいなLINEを送ってきたという。
そのお兄さんが語る、
>時間を稼ぐのがうつ病治療のすべてだ(p.50-51)
とか、
>究極的にいえば、精神科医というのは患者を自殺させないというためだけにいるんだ(p.174)
とかって言葉は重い。
あと、だいぶ回復してきたところで訊かれて答えた、
>「偏見はなくならないよ」(p.171)
っていうのもね。
うーん、とにかくスゴイ、私だったら同じ状態になったら抜け出せるだろうか、自信ない。

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