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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

教養として学んでおきたい落語

2019-09-29 17:24:58 | 堀井憲一郎

堀井憲一郎 2019年8月 マイナビ新書
私の好きなライター、ホリイ氏の新しいのが出たというので、さっそく買って読んだ。
これまでにも『落語論』とか落語関係の著書はあるんだけど、なにをあらためてまたと思ったもんだが。
巻末の方の宣伝見たら、教養として学んでおきたい仏教とか哲学とかあるんで、出版社側でシリーズ組みたいってことかもしれないが、哲学と並べるかね、そのうち大学の一般教養で単位くれるようになるんだろうか、落語学。
でも、ホリイ氏は、近年のちょっとした落語ブームみたいので本が出るようになってることに関して、
>落語の本は、ほんと無駄に出てますね。たぶん、無駄だとおもう。この本もその流れの一冊でしかないんだけどね。(p.193)
なんてサラッと、“この一冊を読んどきゃ大丈夫”みたいな出版社的ウリの狙いのようなものに、背を向けるようなこと言ってますが。
>「おもしろいものだけを聞いて、つまらないものを聞きたくない」という人は落語に向いていない。聞かないほうがいいとおもう。
>べつだん、落語を聞かなくたって、人生、何の問題もない。(p.188)
なんて言って、安易な“これを聞いておけばまちがいなし”みたいなガイドブック的な期待にも、応えようなんて思ってはいないみたいだし。
そんなこんなで落語そのものについては、前の著書を超えるようなものがある感じではないが、落語家に関しての考察はおもしろいとおもった。
たとえば、弟子入りしたはいいが、あれこれ教えてもらえないからわからないという人間はダメだという、
>(略)そのあと一生、ずっと自分で気付いていくことによってのみ生き延びていくわけだから、最初の時点で、教えてもらえばわかるのに教えてくれないのは教えないほうの責任だという考えを持ってる時点で、この世界で生き延びていくのがなかなかむずかしい。(p.101)
みたいなことは、やっぱ落語業界内のひとは自分たちから言わないことなのかもしれないし。
で、どうしてそういうことになっちゃうかというのを、江戸の昔と比較して説明してくれるからわかりやすい。
江戸時代は丁稚奉公にでるのと一緒で、12歳で前座、17歳から二ツ目、20代半ばで真打になるようなシステムだったんだけど、
>いわば「子供」「青年」「大人」という違いになる。
>いまは20歳を越えてから前座になるから、大人なのに子供の修行をさせられてしまうのだ。それは選んだほうが悪いということになる。落語界のほうはそのシステムを崩すわけにはいかない。(p.112)
って、二十歳過ぎてからようやく働きはじめる現代社会のほうが、落語からみたらおかしいんだと指摘する。
あと、師匠をしくじって破門ということになっても、詫びを入れれば戻れるって世界について、
>もちろん江戸時代のシステムだから、いろんな抜け道がある。日本システムのすばらしいことは、抜け道がたくさんあるところだ。日本にいるかぎりは日本システムはとても有効なのだが、世界システム(近代システム)と競合すると問題の多いシステムに見える。(p.141-142)
って近代化でうしなわれてしまった日本伝統文化論を展開してるとこがなんとも刺激的でいい。
第1章 活況を呈する今の落語業界
第2章 落語の歴史を紐解く
第3章 落語にはどういうものがあるのか
第4章 落語家とはどういう人たちか
第5章 落語と落語家をとりまく世界
第6章 寄席という場所
第7章 どの落語から聞くか


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