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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

われら

2021-09-25 18:10:28 | 読んだ本

ザミャーチン/松下隆志訳 2019年 光文社古典新訳文庫版
これは、穂村弘さんの“読書日記”であげられていて、気になったんで最近買って読んだもの、ソ連の作家の小説。
私が気になったのは「鏡の中のなぞなぞ」という章で、佐藤究『QJKJQ』をとりあげてるときに、
>すごく面白い作品に出会うと、その本の世界からいったん顔を上げてきょろきょろする癖があるんだけど、あれって一体なんなんだろう。わざと寸止めして感動を引き延ばすためか、それとも本の衝撃によって現実世界の側に何か変化がないか確認しているのだろうか。この前そうなったのは、ザミャーチンの『われら』の冒頭付近を読んだ時だった。(『図書館の外は嵐』p.88-89)
って言ってるとこなんだけど、今もう一度見てみたら、当然のことながら、そのちょっと前の「「いい感じ」の作家」という章で、『われら』について書かれていた。
>(略)なんだこれ、眩しくてその奥にあるものの正体はよく見えないけど、そこがたまらん、という気持ちにさせられる。
>優れたミステリーの冒頭から前半部分を読む時にも似たような興奮を感じることがある。鏤められた謎の断片と世界が覆る予感。(同p.54-55)
という調子である。
穂村さんの読んだ『われら』は集英社文庫版だそうで、そこに引用されてる裏表紙の説明文を孫引きすると、
>そこ「単一国」では「守護局」の監視のもと、「時間律令板」によって人々の行動は画一化され、生殖行為も「薔薇色のクーポン券」によって統制されている。自然の力は「緑の壁」によってさえぎられ、建物はガラス張り。人々に名前はなく、ナンバー制だ。そして頂点に君臨する「慈愛の人」に逆らう者は、「機械」によって抹消される。(同p.53)
ということなんだが、穂村さんはこの紹介文にヤバいと胸がときめいたそうだ。
私の読んだ文庫は新訳版で、ちと迷ったんだが、せっかく最近出たのなら新しい訳のほうがいいだろうと思って買った。
新訳といっても、いわゆる今様の若者言葉みたいなのは使ってないんで安心した、新しがった言葉使われるとかえって読みにくくなる危険性もあるから。(サキの新訳版ではそれがちょっと気になった。)
ちなみに上記の集英社文庫版と違って、「時間律令板」は〈時間タブレット〉、「薔薇色のクーポン券」は〈ピンククーポン〉、「慈愛の人」は〈恩人〉といった感じにアップグレードされている。
物語の概要については上記の説明文のとおりで、いまからだいぶ未来のこと、過去には「大二百年戦争」なんて出来事もあったらしいが、とにかく今は地球全土を〈単一国〉が支配していて、国民の行動は全部管理されている。
すると、あー、あれね、『1984年』だ、と誰でも思い当たるんだが、こっちのほうが先に書かれていて、オーウェルに影響を与えたんだそうだ。
それはともかく、〈単一国〉では、朝起きる時刻から、仕事行く時間、外でウォーキングする時間、食事の時間、ぜんぶ決められている。
人々にはもはや名前なんかなくてナンバーがあるだけ、ちなみに主人公というか語り手の名前は「Д-503」、「Д」は「デー」で、普通のアルファベットだと「D」。
語り手は「私」と一人称で言うんだが、どっちかっていうと基本は「われら」の方を使いたがる、人々は画一化されてるんで、個性というか人格ないんである、みんな一緒、だから「われら」。
Д-503の仕事は、宇宙船〈インテグラル〉の建造技師、国家の偉業を達成するため、基本的には喜んで国家に忠誠を尽くす存在、単一国の方針に疑いなんか持ってないはずだった。
ところが「I-330」という女性が接近してきて、次第に惹かれてくんだけど、その女性は反政府主義で、目的は宇宙船〈インテグラル〉を自分たちのものにすることだった。
その結末がどうなるかはさておき、穂村さんも言ってるとおり、本作は数学者の手記って体裁なので、そこんとこ独特な形式になってる。
各章はわりと短めなんだけど、頭に順を追ったナンバリングと「要点」が書いてあるスタイルで、たとえば
>記録2 要点 バレエ・四角いハーモニー・X
>記録10 要点 手紙・振動板・毛深い私
>記録13 要点 霧・おまえ・まったく不条理な出来事
>記録14 要点 《私の》・すべきでない・冷たい床
といった調子の三題噺になってるんだが、この単語間の微妙なズレがいいと穂村さんは支持している。
穂村さんいわく「断片愛好癖に強く訴える作品だ」ということになり、エンジニアのメモという形式なんで、ひとによっては読みにくいなと思うかもしれないけど、説明に堕することしないってこと目指してるんだろうから、それはそれでいいのでは。
それにしても、女性に誘惑されてくうちに、主人公はいろいろ心乱れ始めるんだが、「魂をもつ」とか「想像力をもつ」ということは、この〈単一国〉では、ほとんどビョーキ扱いとされるんで怖い。
そういう不穏分子をしょっぴく当局の手先も常に目を光らせてるんだが、まあロシア革命後のソビエト連邦批判で書かれたことはまちがいない。
なんでも1921年に書きあげられたらしいが、ソ連国内では出版することはできず、最初に出たのは1924年の英語訳版だったといういわくつきの作品。

コメント
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