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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

やぶから棒 ―夏彦の写真コラム―

2021-04-17 18:21:48 | 読んだ本

山本夏彦 平成四年 新潮文庫版
丸谷才一がいいというもんで読んでみようと思った山本夏彦、前にあげた「かいつまんで言う」なんかと一緒に買った古本。
三冊買ったんだけど、コラム集ものなんで、時事ネタもあるだろうから、一応年代順に読んでみた、これ三冊目。
初出は「週刊新潮」のコラムだそうで、昭和54年7月から昭和57年7月までのものが順番に入ってる。
昭和57年の単行本『やぶから棒』の100編と、昭和59年の単行本『美しければすべてよし』のうち前半50編とをまとめた文庫版ということで、150編。
文庫裏表紙の宣伝文句によれば、「世の常識がそのまま道理ではないことを知らされ、一読三嘆、ああそうだったのかと胸のすく思いがする名物コラム」というんだが、同じようなもの三冊目となると、そこまで感嘆することもない私。
もともとあまり好みぢゃないかもしれないってのもある、週刊誌に毎週2ページくらいあれば読んでスカッとするときもあるだろうが、毒吐いたのばかり集めて一冊になってるとツライ。
また、「以前にも書いた」とか、「何度でも言う」とかって書かれちゃうと、つい「おじーちゃんたら、またおなじ話ぃ?」とか言いたくなっちゃうんである、私は。すいません若輩のくせに生意気で。
だいたい、そうやって何度も文句言われちゃうのは、銀行と、新聞社と、税務署あたりということになる。
特に新聞をやっつけるときは、その了見をただすことが多く、舌鋒がきびしさを増すような気がする。
(本人は、新聞は読まない、広告は見る、とか言ってんだけど。)
たとえば、
>リベートや賄賂というと、新聞はとんでもない悪事のように書くが、本気でそう思っているのかどうかは分らない。
>リベートは商取引にはつきもので、悪事ではない。ただそれを貰う席にいないものは、いまいましいから悪く言うが、それは嫉妬であって正義ではない。(略)
>我々貧乏人はみな正義で、金持と権力ある者はみな正義でないという論調は、金持でもなく権力もない読者を常に喜ばす。タダで喜ばすことができるから、新聞は昔から喜ばして今に至っている。これを迎合という。(p.100「汚職で国は滅びない」)
という具合、新聞報道のスタンスはお見通し、こういうのって1980年代から日本はなにも変わっちゃいねえなという気にもなるが。
もっとも、この章の結びは、
>今も新聞は政治家を人間のくずだと罵るが、我々は我々以上の国会も議会も持てない。政治家の低劣と腐敗は、我々の低劣と腐敗の反映だから、かれにつばするのはわれにつばすることなのに、われはかれに勇んでつばすることをやめない。(同)
とあって、民主政治の本質んとこも突いてる、痛てテテテ。
大衆の意見のあやうさについては、
>戦後は言論自由の時代で、何を言おうと勝手だと思われているが、これしきのことも言えないのである。むかしは軍と官が言うことを禁じたが、今は誰が禁じるのでもない、あたりをうかがってみずから禁じるのである。(p.35「言論はやっぱり不自由」)
と言ってるが、このへんも昔も今も変わらないな、この国。
さて、「写真コラム」とあるので、週刊誌掲載時には毎号写真があったと思われるんだが、この文庫版ではすべての回に写真がついているわけではないが。
写真のってるなかでひとつスゴイのがあって、昭和五十四年八月九日号の「頻ニ無辜ヲ殺傷シ(「終戦ノ詔書」より)」という回に、「原爆で非業の最期をとげた人の写真」というのを載せている。
もとは、『アサヒグラフ』昭和27年8月6日号に掲載されたもので、昭和20年8月6日に当時の『科学朝日』が広島にかけつけて写し、アメリカ人が草の根わけて写真を没収してゆくなか、カメラマンが七年間ネガをかくして守ったものだという。
>それはまざまざと実物を写した。酸鼻をきわめるという、筆舌を絶するという。それは写真でなければ到底伝えられないものである。私は妻子に見られるのを恐れて、押入れ深くかくして、あたりをうかがった。いま三十半ばの友のひとりは小学生のとき偶然これを見て、覚えず嘔吐したという。(p.26)
というものなんだが、自ら27年後に週刊誌に請うて、その同じ写真を載せてもらい、
>原爆記念日を期して私はこの写真を千万枚億万枚複写して、世界中にばらまきたい。無数の航空機に満載して、いっせいに飛びたって同日同時刻、アメリカでヨーロッパでソ連で中国で、高く低く空からばらまきたい。
>アメリカ人は争って拾うだろう、顔色をかえるだろう、子供たちは吐くだろう。ソ連と中国では拾ったものを罰しようとするだろう。罰しきれないほど、雨あられとばらまいてやる。(p.27)
と言ってんだけど、こういうのをみると並々ならぬ根性がすわってるなと思う。
この写真は昭和の雑誌は載せたかもしれないけど、いまはムリなんぢゃないかなという気がする、「あたりをうかがってみずから禁じる」んぢゃなかろうか。

(※いつもやる、ここに目次のタイトルをならべるのは、150もあるので今回はやらない。)

コメント
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