村上春樹 2004年 講談社
順番に読み返してる、村上春樹。『海辺のカフカ』は(いま読んでんだけど)、前に採りあげたんで、飛ばしてコレ。
おっと、残念、私の持ってるのは、2004年9月10日の第二刷。第一刷は9月7日なんだね、これが。忙しいか、情報取り遅れるかして、買い損ねてんだな、このころ。
えーと、深夜、12時ちょっと前、デニーズにいる(一人でいる)女の子(高校生くらい?)に、店に入ってきた若い男が声をかけるとこから始まる。
んで、最後の章は、一夜が明けて、たぶん朝の7時前くらいのとこ、で終わる。
わずか一夜の物語。
(※3月21日付記 ふたつの話の展開が同時に交互にされてくやりかた、“世界の終り”で初めて触れたときはオッと思ったんだけど、『海辺のカフカ』もそうだし、このころになると当たり前?)
んー、なんだかなー、って感じ。最初読んだときも、今回(二回目)も同じ感想ぢゃないかと。
んで、“村上春樹インタビュー集”の、“「恐怖をくぐり抜けなければ本当の恐怖はありません」『アフターダーク』をめぐって”を読んでみたら、「これくらい評判の悪い村上さんの作品は初めてです」という講談社の担当編集者の言葉があった。
評論家はどうでもいいとしても、読者の支持が得られてないらしい。んー、そうですか。そーだよなー、「これが一番好き」って言う、村上読者はいないと思う。
でも、村上さんは、
>読み終えて本を閉じたあとで、何かがひっかかる。「でも、あれはいったいどういうことだったんだろう?」って考え出す。そしてもう一回読み返す。
みたいな読み手を「非常にありがたい」と言ってたりする。
「僕の考える物語というのはそういうものだから」なーんて言ってるのがカッコいい。そーだよなー、わかりやすけりゃそれでいい、ってのは、バカの言うことだと私も思う。
でも、小説を書き終わると、いつも最初に奥さんに見せるらしいんだけど、その感想が「こんな難しい話はない。あなたがこれまで書いた中でいちばん難しい」ってんだから、私を含めて多くの読者のもった印象は間違ってないんでしょ、たぶん。
順番に読み返してる、村上春樹。『海辺のカフカ』は(いま読んでんだけど)、前に採りあげたんで、飛ばしてコレ。
おっと、残念、私の持ってるのは、2004年9月10日の第二刷。第一刷は9月7日なんだね、これが。忙しいか、情報取り遅れるかして、買い損ねてんだな、このころ。
えーと、深夜、12時ちょっと前、デニーズにいる(一人でいる)女の子(高校生くらい?)に、店に入ってきた若い男が声をかけるとこから始まる。
んで、最後の章は、一夜が明けて、たぶん朝の7時前くらいのとこ、で終わる。
わずか一夜の物語。
(※3月21日付記 ふたつの話の展開が同時に交互にされてくやりかた、“世界の終り”で初めて触れたときはオッと思ったんだけど、『海辺のカフカ』もそうだし、このころになると当たり前?)
んー、なんだかなー、って感じ。最初読んだときも、今回(二回目)も同じ感想ぢゃないかと。
んで、“村上春樹インタビュー集”の、“「恐怖をくぐり抜けなければ本当の恐怖はありません」『アフターダーク』をめぐって”を読んでみたら、「これくらい評判の悪い村上さんの作品は初めてです」という講談社の担当編集者の言葉があった。
評論家はどうでもいいとしても、読者の支持が得られてないらしい。んー、そうですか。そーだよなー、「これが一番好き」って言う、村上読者はいないと思う。
でも、村上さんは、
>読み終えて本を閉じたあとで、何かがひっかかる。「でも、あれはいったいどういうことだったんだろう?」って考え出す。そしてもう一回読み返す。
みたいな読み手を「非常にありがたい」と言ってたりする。
「僕の考える物語というのはそういうものだから」なーんて言ってるのがカッコいい。そーだよなー、わかりやすけりゃそれでいい、ってのは、バカの言うことだと私も思う。
でも、小説を書き終わると、いつも最初に奥さんに見せるらしいんだけど、その感想が「こんな難しい話はない。あなたがこれまで書いた中でいちばん難しい」ってんだから、私を含めて多くの読者のもった印象は間違ってないんでしょ、たぶん。
