goo blog サービス終了のお知らせ 

明日は明日の風が吹く

明日の事を今日悩んだって何にも解決しない
まぁ何とかなるさ!

日本史は室町時代こそ面白い

2021-08-08 21:05:41 | 歴史
い~ずみ先生の物理講座もついに電磁気に突入したようですね。ちなみに私は電気系出身であるにもかかわらず電磁気学がよくわかってませんw

【物理】電磁気【第1講】クーロンの法則


どーも先生は室町時代に苦手意識を持っておられるようですね。
元亀までたどり着いたってことは室町時代も終盤もう少し、次は天正ですから織豊政権になってきます。

観応の擾乱、応永の平和、永享の乱
応仁、文明と秩序が崩れ天文で西洋との付き合いが始まり乱世の終息へと働く流れ。
大宝律令の頃から続いた皇室と公家の既得権益が覆され、庶民だって泣き寝入りなんてしてられない、実力ある人が上へあがっていける。
そんな躍動感こそが日本史で特に室町時代が放つ魅力ですね。

等持院の霊光殿で歴代足利将軍の木像を拝み歴史に思いをはせ、方丈で抹茶と茶菓子をいただきながら庭園を眺めるひと時は至福そのものですね。ただ、木造の門を自動車でくぐって駐車場に行くので、車幅が広い車はちょっと苦戦するでしょうね。


この人も気の毒ではある

2021-08-01 21:01:44 | 歴史
さてさて小泉進次郎さんって大臣として無能だというのは言うまでもないでしょう。

ですが、昔行われた官打ちってのは妬みややっかみから出世している人を引きずり下ろすのではなく、落としたい人をやたら出世させて下積み不足でポストの変化についていけずボロを出したときに一気に叩くっていう公家社会らしい陰湿なやり口なんですね。

この人もどっかでしごかれた経験もなく祭り上げられて梯子を外されたって感じで気の毒ではあるんですね。

親父は目立ったけどなんだかんだ首相になるまで権力抗争や色々な経験をしてるけど、温室で大臣にまで一気に上げられたってのは単なる人気取りの末路か現代版官打ちか・・・・

リスクと向き合う

2021-08-01 20:44:56 | 歴史
思えば世の中に欠けていることはリスクと向き合うことじゃないでしょうか。
原子力がエネルギー源として大きな魅力がある代わり、何かあれば他のエネルギー源より重大な結果をこうむることは分かっていた。だけど推進派は安全神話を信仰し、反対派はどのようにして事故を防ごうとしているかを知ったうえで技術的側面から批判するわけでなく兎に角反対と喚き続けた。人々が一番知るべきこと、原子力にかかわる技術を推進することあるいはしないことのリスクの説明は行われず、事故はあり得ないと言われ続けた。そして、重大な事故が起こっていないことから何となく安全神話を信じてしまった。
だが、事故は起こった。
一気に原子力の安全のために何をすべきかという議論よりとにかく原発止めろというヒステリックな意見がまかり通るようになった。

コロナウィルスにしても感染拡大のリスクを直視することなく中国で感染拡大の報に接しても入国制限を行ったのはずっと後で日本中に感染は拡大した。目先の利益の前に誰だってリスクは考えたくない。政府を批判するのは私たちの国が共産主義国のような酷い国でないから容易に行えるのだが、では自分はというと目先の事を優先してリスクから目を背けようとするのは否定できない。

オリンピックにしてもすることとしないことのリスクの説明は真っ当に行われず「感染は拡大させない」「とにかく中止しろ」というむなしい言葉が響くだけ・・・

緊急事態宣言も長引けば守った分だけアホを見るから人は集まり感染は拡大する。

どの行為がどれだけのリスクを高めるかを知ったうえでの旅行・外食へと方向をシフトしない限りもはや緊急事態宣言は何の効果もない。

やるべきことは最悪を想定し最善を尽くすこと。分かりきっているが実践するのは難しい。
こうやって何かを述べている私自身が出来ていないんだから・・・


立花孝志は何を間違えたか?

2021-06-13 18:01:28 | 歴史
立花孝志氏がコロナで入院したそうですね。

新型コロナが風邪の一種というのはあながち間違ってはいない。

ではどこで彼が勘違いしたかと言えば、風邪なら甘く見ていいと思ったところにある。
歴史的に見ればスペイン風邪のパンデミックは世界に大きな爪痕を残した。
風邪というのは単一種のウィルスが引き起こすものではなく、新型でないコロナウィルスも風邪と言われる病の何割かを占めている。

風邪の症状の大半は外部からの侵入者を退治しようとするときの体の免疫反応が原因で、免疫の暴走が重症化の一因を担っている。そして新型コロナは免疫暴走のリスクが高いのが特徴。

ただ、風邪の一種には違いなく、風邪がどのようにして人に伝染るかを知れば防疫法をいかにすべきかが見えてくる。

風邪というのは飛沫と接触感染。このうち、飛沫は勢いよく飛ばさせず飛沫を含んだ空気を長時間滞留させないこと。つまりは換気の在り方が重要になる。
次に接触感染であるが、感染者が咳を手で押さえるあるいはマスクなど呼気にさらされたものに手を触れるなどしたのち、あっちこっちを触ることによってウィルスが方々に付着する。ただし、こうしたウィルスはいつまでも生き延びるのではなくやがて死滅する。
問題はウィルスが付着したところを死滅前に別の人が手で触れると手にウィルスが付着する。こうしたウィルスは自然にはそう簡単に死滅しないが、この時点では感染しない。そのあとウィルスが付着した手で粘膜に触るとそこでウィルスが繁殖を始め感染してしまう。
だったら、商業施設、飲食の入り口で手を洗わせあつあつのおしぼりで手を拭かせ、消毒が終わるまで店内のものに触れさせないことを徹底すること、衣類などにウィルスが付着して死滅前に店内のものに付着する恐れがあるので、飲食などではたとえ客に嫌悪感を抱かれても客が退店した場所の消毒ふき取りを徹底すること。これだけでかなり飲食などに通常に近い営業スタイルで感染リスクを抑える方法を提示できるはずなのだが、世の中自粛警察などと言う忌むべき連中の声が勝ってしまっている。

だから自粛だなんだというのを批判的に述べることと、新型コロナが風邪の一種であることについては彼の主張に間違いはなかった。問題は風邪の一種であることを踏まえた防疫の在り方を提示・啓蒙すれば英雄になれたかもしれないが、彼のやったことは防疫の逆を行く感染とリスクの拡大をひたすら突き進んでしまったところに大きな間違いがあった。

そして、あれだけ無警戒な行動を助長して感染症を甘く見る発言を公にしておきながら、自分が罹ったら早々に入院するというなんとも無様で無責任な姿をさらすことになってしまったのである。

まさしく日本のコロナ対策!!

2021-06-06 07:10:14 | 歴史
歴史的偉人が現代人を論破するアニメ【第2弾】


今のコロナ対策って五輪やりたい一心で飲食や商店の締め上げばっかりやってるね。
当然それではやっていけないからアルコール提供や深夜営業をする店が増えてくる。
そうなると規制を守っている店のほうがあほらしくなってくるからどんどん規制を守らなくなる。
そして、感染拡大のメカニズムを知らないままに人が集まって酒飲んでクダをまくから飛沫の濃度が上がって感染拡大が止まらなくなる。
そうなると医療関係者の人手が足りなくなって過酷な環境から離職者が出る流れが止まらなくなる。
こうしてパンデミックは収拾がつかなくなる。

コメ欄の
>どんなルールでも破るやつは破るから、ルールを増やすだけではルールを守るやつがただひたすらに損するだけ。それだと破綻する。
ルールの制定は大事だけど、やりすぎはダメだよね。

まさしくそれ!

本当にパンデミックを抑えたいんだったら、国民に感染のメカニズムを啓もうし続け、ある程度酒を飲んでクダを巻きだしても飛沫から出るウィルスの濃度を上げないために滞在時間を規制すること。客席を仕切って隣席からの気流の干渉を少なくして局所換気によってある程度高度のある気中に拡散してウィルス濃度を下げ自然に死滅させること。
かつて民主党政権下スパコンで「2位じゃダメなんですか?」の言葉に嫌悪感を覚えたが、そこまでして世界一のスパコンに予算つけるんだったら今こそ時間を含む流体内の粒子の拡散と人体への取り込みについてより要素を細かくした数値計算を行って換気の在り方の最適化について商業施設や飲食に対して提示すべきじゃないでしょうか?

更にたちが悪いのは命じる政治家の連中がそれを守らないから官僚も真似して守らない。そうすると規制される我々民間人には押し付けられた「絆」を感じる余地などなく、ただただあほらしさしか残らない。


リーダーシップとマウンティング

2021-04-28 19:57:28 | 歴史
左系議員に特に顕著なキャリア組官僚への横柄な態度ってのは今に始まったことじゃないんですけどね。

官僚も人間であり国会議員の奴隷ではない。国民に選ばれた議員が官僚を動かすのは当然のことではあるが、相手に土下座させて優越感を味わおうという議員は大抵無能であろう。どーりで、立憲民主党や共産党にその手の輩が多いわけだw

人の上に立つ立場の人間が無能な場合ほど部下に自分の立場を誇示しようとするものだ。

ええかっこしや美味しいとこ取りで表立ったところにしゃしゃり出たがるが、肝心なことになると下に責任を求めて逃げ出すような奴w

リーダーシップを発揮するというのは期待される成果を上げていくために人を動かしていくことであって、自分が上位にあることを相手を辱めて思い知らせることではない。

リーダーシップが取れない上層部の特徴として
・モノを知らないくせに知っているようにふるまおうとする
・表立ったところで褒賞されるのは大好き
・プライドがやたら高い
・言ってることが表面的あるいは威圧的
・細かい事には五月蠅いくせに何かを決めることが出来ないし責任を持とうとしない
などなどありますけど、それもこれも自分が無能であることを直視するのが怖いってのが根底にあるわけで、そう考えると普通に人間が持っている性ってのが出ちゃっただけとも言えるんですよね。



Fukushima50

2021-03-13 20:07:33 | 歴史
金曜ロードショーではFukushima50を放映してましたね。
私の印象に残ったのは渡辺謙さんや佐藤浩市さんの名演もさることながら、佐野史郎さんが時の菅直人元首相の無能ぶりを的確に演じておられたことかな・・・

トップが現場を知らないこと自体はそんなに責められたものじゃない。が、知らないなら知らないなりの対応ってものがあり、知らないなら人の話に聞く耳を持つことだろう。菅直人元首相に関しては知らないことよりも知っているかの如く無用な指示や現場の視察を入れて現場の混乱を増幅させたことに大きな罪がある。

インピーダンスマップでは発電所ってのはマル書いてG書いて定格とインピーダンスを【p.u.】の単位で書いてあるだけだけ、ユーザーの立場の私なんか整定値協議の折に電力会社、今なら送電会社から変電所までのインピーダンスの範囲と変電所から回線を伝って自分の守備範囲のメインの変圧器に入るまでのインピーダンスが複素数で書かれているのしか拝んだことがありませんが、こんな簡単な記号であらわされたマル書いてG書いて定格とインピーダンスだけが書かれたところの非常時の壮絶なドラマが実に迫ってくるように描かれています。

一方で危機管理という点ではF1よりもF2の対応が特に米国では注目されています。電源喪失したBWRを再び冷却した実例が日本人にはあまり知られていないのが残念なところです。尤もBWRが電源喪失したら手足をもがれたカニ状態になるのは分かりきっていたはずなのに脇にある高台に電源を用意しなかったことなどは設計段階からどこで判断に誤りがあったか検証して後世に活かすべきことでしょう。PWRのように放射能を含まない2次冷却水を蒸気発生器から出てきた後に復水器は電源がなければ海水を送れませんから蒸気自体を空中にブロワしてタービンポンプを回して冷却水を送り込むことも出来ないことは分かっていたはず・・・

また、東北電力の発電所は正常に停止させて冷却したことも、皮肉なことに「電源を喪失しなければ大地震・大津波があってもBWRを停止・冷却することが出来る」ってことを証明しているわけです。資金力が乏しい東北電力が怒って経済活動の衰退に伴う売り上げ減に対して賠償を請求するのも当然と言えます。なんせ関電送配電の管内なら6kVの後は20kV、30kVそして70kVと階級が上がっていくのですが、東北では6kVの次は70kVって聞いたことがあります。実は電力を受け取るのに高圧受電以上では「電気主任技術者」って有資格者を置いとかなきゃならないんですが、50kVの壁ってものがあって特高受電と呼ばれるとてーも電圧が高いところで30kVなら第3種で十分なのに対し70kVでは第2種以上を置いとかなきゃならない。まぁ資格の取得の難易度でいえば第3種と第2種では天と地ほどの差があるってことは私自身が身に染みて体験しています(泣)で、2000kWを超える契約でも6kVで受電してるところもそこそこなんて話も聞きます。そんな中で潤沢な東電のメルトダウンで東北の電気使用量がガタ落ちしたら頭にくるのは当然でしょうね。

いまさら誰かを責めようってのではないのですが、重大な結果を引き起こした以上は、導入段階から判断の岐路がどこにあって、どの判断が良い方向に働きどの判断が悪い方向に働いたかっていうのは原発事故だけでなくすべての事で震災の記憶のある私たちの世代が後世の人々のために残しておくべき検証じゃないんでしょうか?

卑近な例でいえば今私たちがてっちりやキノコ汁をほぼ安心して食することが出来るのも多くの人の犠牲の上に成り立ってんですから。

なぜビザンツに惹かれるか

2021-01-18 22:57:25 | 歴史
私がビザンツに惹かれるのはマイナーだからですね。

ローマ帝国を語る人は多いがビザンツ帝国に興味を持つ人は少ない。

でも、このマイナーな帝国は現代に生きる私たちに多くの事を語りかけている。

しかし、学校の歴史の授業では片隅に追いやられている。

ふと、東進の共通テストの解答速報を見た。
世界史Bではものの見事にビザンツに関する出題がない。
あるのはビザンツ帝国を滅ぼしたオスマン・トルコを滅亡させたケマル・パジャに言及する問題ぐらいである。

そう、ビザンツを学んでも点数にはつながらない。実利が少ない。だからこそ好奇心のみでこの帝国の歴史を追いかけてみたくなったのです。

ちなみに昔と違って物理の問題は定性的な現象の説明が中心に出題されているのはいいことですね。
定性的な現象のウラを定量的にとるための公式であって、公式帳を充実させる勉強法を教えられて物理系の事に興味を抱くはずもないw

ってか2日間にわたって朝から夕刻遅くまで試験三昧。昔の自分にはできても今の自分にはまねできませんw
最近で一番堪えたのは電験2種1次試験ですね。夜明け前に電車に乗って、朝早くから夕刻まで試験を受けて、ヘロヘロになりながら夜中に帰ってくる。今度はワンランクアップでもう一度受けてみないかと聞かれるなら答えは一つ「嫌ですw」でしょうね。

向上心は抜けきって、好奇心で生きながらえている日々ですから。

人物評は主観的になる

2021-01-02 13:21:44 | 歴史
ビザンツ帝国のマヌエル2世について触れましたが、そもそも歴史書自体が事実をありていに記録したものではなく、恣意的に特定の目的をもって書かれたものだということを認識しておくべきでしょう。

ましてや人物評となると評価する人の主観による部分が当然大きなウェイトを占めることになります。

で、ビザンツ人を支えた精神的支柱としてローマ帝国の後継者であるという自負とキリスト教があげられますが、でしたら聖書の人物評について考えてみたいと思います。

最初に断りを入れておかなければならないのは、聖書の歴史書も例に漏れずありていの歴史的事実がそのままバランスよく記録されているのではなく宗教的な目的をもって恣意的に編纂されていることを指摘しておく必要があります。史実性については伝承をもとに編纂されていますから、
①史実そのものが記されている
②史実をもとに話が盛られている
③伝説・想像・神話の類
のどれかではなく、混在した記載となっているとみるのが妥当でしょう。
創世記は論外として後になるほど伝承からの編纂ではなく直接的な記載も増えてきますので史実性が増すのかと言えばそうでもない。エステル記はアケメネス朝ペルシア時代のことを記載していますが、ユダヤ教のプリムの祭りの起源ではあるものの、当時の聖書外の資料からは史実とは認められないでしょう。ただし、話の種となる何らかの出来事があった可能性自体は否定できません。一方で創世記のノアの箱舟はギルガメッシュの叙事詩に類似した話が出ることから、起きた出来事がそのまま記載された史実とするのは無理があっても、古代メソポタミアにおいて大規模な洪水があったことをうかがわせます。

さて、人物評ですが旧約聖書の列王記には北イスラエル王国と南ユダ王国の歴代の王様が出てきますが、聖書本文では賞賛される王とこき下ろされる王がいますが、列王記自体が宗教的な目的をもって編纂されていますので、政治的に王様の能力を史実通りに評価したものではないことを踏まえておく必要があります。

今回テキストはフランシスコ会訳聖書を使いましょう。理由は解説を通じて翻訳を行ったフランシスコ会聖書研究所の人物評がある程度出ているからです。また、聖書各書の史実性に対して一定の言及がされているからです。

聖書本文で特にこき下ろされているのがオムリ王朝の王たちです。一方で解説では政治的に一押しはオムリ王です。実際にメシャの碑文などで他民族から見たオムリ王の業績は彼が有能であったので、列王記の解説のみならず本文注釈に「オムリは、恐らくイスラエルの最も有能な王で、国外でも有名であった。オムリはメシャの碑文で言及されており、アッシリアの年代記で数回言及されている」とオムリの有能さを示唆している。本文では主の前に悪を行ったと手短にこき下ろされているだけである。ウィキペでは一定の評価をしつつも事績の解説は少ない。一方で本文では善良な王として多くの記述を割いている王として、アッシリアに朝貢することで捕囚を逃れたヒゼキヤと、アッシリアから新バビロニアへの転換期の周辺の大国の干渉が少ない時期に宗教改革を行ったヨシヤがある。ただ、解説では「その支配が政治的には取るに足りない」と一刀両断にされている。ただし、この聖書は新共同訳が始まる前にはローマ・カトリック教会公用の聖書となることを予定して翻訳しているので、史実との比較や政治的側面あるいは記述間の矛盾については批判的な視点から事実を焙ろうとする努力の痕跡が見えるが、教義については当然トーンダウンすることになる。ウィキペではヨシヤは取るに足りないとすることで一致するがヒゼキヤについてはそれなりの評価がうかがえる。

で、「時代の制約」という側面から見ると私はアッシリアの支配が周辺を覆いつくしているにもかかわらず朝貢することで一定の独立を保ったヒゼキヤ王は国力の制約の中でできることを行ったという点で高く評価したい。

ちなみに私が最も無能と断じたい王は北イスラエルでオムリ王朝を滅ぼしたイエフ王であろう。聖書本文ではバアル教を一掃したが心を尽くして主に使えなかった、そしてイスラエルの領土の切り取りが始まったと記載されている。実際は「主に対する私の熱意を見てください」と言いオムリ王家を皆殺しにするしか能のなかったイエフが、オムリ王朝が築いた周辺諸国との均衡を崩して態度を硬化させ侵略を許すようになってしまったってところが実情ではないだろうか。

歴史をレビューするにあたっては、大抵のテキストは編纂する人の主観というフィルターがかかっていることを踏まえる必要がある。ましてや古代の文書は政治的・宗教的に何らかの目的をもって編纂されているとみてよい。ただし、そのことをもって資料に価値がないと断じられるわけではない。また、今なお世界のベストセラーになっている聖書について、科学的・史実性に矛盾が見られ倫理的にも現代人の価値観にそぐわないものであっても、歴史的にはかなり重要な資料であることには違いないし、その教えは今なお褪せることなく多くの人々の精神的支柱となっていることも踏まえておく必要がある。

って長々書きましたが、結局歴史を客観的に俯瞰することは不可能で、レビューすること自体が主観の産物以外の何物でもないってことですね。ってことで、このブログも例に漏れず歴史カテゴリーのエントリーはまかり間違いなくブログ主の主観に基づくものなのです。