明日は明日の風が吹く

明日の事を今日悩んだって何にも解決しない
まぁ何とかなるさ!

昨日の補足

2021-01-14 21:07:37 | あおりいか
ヤエンの設計と選定がバッチリ合えば、かかり方はこんな具合になります。

この時の鯵が15cm、あおりいかが胴長20cm、頭を落とすのを待たずにヤエンを入れますが、イカに対する鰺の大きさが大きいので、口先からの縦抱きは難しい、よってヤエンの針とメガネの間の長さは12cmということになります。

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ヤエンは設計と選定がものをいう

2021-01-13 20:26:53 | あおりいか
ヤエンにはいろいろなパーツがあるけど、寸法を設計するうえで一番重要なのは第一メガネの高さと、第一メガネと第一掛けバリの距離!!

これはイカの寸法ではなく鯵の寸法を想定する。

鯵の尻尾の付け根にヤエンの第一メガネが来る。鯵の頭の付け根に噛みついているので、尻尾の付け根から頭の付け根の長さに幾分足した長さが第一メガネと第一掛けバリの距離になる。これを想定して様々なサイズの鯵を使うときやイカの大きさで寄せてくるときにどれだけ食われて鯵が短くなるかを想定して色々なサイズのヤエンを作っておく。

キャストするときどの大きさの鯵をくくったか覚えておく。

アタリの後に寄せるときの重さでイカの大きさは想像がつくようになる。

自信がなければ目の前まで寄せて目視確認したっていい。

で、鯵の尻尾に第一メガネが止まったときに目の下に第一掛けバリが来るようにヤエンを選んで投入する。
ヤエンをしっかり潜らせればイカは近づくヤエンに違和感を感じない。斜め上からヤエンが迫れば鯵を離す。下からたるみを取りながら近づければ滅多に鯵を離さない。

この原則に沿えば、写真のようにしっかり胴掛けであおりいかを釣り上げることが出来る。

ってことで、機会があれば次はステンレスをはんだ付けするときのコツでも・・・

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石好きには

2021-01-12 22:29:35 | 地球と物理
玄武洞ってたまんないですねぇ・・・

石がどーでもいーって人にはホントにくそ面白くない場所なんでしょうねぇ。

昔、高校時代に物理と地学の選択で食っていけそうな物理を選んだけど、好奇心を引くのは圧倒的に地学のほうなんですよね。
ま、理科の学習って物理や地学は公式の暗記のほうが点数につながるからと、そっちから入る人が多いけど、現象に対してなんで?ってことを論理的に表すための公式であって、公式ありきで理工系の事を学ぼうとすると必ず躓くんですね。

様々な岩石や地形の成り立ちなどに思いを致した後は、玄武洞の前で何も考えずに小一時間ぼーっと座って眺めてる時間が至福のひと時ですね。「人間は考える葦である」って言われても、考えない時間の幸福感を感じる時間。コロナ禍で遠出がおぼつかなくても、日常に過去の出来事や未来への不安を忘れて、只々現在目の前にあるものを眺める時間を取るようにしたいものですね。

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書き初め

2021-01-02 15:34:06 | 日記
行雲流水

自然体で、欲しいものをつかみ取ろうとするのではなく、
掌の中に収まりきらないものにしがみつかず、
自分の身の丈を知り、
自分の能力のなさを直視し、
つかみきれないものは手放し、
謙虚に生きよう。

きっと人生の折り返し点はもう過ぎている。

遠大なことを成し遂げるよりも
身の回りのことをコツコツこなして

足ることを知れば

今より物質・肩書・スキルなどは上がらなくても
幸福には近づける。

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人物評は主観的になる

2021-01-02 13:21:44 | 歴史
ビザンツ帝国のマヌエル2世について触れましたが、そもそも歴史書自体が事実をありていに記録したものではなく、恣意的に特定の目的をもって書かれたものだということを認識しておくべきでしょう。

ましてや人物評となると評価する人の主観による部分が当然大きなウェイトを占めることになります。

で、ビザンツ人を支えた精神的支柱としてローマ帝国の後継者であるという自負とキリスト教があげられますが、でしたら聖書の人物評について考えてみたいと思います。

最初に断りを入れておかなければならないのは、聖書の歴史書も例に漏れずありていの歴史的事実がそのままバランスよく記録されているのではなく宗教的な目的をもって恣意的に編纂されていることを指摘しておく必要があります。史実性については伝承をもとに編纂されていますから、
①史実そのものが記されている
②史実をもとに話が盛られている
③伝説・想像・神話の類
のどれかではなく、混在した記載となっているとみるのが妥当でしょう。
創世記は論外として後になるほど伝承からの編纂ではなく直接的な記載も増えてきますので史実性が増すのかと言えばそうでもない。エステル記はアケメネス朝ペルシア時代のことを記載していますが、ユダヤ教のプリムの祭りの起源ではあるものの、当時の聖書外の資料からは史実とは認められないでしょう。ただし、話の種となる何らかの出来事があった可能性自体は否定できません。一方で創世記のノアの箱舟はギルガメッシュの叙事詩に類似した話が出ることから、起きた出来事がそのまま記載された史実とするのは無理があっても、古代メソポタミアにおいて大規模な洪水があったことをうかがわせます。

さて、人物評ですが旧約聖書の列王記には北イスラエル王国と南ユダ王国の歴代の王様が出てきますが、聖書本文では賞賛される王とこき下ろされる王がいますが、列王記自体が宗教的な目的をもって編纂されていますので、政治的に王様の能力を史実通りに評価したものではないことを踏まえておく必要があります。

今回テキストはフランシスコ会訳聖書を使いましょう。理由は解説を通じて翻訳を行ったフランシスコ会聖書研究所の人物評がある程度出ているからです。また、聖書各書の史実性に対して一定の言及がされているからです。

聖書本文で特にこき下ろされているのがオムリ王朝の王たちです。一方で解説では政治的に一押しはオムリ王です。実際にメシャの碑文などで他民族から見たオムリ王の業績は彼が有能であったので、列王記の解説のみならず本文注釈に「オムリは、恐らくイスラエルの最も有能な王で、国外でも有名であった。オムリはメシャの碑文で言及されており、アッシリアの年代記で数回言及されている」とオムリの有能さを示唆している。本文では主の前に悪を行ったと手短にこき下ろされているだけである。ウィキペでは一定の評価をしつつも事績の解説は少ない。一方で本文では善良な王として多くの記述を割いている王として、アッシリアに朝貢することで捕囚を逃れたヒゼキヤと、アッシリアから新バビロニアへの転換期の周辺の大国の干渉が少ない時期に宗教改革を行ったヨシヤがある。ただ、解説では「その支配が政治的には取るに足りない」と一刀両断にされている。ただし、この聖書は新共同訳が始まる前にはローマ・カトリック教会公用の聖書となることを予定して翻訳しているので、史実との比較や政治的側面あるいは記述間の矛盾については批判的な視点から事実を焙ろうとする努力の痕跡が見えるが、教義については当然トーンダウンすることになる。ウィキペではヨシヤは取るに足りないとすることで一致するがヒゼキヤについてはそれなりの評価がうかがえる。

で、「時代の制約」という側面から見ると私はアッシリアの支配が周辺を覆いつくしているにもかかわらず朝貢することで一定の独立を保ったヒゼキヤ王は国力の制約の中でできることを行ったという点で高く評価したい。

ちなみに私が最も無能と断じたい王は北イスラエルでオムリ王朝を滅ぼしたイエフ王であろう。聖書本文ではバアル教を一掃したが心を尽くして主に使えなかった、そしてイスラエルの領土の切り取りが始まったと記載されている。実際は「主に対する私の熱意を見てください」と言いオムリ王家を皆殺しにするしか能のなかったイエフが、オムリ王朝が築いた周辺諸国との均衡を崩して態度を硬化させ侵略を許すようになってしまったってところが実情ではないだろうか。

歴史をレビューするにあたっては、大抵のテキストは編纂する人の主観というフィルターがかかっていることを踏まえる必要がある。ましてや古代の文書は政治的・宗教的に何らかの目的をもって編纂されているとみてよい。ただし、そのことをもって資料に価値がないと断じられるわけではない。また、今なお世界のベストセラーになっている聖書について、科学的・史実性に矛盾が見られ倫理的にも現代人の価値観にそぐわないものであっても、歴史的にはかなり重要な資料であることには違いないし、その教えは今なお褪せることなく多くの人々の精神的支柱となっていることも踏まえておく必要がある。

って長々書きましたが、結局歴史を客観的に俯瞰することは不可能で、レビューすること自体が主観の産物以外の何物でもないってことですね。ってことで、このブログも例に漏れず歴史カテゴリーのエントリーはまかり間違いなくブログ主の主観に基づくものなのです。






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時代の制約と人の才覚

2020-12-27 13:50:45 | 歴史
ビザンツ帝国についてホント久々にレビューしてみましょう。
前にビザンツ帝国に触れてから年月を経て、自分自身も人生の行き詰まり感にさいなまされたり、一方でそんな中で電験2種の免状取得と色々ありました。
いよいよ日本でいう弥生時代にドミティアヌス暗殺によりフラウィウス朝が終焉したところから思えばビザンツ帝国もいよいよ末期、日本でいえば室町時代になってきます。

コンスタンティノープルを奪還したビザンツ帝国パライオロゴス朝であったが、もはや大国の面影をどこにも見出せない地中海の一小国家に成り下がっていた。

対トルコの従属的な関係、コンスタンティノープルの奪回に協力したジェノバにはもちろん、ラテン帝国の黒幕ベネチアにも通商上の特権を与えている。

そんなパライオロゴス朝の末期に即位したのがマヌエル2世であった。幼少期にトルコの人質であったマヌエル2世はすきを見て帰国後に祖国のために東奔西走する。すきを見て帰国と言えば桶狭間で今川義元が討たれたどさくさに岡崎に帰還した徳川家康を連想させるが、そんなサクセスストーリーとは程遠かった。

トルコへの臣従を取り消したビザンツ帝国に当然トルコは攻撃を加えてくる。
そこで帝国は西欧の援助を求めようと皇帝自らが旅に出てドーバー海峡を渡りイングランドまで行く。
西欧の人々は「ギリシア人のローマ皇帝」を歓迎し、マヌエル2世もローマ帝国皇帝のプライドもなげうった。
が、実際に援軍を出すとなると西欧諸国は二の足を踏んだ。
その間にトルコに包囲されたコンスタンティノープルでは都の明け渡し寸前であったが、東方から思いがけない援軍が来る。
ティムール帝国である。チャガタイ・ハン国が諸侯乱立の状態の中からレースに勝ち出たティムールはオスマン・トルコを壊滅的な状態にする。本来ならばここでオスマン帝国を挟撃して脅威を打ち払うべきところであるがビザンツ帝国はそうしなかった。いや出来なかった。そこまで帝国の力は落ちていた。やがてティムールは攻撃の矛先を明帝国に向かわせる途中で死去する。

西欧の傍観とティムールの死に救われたトルコは再びビザンツ帝国に圧力をかけてきた。滅亡の危機は何度もあったが、マヌエル2世はそのたび巧みな外交をもって帝国の滅亡を免れる。人々はこの皇帝ある限り帝国はつぶれないと信頼していた。そんなマヌエル2世にも死が近づいた。それまで強硬路線でトルコのくびきをほどこうとする息子ヨハネス8世をマヌエル2世は諫めてきたが、死の床にあって「これからはお前の好きなようにしなさい」と言い、帝国の滅亡を予感しながら世を去った。

ある歴史家は「良い時代に生まれていたならばさぞや名君と呼ばれたに違いない」と彼を惜しんだが、私は名君であることと人物の有能・無能とは少し乖離があると思っている。要は時代の制約を踏まえ歴史上の人物評価をすべきものと思っている。

長くなったのでさらに次の機会にこのことをもう少し述べてみたいと思う。


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クリスマスらしく

2020-12-26 23:11:51 | 日記
乳香を焚いてみるが、つくづく乳香は線香に向かない。

炭火の上に乳香をまくのが正当な方法なのでその方向で・・・
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私とて

2020-12-20 19:02:45 | 日記
適切な判断をもって危機を乗り切ってほしいと願ってるけど、どうしたものか・・・

ナンバー2としての調整や恫喝の能力はあるけど、
ナンバー1に必要な決断・判断と発信の能力に欠いているのでしょうねぇ・・・
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結局わからなかった

2020-12-13 20:54:30 | 歴史
遠藤周作の小説「沈黙」で読んでて、キチジローはどうなったか?ってことが気になってた。

小説に書かれていたのは現代文で最終場面と思われがちなキチジローのコンヒサンの後に文語体で書かれた切支丹屋敷役人日記で主人公の中間として身を寄せたキチジローから禁制の品が見つかり、現代文では人間の弱さの象徴のようなキチジローが拷問を受けてロドリゴから貰ったものか問い詰められても口を割らなかったということである。その結果キチジローが拷問や処刑で殺されたか、役人側が根負けしたか読み取ることはできなかった。マーティン・スコセッシ監督のサイレンスでも当然キチジローの最終的な運命はわからないままである。

で、沈黙の声って沈黙を書き表すにあたっての背景みたいなことを述べているのが出てて買って読んでみたけど、この点は謎のまま・・・

ただ、興味を引くのはある大学の入試問題で遠藤周作の小説が取り上げられ、問として作者が言いたかったことは何か?として5択が提示されていた。遠藤氏は5つとも正解としたが答えは1つだった。そりゃそうだわなwでなきゃ試験問題として成立しない。が、ここで大事なのはその小説を書いたのは遠藤氏であって出題者ではない。
ここで一つ確信できるのは国語の問題でいい点数を取れることと原作者の意図を読み取れることは必ずしもイコールではないということである。ましてや記述の作文となるとなおのこと原作者の述べようという意図ではなく出題者の意図によって配点が決まるということであろう。

これが自然科学の特に計算問題ならば結果が正しく算出されているかでその問題の点数がもらえるかどうかが決まり、後は導出過程から、正解でも途中にNGが入っていれば規定に従って減点、間違っていても正当な過程を書いていれば部分点がもらえる。

そう考えると、キチジローの最期の正解は作者しか知らないのも道理であろう・・・

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迷いは

2020-12-13 20:20:04 | 日記
文字の乱れになって現れる。
それも簡単な文字に出やすい。

ちなみに写経をしたければ量販店やネットで買いそろえることが出来る。

ワンランク上の写経をしたければお寺ですると雰囲気も出る。ユーキャンだったらいい値段するけど、至れり尽くせりの教材が用意されていそうな雰囲気。ヨガもDVD6巻ですか・・・

ちなみに私はユーキャンを利用せずすべて店頭で買い求めた本で我流。ヨガも坐禅も写経も、そうそうジャンルは変わるけど電験3種も店頭で買い求め我流で来ましたね。尤も電験3種はもともと電気系出身なんで我流で当然でしたねw
ヨガ・坐禅で心身が少しでも良くなってきたら我流の伝授を誰かに無料でしてみたいですね。電験3種も我流の理解術を誰かに無料で伝授できる機会が現れてくれたらこれまた教えることを通じて自分の足りないところを知り、同時にメンタルヘルスにいいと思うんですけど、私に教わろうなどと言うもの好きが現れるとは思えません(笑)

観音経の写経は2時間半かかった。
不思議なことに書き始めるときに不安やイライラがあっても、写経している間は文字に集中できる。
ただ、不安や早く書こう、上手に書こうという気持ちが前面に出ると文字の乱れになって現れる。

写し終えたときに途中の文字の乱れを振り返ると、自分のメンタルの状態も分かってくる。



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