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伝統と進歩

2012-05-27 17:40:25 | 歴史
Preludium i Fuga a-Moll BWV 543 (J.S. Bach) - Le醇預jsk 2009


バッハの次の世代の古典派からは、バッハの音楽は古臭いと言われていたらしい。

だが、現代に古臭いと言われたはずのバッハの旋律は多くの人々を魅了し、逆に当時新しいと言われた音楽家の旋律はほとんど残っていない。そして、JAZZや現代の音楽にもバッハの旋律は生かされている。

もちろん人類の営みの中で進歩していくということは必要であり、「前例がない」「伝統に反する」と新しいことをにべもなく撥ねる社会は必ず衰退の憂き目にあう。

だが、伝統と称されるものは長い間人類が試行錯誤の末に残ったものであり、一人の人生の中では到底なしえない経験と失敗の積み重ねの中で磨かれてきたものといえる。

そう考えると、今までの伝統や習慣などについて現代の価値観に合わないと単純に斬って捨てるのではなく、なぜそのような伝統が残ったのかということを考え、どうしても現代に適合できない部分のみ変えていくことが必要ではないだろうか。

これは個々人の教育についても言える。道を極めるには4つの段階がある。

導入部・・・最初は対象とすることに興味を抱かせること。好奇心を掻き立てさせる。成功した後の事を思い浮かばせるなど。どんな道でも好きでなければ進むことは苦痛でしかない。

鍛錬・・・ゴルフなどで正しいフォームをきっちりレッスンを受けた人と、我流の人では最初はどちらも伸びていくが、我流だとあるところで成長が止まってしまう。昔からの型というのは何代もの人々の試行錯誤の末に作られたものである。面白くなくても型にはまること。反復練習をひたすら続けること。一番面白くないことだがこれをやっておかなければよほどの天才でもない限り成長してもたかが知れている。

試行錯誤・・・一定の型枠を会得したら、自分にあった形を試行錯誤していく。ここから新しいことに挑戦していくので、壁にもぶつかるが面白いことも多くある。

体系化・・・試行錯誤の経験を踏まえ、自分なりの流儀を完成させていく。もし、それが多くの人に今までの方法より合っているならそれが新しい伝統になる。

下積みなくして自分の新しい流儀を生み出そうとしても、、単に奇をてらったものだけになり、後に残らないし、試行錯誤なくして型枠に閉じこもってもそれでは単なるロボットである。

かつての詰め込み教育は対象に興味を抱かせないから受験ロボットたちは受験が終わると勉強をおざなりにしがちになり、学んだことを生かして新しいことに挑戦しようとしなくなる。

後のゆとり教育は一番面白くない鍛錬をおざなりにするから、基礎力が低下し、何かをしようとしても基礎がないから伸びしろもなく新しいことをしようと意欲はあっても実現できる能力がなくなる。

そう考えると、戦後日本の教育の劣化は何かを生み出す原動力をもがれたも同じであり、教育に開けた穴は取り返しがつかず、これから日本の劣化の修復にそれこそ何世代もかけなければ無理なようにも思える。


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今年は久々に

2012-05-20 22:01:20 | てながえび
てながえび釣りを再開



ビッグアームは一匹だけ・・・

抱卵しているメスはいなかったので、シーズンはまだまだこれから!
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