昨日のブログの続きです。
「貝の産む真珠」が心に響きます。
私は母に怒られたという記憶がありません。
「まあ、なんて良い子なんでしょう」と思われてしまいますね。
逆です。思春期はおそらく、母ははじける私にひどく手こずっていました。
門限を守らない日常、目標の定まらない苛立ちも母にぶっけました。
未熟で、自分勝手で、甘えてました。
母は、いつも静かに見守っていてくれました。
何か事を起こした時は「悲しいわねー」と静かにつぶやくだけでした。
言いたいこと、怒鳴りたいこといっぱいあったはずです。
私という人間を、自分の全身で受けとめ、怒りもいらだちも葛藤しながら・・・、
包括していえば、私の過ち、未熟さ、勝手な行動すべてを抱えてくれていました。
気が付いたのは、私が「母」となってからです。申しわけない気持ちでいっぱいです。
母は89歳の生を終えるまで、その姿勢はゆるぎないものでした。
感謝の気持ちの一言も伝えられないまま葬り、別れてしまいました。
娘も人の親になり、私もおばあちゃんと呼ばれるようになりました。
「母」は、美しい真珠をその内に産み、私や、娘や孫にその輝きで、
私達の渉む道を照らしてくれています。
私は、残された日々の中で、果たして真珠を産むことが出来るでしょうか?