私の生まれ育った下町、浅草の夏は三社祭から始まる。
三社が終わると当たり前のように浴衣を着ることが認知された。
昭和30年代のお祭りは、今のような観光目的ではなく、
お宮や氏子のものだった。
町内ごとに真新しい揃いの浴衣を毎年作り、
ちゃぶ台には、お正月に負けないお料理が並んだ。
朝顔や金魚と言った、いわゆる子供の柄の浴衣を卒業して
初めて揃いの浴衣に袖を通した中学1年の時、私は「大人」になった気がした。
私の実家の箪笥には、そんな浴衣が沢山眠っている。
実はたっぷり二棹のきもの、浴衣が・・・、さてどう処分したものか・・・、
これ、本当に皆さん今、困っている問題なんです。