【追記】『忘れられた皇軍』(1963)
2014.1.14
観て一日が経ち、思った事が溢れてきました。追記として、メモしたいと思います。
ドキュメンタリーが、作意的に作られるのは、当然ある事です。
もっと言えば、ニュースですら、何をどのように放送し、何を放送しないのか、などの取捨選択がされている訳ですから、作意的であると思います。
だからこそ、視聴者は、メディアの賢い見方をしなければならないし、多角的な視点を養わなければならないと思います。
『忘れられた皇軍』は、大島渚監督の意志、考えが、言葉と映像でハッキリと示された上で、皆さんはどう考えますか?と問いかけています。
何となくの事実を並べただけで、貴方ならどう思いますか?というタイプのドキュメンタリーとは、一線を画すのです。
作り手の意志が明確だからこそ、活発な議論になるのでしょうし、享受するだけではなく、作品を観た一人一人が自ら考える作業をするキッカケとなると思うのです。
観て終了するのではなく、観たところから始まる、そういうドキュメンタリー作品は、素晴らしいと思います。
そういう意味において、『忘れられた皇軍』は、衝撃的でした。
ナショナリズムに傾く空気が、現在の日本にある中で、国家や周りに流されない為に、一人一人が判断材料をたくさん持つしかないと思います。大きい事は言えませんが、絶えず興味を持ち、アンテナを張って了見を深めていきたい、そんな風に思っています。
2014.1.14
観て一日が経ち、思った事が溢れてきました。追記として、メモしたいと思います。
ドキュメンタリーが、作意的に作られるのは、当然ある事です。
もっと言えば、ニュースですら、何をどのように放送し、何を放送しないのか、などの取捨選択がされている訳ですから、作意的であると思います。
だからこそ、視聴者は、メディアの賢い見方をしなければならないし、多角的な視点を養わなければならないと思います。
『忘れられた皇軍』は、大島渚監督の意志、考えが、言葉と映像でハッキリと示された上で、皆さんはどう考えますか?と問いかけています。
何となくの事実を並べただけで、貴方ならどう思いますか?というタイプのドキュメンタリーとは、一線を画すのです。
作り手の意志が明確だからこそ、活発な議論になるのでしょうし、享受するだけではなく、作品を観た一人一人が自ら考える作業をするキッカケとなると思うのです。
観て終了するのではなく、観たところから始まる、そういうドキュメンタリー作品は、素晴らしいと思います。
そういう意味において、『忘れられた皇軍』は、衝撃的でした。
ナショナリズムに傾く空気が、現在の日本にある中で、国家や周りに流されない為に、一人一人が判断材料をたくさん持つしかないと思います。大きい事は言えませんが、絶えず興味を持ち、アンテナを張って了見を深めていきたい、そんな風に思っています。
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